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会食

食事会に誘われたバイルは、結局それを断りきれなかった。 研究の話が少しでも進むなら、顔を出すべきだろう―― そんな理屈を、自分に言い聞かせて。 シャルルは、あくまで助手という立場だ。 最初から、参加する話にはなっていない。 しばらくして、通信が入った。 迎えに来てほしい、という短い連絡だった。 店に着くと、バイルは相当に酔い潰れていた。 虚ろな目で天井を睨み、何かをぶつぶつと呟いている。 「……先生?」 耳を澄ませてみると、どうやら研究のうわ言らしい。 数式や仮説の断片を、意味もなく繰り返している。 (……ほんと、向いてないんだから……) シャルルは小さく息を吐き、肩を貸した。 バイルは抵抗することもなく、そのまま体重を預けてくる。 家に着くと、布団に横になった瞬間―― というより、放り込まれた瞬間に、バイルは倒れ込んだ。 「先生、着替えた方がいいですよ……。食事の匂い、服に移っちゃってますから」 「……匂い……?」 焦点の合わない目が、ゆっくりとシャルルを見る。 「あぁ……僕が、臭いって話かい……。そうかもしれないなぁ……」 くつくつと、意味の分からない笑いを零す。 「でもね……最近はさ……ぼくの、優秀な助手のおかげで……だいぶ、マシになったと思うんだけどなぁ……」 言葉が、次第に絡まり始める。 「ほんと……感謝しきれない……あぁ……シャルルくん……?」 一瞬、目を細めて、まじまじと顔を見つめる。 「……いやはや……こんな幻覚まで見るようになったとは……やはり、早く帰るべきだったかもしれんな……」 そこまで言って、 バイルはぷつりと意識を手放した。 ──────  シャルルは、しばらくその場に立ち尽くしていた。 布団に倒れ込んだバイルは、もう完全に眠っている。 先ほどまで動いていた口元も、今は静かだ。 「……幻覚って」 小さく呟いて、苦笑する。 (迎えに来いって連絡してきたくせに……) 上着を脱がせようとして、ふと手が止まった。 近くで見ると、酒と料理の匂いが混じっている。 「……ほんとに、無茶するんだから……」 ため息混じりに、そっと上着を脱がせる。 バイルは一瞬だけ眉を寄せたが、目を開けることはなかった。 その拍子に、前髪が崩れ、顔がよく見える。 ――眼鏡は外れ、その眉はいつもよりずっと穏やかだった。 研究室で見る「ドクター・バイル」より、ずっと無防備な顔だ。 (……こういうところ、誰にも見せないんだろうな) 思わず、視線を逸らす。 着替えを済ませ、布団を整え、水を用意する。 その一連の動作が、すっかり手慣れていることに、今さら気づいてしまう。 布団に戻ると、バイルが小さく身じろぎした。 「……シャル……」 聞き間違いかと思うほど、弱い声。 「……君は……ほんとに……」 続く言葉は、眠りに溶けて聞き取れなかった。 シャルルは一瞬、息を止め―― それから、静かに息を吐く。 「……起きてる時に言ってくださいよ、先生」 そう言って、掛け布団をかけ直した。 その指先が、ほんの一瞬、バイルの袖に触れる。 (……俺がいないと、本当にダメじゃないですか) 心の中だけでそう呟いて、シャルルは灯りを落とした。

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