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第1話 人身事故の車内にて(2)
「電車酔い……」
電車でガチで酔っている人を初めて見た。そしてこんなに酔っているのに、ここからしばらく出られないなんて、なんて不運な人なんだろう。
幸いなのは固形物がない内容物を見るに、あまり量はもどさなさそうなところだ。
男は落ち着いたのか荒い息をしながら、ポケットティッシュで口を拭いた。
「水いります? 飲みかけですけど」
「え、ごめん」
半分ぐらい飲んだのみさしの水だけど、口の中の不快感はまぎれるだろう。酒を飲みすぎて吐くことはよくあるので、吐いている人は親近感がある。
男はペットボトルを受け取ると、水を飲みほした。
「何から何まで、ありがとう。ごめん、自分、どっか行くところやったんちゃうん?」
「や、別にもういいです」
「そっか、ほんまにありがとう。あれ、もしかして、会ったことある?」
こんな最低な場面で最悪なナンパだなとおもいつつも、俺も見たことがあると思っていたので、少しだけ考える。
「俺も、そう思ってて」
「あっ、さっきのバイトで一緒だった人か」
「あぁ」
今日はバイトに行っていた。シフトで入っているバイト以外でたまに行く日雇いバイトだ。イベント会場の設営で、バイト同士で話すことはなく、マスクをする人が多いし、帽子が義務付けられているので顔もなかなか覚えず親しい人はいない。でも今日この人は盛大にこけて機材に突っ込んで怒られていたので何とか思い出せた。帰宅方向が一緒だったようだ。
「人身事故ってどれくらい止まるんでしょう」
「一時間はかからんことが多いって聞くけど、どやろ」
「人身事故に乗り合わせたことありますか」
「いや、ないな。電車酔うからあんま乗らへんし」
男はぼんやりと宙を見ている。男がもう大丈夫なら立ち去ってもいいのだけど、今が初めてじゃないという微細な関係と、そもそも電車からは出られないというのもあり、なんとなく話つづけてしまっている。
「関西の人?」
「あっ、そうそう、いま、めっちゃ関西弁やな。もうプライベートはあんまり出えへんねんけど、弱ってたらとっさにでるんやなぁ」
「芸人みたい」
「ほんま? おれほんまに芸人やねん。売れてへんけど」
本当だろうか。男は壁に肩も頭も預けている。こんな限界の人間が知らない人間に嘘も吐かないか。
「奇遇ですね。俺も売れないバンドマンなんですよ」
「ほんまか、奇遇やな」
男はなんのてらいもなくわらった。
売れないバンドマンと言うのにいつもストレスがあった。売れないと本当は言いたくないけども、認知されてないし、音楽一本で食えてもないから、言われるよりましだと先回りして言っている。じゃあそもそも言わなければいいのに、ただのフリーターっていうのもカッコ悪い気がして免罪符として名乗る。好きだったはずの音楽を自分の自尊心のためにつかう。
最近は自虐につかれて、自分の話は極力しない。でも今は自虐を言うのがつらくなかった。目の前にいるのは同じような境遇だけど、自分の環境とは関係ない人。もしかしたら一番気をつかわない立場の人かもしれない。
「たいへんですね、お互い」
「ほんまやで~」
みじんの大変さも感じないゆるい語尾で男は笑った。
宵の口、日雇いバイトの帰り、事故で閉じ込められてどうしようもない日。酸っぱいにおいの中で、何の解決にもならないのに同意を得られるのがほほえましい。ほほえましいってこういう時に使う言葉だっただろうか。違うような気もするけど今までおぼえたことのない感覚だから正解の語彙がわからない。
「あ、なんか、放送聞こえる?」
横の車両で放送が鳴っているらしい。男は動こうとしておおきくむせて、ビニール袋に顔をつっこんだ。
「まだっぽい。じっとしてた方がいいっすよ」
横の車両の人々は変わらずスマホを見て時間つぶしを続けている。
「ごめんなぁ。相手させて」
「別に大丈夫です。乗りかかった船なんで」
普段の俺はこんな善人じゃないはずなのに、弱っている姿をさらけ出されているからか、その見返りのように自然と面倒をみてしまう。
「あ、あれあったような」
リュックの中に貰い物の手持ち扇風機が入れっぱなしだったので、男の顔にむけて回した。すこしでもにおいがましになればと思ったけど、電池がないのか風圧が弱い。
「風、気持いやん」
弱い風なのに、男は嬉しそうに扇風機に顔を向けていた。
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