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髪型

ある日の午前中。 研究室は珍しく、雑談めいた空気に包まれていた。 「そういう点だと、シャルルさんはいつもちゃんとしてますよね」 「わかる。身だしなみが安定してる」 「それに比べてドクター・バイルは……」 「……私は、特に気にしていないが」 淡々とした返答に、周囲から小さなどよめきが起こる。 「いやいや、長なんですから!最低限は気にしてくださいよ〜」 「そうそう。ほら、シャルルさんを見習って!」 ちょうどその時、研究室の扉が開いた。 「え? なに? 俺の話?」 声の主――シャルルが、資料を抱えたまま首を傾げる。 「あ、いいところに!シャルルさんって、いつも身だしなみ整ってますよね」 「あはは……。別に、そんなにこだわってるわけじゃないですよ」 「またまた〜!」 誰かが軽い調子で言った。 「そうだ、先生。シャルルさんに髪でも切ってもらえばいいんじゃないですか?」 一瞬、空気が止まる。 「えぇっ!?」 シャルルが目を見開く。 「ちょ、ちょっと待ってください!俺が、先生の……?」 「いいじゃない。器用そうだし」 「うん、似合いそう」 「勝手に決めないでくださいよ!」 視線が一斉にバイルに集まる。 「……私かい?」 少し考えるように顎に手をやり、バイルはあっさりと言った。 「こだわりはないからね。シャルルくんがいいなら、任せようかな」 「先生まで!?」 「君も、よく髪を整えた方がいいと言っているじゃないか。何も問題はないだろう?」 「問題しかないですよ……!」 渋々、シャルルは深いため息をついた。 「……分かりましたよ。でも、ほんとに期待しないでくださいね」 ⸻ 散髪は、研究個室で行われた。 「……視界が広い……」 髪を切るために分けられ、露わになった顔に、バイルは肩をすくめるように呟く。 「そりゃ、今まで前髪で随分隠れてましたからね……」 「慣れないな」 「慣れてくださいよ……」 シャルルは小さく唸りながら、慎重に鋏を動かす。 「……あの、先生」 「うん?」 「俺、髪型とか……正直よく分かんなくて……」 声はだんだん小さくなり、最後の方はほとんど聞き取れなかった。 「問題ないよ」 背を向けたまま、バイルは静かに答える。 「合理的であれば、それでいい」 「俺が気にするんです!」 切り終えて、シャルルは一歩下がった。 「……はい。一応……終わりましたけど……」 渡された手鏡を覗き込んだバイルは、しばし沈黙し―― 「……ほう」 「や、やめましょう!じっくり見ないでください!」 「興味深いね……」 「先生っ!」 研究個室を出ると、外で待っていた同僚たちが一斉に吹き出した。 「……ぷっ」 「意外と、似合ってますよ」 「ちょっと!俺だって、なんでもいいって言われたから……!」 ――バイルの髪は、シャルルとよく似た形に整えられていた。 同じ長さ、同じ分け目。けれど、質は違う。 サラリと落ちるバイルの髪と、少し柔らかく、癖のあるシャルルの髪。 その違いだけが、はっきりと残っていた。 ⸻ その夜。 「……俺……身だしなみ、もっと勉強しないとですね……」 「そうかい?私は、この髪型は合理的だと思うが」 「俺が恥ずかしいんです!ほんとに……!」 そう言って、シャルルはため息をひとつ挟み、続けた。 「この髪型にしてるのって、一回切ればしばらく髪について考えなくていいからなんですよね……。それに、セットもそこそこ簡単だし……」 少し言い淀み、視線を落とす。 「でも、人の髪を整えるってなると、自分がいつもやってるのだけじゃダメなんですね……」 「まあ、様々なことに興味を持つのは良いことだ」 バイルは、いつも通り淡々と続ける。 「予想外のところに、解決の糸口があることもあるからね」 シャルルは、何も言い返せなかった。 ――そして翌朝。 「先生、おはようございま……」 リビングの扉を開けたシャルルは、バイルを見て言葉が止まる。 「……どうしたんだい?」 「な、なにその寝癖……!」 「寝癖?」 バイルは自分の髪に触れ、少し考える。 「……あぁ。ずっと長かったから、気にしたことがなかったな」 「今日から気にしてください!」 洗面所に連れていき、くしを通す。 バイルの髪は、たったそれだけで寝癖が嘘のように目立たなくなった。 絶句するシャルル。 「うそ……!先生の髪って、素直なんですね…… 俺のとは違うや……」 「そうなのかな?」 バイルは首を傾げる。 「私には違いが分からないが……。昔からこうなんだ。どうせすぐ直るものに手間をかける時間が惜しくてね。それもあって、ずっと切らなかったんだ」 朝の支度を終え、今日は珍しく二人揃って研究室へ向かった。 扉を開けた途端、同僚たちが待っていたかのように声をかけてくる。 「朝からお揃いなんて珍しいですね! シャルルくん、お似合いですよ!」 「……私か?」 「そっちは先生です!!! 本当にやめてくださいよ!!」 「だってさ〜、髪型同じだし」 からかう声に、シャルルは顔をしかめて必死に弁明する。 一方のバイルは、そんなやり取りにはまるで興味がない様子で、 何事もなかったかのように資料を取り、研究に取りかかった。 ――研究室には、 慌てふためく助手と、まったく気にしない長の姿があった。

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