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第47話 新しい生活

 木の柔らかい匂いが抜けない家。  傷ひとつない真新しいものと手入れの行き届いた少し古くなったものが混在した家具。  開けていないダンボールがいくつかあるものの、使用頻度が低いため急いで開ける必要はない。  このままでも生活はできる。  引越当日にしては上出来だろう。    一日でここまで終わらせることができたのは、引越しの当事者である鷹也と翔だけでなく、手伝ってくれた人がいたからだ。  作業が終わった彼らを玄関先で見送るついでに、お礼としてよく冷えた飲み物を渡していく。   「手伝ってもらってありがとうございます」 「みんな休みだからな。構わんさ」  杉浦はひらひらと手を振り、気にするなと言ってきた。  一日力仕事をしていたはずだが、彼に疲労の気配はない。  普段の訓練量を考えれば、この引越作業は準備運動にもならなかったのだろう。   「馬場ちゃんの引越しもみんなで手伝ったんだから、一回やるのも二回やるのも一緒だろ」 「それに、馬場ちゃんところより圧倒的に荷物が少ない。楽なもんだよ」 「確かに」  米田と金城は頷き合い、受け取ったばかりの麦茶を一気飲みする。  相変わらず息の合った二人だ。  彼らにも疲れた様子はない。  引越作業中、終わったらランニングに行くかと話していたから、体力は有り余っているのだろう。  話題に上がったが、馬場はこの場にいない。  多くの修羅場を乗り越えてきた彼女でも、半年前のタワー研究棟汚職・殺人等事件はそれなりにショックだったようだ。  大切な人とできるだけ長く過ごしたい。  そう言って、彼女は事件直後、交際していた彼氏と入籍した。  事後処理の激務中だったが、同僚のよしみで引越作業を手伝ったのもその頃だ。    そして、おめでたいことに今から二ヶ月前、彼女の妊娠がわかった。  鷹也と翔の引越しの手伝いをすると言っていたが、いくら頑丈な馬場でも、妊婦に重労働はさせられない。  今回は丁重にお断りした。 「俺らも手伝ってもらったからな」 「おあいこだよ」 「ありがとう。助かる」  翔からペットボトルを受け取った伊吹と櫂は、首にかけていたタオルで汗を拭く。  猛暑に似合わず爽やかに見えるのは、二人の鬱屈とした楔が解けたからだろうか。  世界は変わった。  ベフライエンのタワー襲撃により、各国のタワーの実態が明かされ、一時期はどこの国も大混乱に陥った。  少し落ち着いた今は、センチネル、ガイド、ミュートの価値観を見つめる過渡期を迎えている。    日本も例外ではない。  翔をはじめ、ベフライエン構成員の胸に装着されたボディカメラは、世界的に見ても治安がいい日本では考えられない戦闘と吐き気を催す研究を映し出した。  そして、同日に報道された海老原を含む研究職員、政治家などが殺人や汚職などの罪で逮捕され、タワーは過度なバッシングを浴びた。    海老原は当初黙秘していたものの、少しずつ供述するようになっているらしい。  センチネルとガイドを排除し、能力者がいない世界をつくることを志した海老原。  それは、能力者を輩出する家系にミュートとして生まれ、虐げられたことが要因だったようだ。  同情する環境だが、だからと言って人を殺めていい理由にはならない。  さらに、内海のことも最近になってわかってきた。  ベフライエンにある彼の自室から発見された日記。  そこには、海老原の言う「能力による差別のない世界」に感銘を受けたこと、それを目指すために苦悩している海老原を支えたい、けれど研究に伴う犠牲者の続出に心を痛めているという心情が綴られていた。  ベフライエンにいる間も、二律背反に苦しんでいたのは想像に難くない。  彼は、ひっそりと近親者によって弔われた。    警察と検察は捜査に追われ、渦中の真っ只中にいた鷹也と翔も事後処理に忙殺される日々を過ごしていたが、半年経ってようやく落ち着きを取り戻しつつある。  世間もある程度落ち着きを取り戻し、タワーは新たな構成と方針で運用が始まり、ベフライエンは、国際的な非営利団体として再始動していた。  タワーで保護された伊吹や櫂たちベフライエン日本支部の構成員は、警察と事件に関与していないタワー職員から事情聴取を受けた。  そして、マスコミ対策がされたあと、咎めを受けることなく自由の身になった。  ある者は家族の下へと帰って静かに生きることを選び、ある者は新たなベフライエンの構成員として活動することを選んだ。  能力者たちはそれぞれの道を歩み始めた。    伊吹と櫂はベフライエンに残り、タワーに隣接して設置された日本支局の職員として働くことを選んだ。    伊吹は、ベフライエンとして生きていく以外の道を知らないし、自分の中にはそれ以外の選択肢は元々ないと言っていた。  幼少期からタワーで生活し、ベフライエンに保護されてからは能力者のために生きてきたからこその選択だ。    櫂には教師に戻る道もあったはずだが、何も知らなかった頃には戻れないからと、元同僚たちからの誘いを断っていた。  恋人であり、ボンドを結んだ半身である伊吹がベフライエンに残ることも、大きな理由のひとつだろう。  彼らが一時的に家族のもとへ帰ったあと、入籍に際して引越しを手伝ったのは三ヶ月前のことだ。 「僕はずっとお世話になりっぱなしですからね。恩返しのつもりです」  はにかんで謙遜するのは陽介だ。  ベフライエンがタワーを襲撃している間、潜伏先で保護された能力者を守っていた陽介は、事件後、日本に戻ってきた。  大学に復学した彼は、教育学部に編入し教師を目指している。  将来はタワーの教育棟で教鞭を取りたいそうだ。  ベフライエンに拉致されて、彼の世界は広がった。  辛いことを目の当たりにしてきたが、それさえも糧にして突き進む陽介を、鷹也は全力で応援している。   「俺は何もしてもらってないからな。新婚旅行の土産をちゃぁんと買ってきてくれたらいいよ」  ニッと笑って翔と肩を組んだのは岡部健斗だ。  彼の馴れ馴れしい態度に苛つく。  ギリリと歯軋りをする鷹也に気付いているはずなのに、岡部は翔から離れようとしない。  勢いあまって鷹也の奥歯がバキッと折れてしまいそうだ。 (っのやろぉ……!)  岡部は翔の元相棒であり、タワーを内偵していた特捜部の検事に救出された強運の持ち主でもある。  被害者保護プログラムを利用して名前を変え、今は特捜部の検事として働いている。  元相棒だからなのか、それともわざとなのか、岡部は妙に翔との距離が近い。  それを鷹也が気にしていることを知っていて、鷹也を挑発するように翔との身体接触を見せつけてくる。  彼にはボンドを結んだパートナーがいる。  それは承知しているのだが、それとこれとは別の話だ。 「買ってくるから翔から離れろ」 「おぉい。先輩に向かってその口の聞き方はなんだ? 生意気だな」 「っおい、やめろって!」 「えー? 嬉しいくせにぃ」  岡部からぐしゃぐしゃと髪をかき乱される。  まるで犬扱いだ。  一度殴ってやりたいが、本気を出せば、お互いただでは済まない。  待ち受けるのは怪我と説教と謹慎だ。 「嬉しくない! どうしたらそういう解釈になるんだ」 「鷹也の全部を見てだよ」 「眼科行け!」  鷹也はなんとか怒りを堪え、翔の方に回った岡部の腕を引き剝がす。  そして、翔を腕の中に抱き込むと、岡部から距離を取った。 「ははっ」  腕の中――といっても、収まりきれていないが――から笑い声が零れてきた。  肩を震わせて笑っている翔をじろりと睨みつけると、さらに笑われてしまった。 「翔?」 「ごめんごめん。健斗と張り合っている鷹也が可愛くてね。つい……」 「ついじゃないだろ」  後ろの方から「可愛くてね、には反応しないってどういうことだよ?」という米田の呟きと伊吹の同意する声が聞こえてくるが、それはいつものことだ。  気にしない。    それよりも重要なのは、これまでの翔と岡部の距離感は翔の確信犯だったということだ。  翔の脇腹を突けば、その手を取られる。  手を繋がれたまま手の甲を撫でられ、軽くガイディングされた。  こうされると、甘やかされているようで怒れなくなってしまう。   (手の中で転がされるって、こういうことだよな)  上手く扱われていることはわかっているが、だからといってそれに対して怒りはない。  惚れた弱みというやつだ。   「鷹也も健斗に可愛がられるのはまんざらでもないだろ」 「翔までそう言う? やめろって」 「本気で嫌なら俺ももうしないけど?」  翔が鷹也の顔を覗き込んでくる。  真摯な眼差しに、冗談の色は一切なかった。  翔と岡部の距離には思うところがある。  翔は鷹也の恋人で、大切な半身だが、岡部にはその間に割って入られたようで落ち着かない。  そして、鷹也が知らなかった翔の表情を引き出す岡部に嫉妬している。  だが、翔と岡部は元相棒で、タワーによって引き離された過去を持つ。  岡部は翔の動向をある程度掴んでいたようだが、翔は岡部の生死すらわからなかった時期がある。  それを思うと、彼らの交流の邪魔をするのは良心が傷む。  それに、本当のことを言うならば、岡部に対しては好感を持っている。  翔との近い距離感を抜きにすれば、という前提は入るが。  仕事で地位のある人物と話す機会が多いからか、彼は博識だ。  話し上手で聞き上手。  時間が合えば筋トレや格闘技の打ち合いにも付き合ってくれる。  兄貴分が増えたような感覚だ。  この本音を岡部に言ったことはない。  いつも翔から引き剥がしてからの会話のため、機会がなかったのだ。   「……大丈夫」 「ありがとう」    口の中で小さく転がした言葉に、翔は破顔した。  ただ幸せだけを享受している柔らかい微笑み。  翔のこの顔が堪らなく好きだ。   (キス、したい)  自然と浮かんだ願望。  だが、ここは新居の玄関前で、杉浦たちがいる。  ぐっと欲を堪えていると、至近距離で野太い悲鳴が上がった。 「見た!? 鷹也がデレた! やっと心を開いてくれた!」  鷹也の本音に、岡部は目尻に涙を光らせている。  そして、岡部は喜びのまま鷹也に飛びつこうと向かってきた。   「岡部さんが揶揄わなければもっと早かったと思いますよ」 「それはありますね。だいたい、榎本を揶揄うのは俺たちの特権だったんですけど?」  それを止めてくれたのは、櫂と金城だ。  岡部以外の全員が頷いているのを見るに、岡部の絡み方はやはり難があったようだ。    味方がいてよかったと思った。  だが、聞き捨てならないのは金城の言葉だ。 「いやいや、揶揄わないでくださいよ」 「愛情表現だってば」 「異議ありです」  米田に反論すると、今度は伊吹が援護してきた。   「米田さんがかわいそう。鷹也の意地悪」 「伊吹ぃ。慰めて」 「おぉよしよし」 「俺も慰めて!」 「おう、俺の胸で泣いていいぞ」    目の前で繰り広げられる米田、伊吹、岡部の茶番劇に、開いた口が塞がらない。  生きてきた環境はまるっきり違う三人だが、妙に馬が合っている。  三人が組むと碌なことにならないのは、ここ最近で体験済みだ。    嫌な汗が背中を伝う。  助けを求めて翔を見て、そして杉浦に視線を送る。   「須藤。宿の時間、大丈夫か?」 「大丈夫ですが、もうすぐ予定していた出発時間です」 「だってさ。ほら、解散。全員帰るぞ」    杉浦の声掛けに、鷹也を揶揄っていたメンバーがはっと表情を変えた。  鷹也も時間という単語を聞き、腕時計を見る。  時刻は午後三時五十分。  渋滞に巻き込まれる可能性を見越した出発時刻まで、あと十分だ。 「うわ、すみません。追い出すような感じになってしまって」 「大丈夫。誰も気にしてないって」 「休暇、楽しんで来いよ」  鷹也の謝罪に、仲間たちが次々と声をかけ、手を振って背を向けていく。  一瞬ひやりと冷たくなった胸が、一気に温かくなった。 「ありがとうございました」  遠くなっていく背中を見送ると、翔がそっと手を繋いできた。 「行くか」 「ああ」  休暇に必要な荷物はすべて車に積んでいる。  新居の鍵を閉め、鷹也と翔は白いスポーツタイプの車に乗り込む。  運転は、この車の持ち主である翔だ。  心地良いエンジン音を鳴らし、車は滑るように走り出した。    鷹也と翔は、警察官を続けることにした。  一度はベフライエンとして能力者のために生きることを選んだが、それでも、上層部は鷹也と翔が警察に残れるように取り計らってくれた。  これからの仕事に期待されている。  そう思うと、その期待に応えたくなった。  それに、鷹也と翔には、警察官としての誇りや、国やそこで生活をする人々を守り助けていきたい気持ちが強くあった。  責任の取り方を考えた結果、鷹也と翔は警察の道を再び歩み始めた。    今はSATに所属しているが、鷹也と翔、そして、杉浦班のメンバーは、次の春に、SAT内に新設される「センチネル・ガイド対処部隊」への配属が決まっている。  能力者による犯罪を取締ること、そして、タワーやベフライエンと連携して能力者を保護することが主な仕事だ。  昨今の情勢を踏まえた肝入りの部署のため、事件処理が落ち着いた今は、少しずつ準備をしている。    あの事件以降、ある程度落ち着くまでは文字通り休む間もなく働いていた鷹也たちに、上層部から指示があったのは三週間前だ。  それは、仕事が回る範囲で、全員溜まった休暇を取れというもの。  思い返せば、夏は過ぎ、目の前に秋が迫っている。  通常の休暇だけでなく夏季休暇まで返上して働いていたのだ。  休暇の大盤振る舞いに、SATの基地が揺れるほど隊員たちの喜びの雄叫びが上がったのは言うまでもない。  鷹也も例外なく休暇を喜び、予定を立てた。  そして、今日は待ちに待った休暇だ。  贅沢に十日間連続で取った休み。  通常なら怒られるであろう日数も、おかげで誰からも咎められることなく取得できた。  鷹也が十日間も休暇を取った理由。  それは、翔と同居するための引越作業をすること。  そして、翔とボンドを結ぶためだ。 「ナビだと渋滞なし。着くまで一時間半だ」 「予定より早く着くかもしれんな」 「そうなったら俺が旅館に連絡する」 「頼む」  向かう宿は、生田雄介の実家が経営する旅館だ。  彼は、鷹也と翔がその旅館の離れに泊まれるように手配してくれた。  その理由は、パーフェクトマッチである鷹也と翔が関係してくる。  パーフェクトマッチであるセンチネルとガイドが出会う確率は低い。  その二人がボンドを結ぶのはさらに稀だ。  鷹也と翔は、事態が落ち着いたらボンドを結ぶことを決めていたのだが、それを嗅ぎつけてきたタワーの研究者――もちろん海老原らとは無関係だ――から「生体記録を取らせてほしい」と依頼という名の懇願をされた。  ボンドを結ぶのは、体を繋げることとイコールだ。  それをモニターされるなんて嫌に決まっている。    だが、パーフェクトマッチのセンチネルとガイドがボンドを結ぶ事例は少ない。  通常では考えられないような不測の事態が起きる可能性もある。  翔と話し合った結果、トラブルに対処してもらえるならと、研究者の依頼を受けたのだ。  では、それをどこでしようかと協議していたところ、話と聞きつけた生田が場所を提供してくれることになった。  それが、今回目指している旅館だ。  ついでに溜まった休暇を消化しつつ、旅行もすることになっている。  旅館に着いたのは、空にぽつりぽつりと星が瞬き始めたころだ。  鷹也と翔は純和室の離れに通され、まずは豪華な食事と離れに隣接した露天風呂で心身を癒した。

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