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第2話 パンとパンツとオムレツの朝

 その日、俺は幸せな夢を見ていた。  緑深い森の中で、もふもふの可愛い動物たちに囲まれる俺。  ウサギにリス、シカにキツネにオオカミが、みんな人懐っこく俺の足元に群がってくる。 「よしよし。いいこ、いいこ」  にやけた顔で、群れの中のオオカミの頭を撫でる。オオカミはまるで犬みたいに尻尾をブンブン振って、「くぅん」なんて甘えた声で擦り寄ってくる。 「くっ、可愛い……っ!もふもふ最高すぎる……っ!あーあ、ウチで飼えたらなぁ」  なんてデレデレしてたら——  ズンッ!  いきなり木々の隙間から、よだれを垂らした巨大なクマが現れた。  目が合った瞬間、そいつは低く唸って俺に突進してくる。  やばいやばい!!食われる!!死ぬ!!  ……と思ったら、なぜかクマは俺を抱き上げて、腰のところをギューっと抱きしめてきた。  けど、それがめっちゃ痛い!  これ完全に締め技だろ!!なんか見たことある体勢だと思ったら、エドモンド本田のさば折りだコレ!!   「は、離せーッ!!」  そう叫ぶと同時に——俺は、ベッドの上で目を覚ました。  心臓がバクバク鳴って、額には汗が滲んでる。  そんな悪夢から帰還した俺の目の前に居たのは。   「おはよ、ナオ♡今日も可愛いな♡」  夢で俺を襲ったクマ。  ……に、負けず劣らずなガタイをした伊佐希が、へらっと笑って俺を抱きしめていた。 「……伊佐希。お前、いつベッドに入ってきたんだよ……」 「30分くらい前やな。ナオの可愛い寝顔ずっと見てたで♡あまりに可愛すぎてギューってしたら、急に唸って目ぇ覚ますからビックリしたわ」 「こんな強さで抱きしめられたらうなされるに決まってんだろ!おかげでこっちはクマに締め技喰らう夢見てたんだぞ!!」 「夢に見てまうくらい俺のこと想ってくれてたん?やっぱ運命やなぁ〜♡ナオと俺は、夢ん中でも一緒なんやな♡」 「ナチュラルにクマを自分に変換すんな!!つーかお前が原因の悪夢だっつってんだろ!!」  ああもう、なんで朝からこんな声張らなきゃいけないんだよ!こちとら寝起きで声カスカスなんですけど!?  ていうか、朝っぱらからこのテンションについていってる俺も俺だ。でも伊佐希は昔から常にこんなノリだし、12年も一緒に居たらさすがに慣れてきてしまってる。  ……完全に毒されてるなぁ、俺。  当の伊佐希はというと、ギャンギャン文句言ってもどこ吹く風。ニコニコしながら俺を愛でてるだけで、なんにも堪えちゃいない。  こっちは締め技抱擁を受けて、体力ゲージ削られてんのに。ていうかいい加減離して欲しいんだけど! 「はぁ……ていうか、今何時……?」 「8時ちょいすぎやな。朝メシ出来とるから一緒に食べよか」 「あれ?今週は俺が当番じゃなかったっけ」 「気にせんでええって。ナオは昨日遅くまで仕事してたんやし、これくらい俺がするって」 「それは……ありがとう。助かるよ」  ……素直に感謝したら、優しく微笑まれて頭を撫でられてしまった。  伊佐希ってたまにこうやって、マトモに甘やかしてくるんだよな。……そういうとこ、ほんとにズルい。 「ほな俺は先にメシ並べとくな。ナオも用意出来たら出てきてや」  ちゅっ、と頬に軽くキスして、颯爽と部屋を出ていく。やけにあっさりした引き際に、なんだか調子が狂う。 「……まったく、朝から伊佐希は……」  なんてため息つきながらも、そっと頬に触れる。  ……ちょっと照れくさいような、くすぐったいような気分。  この騒ぎのせいで、夢のもふもふたちとお別れになったのは悔しかったけど——  なんだかんだ、こんな朝が嫌いじゃないんだよなぁ、俺。  ああ……でもオオカミくん、まだ撫でてたかったなぁ。 「……さっさと起きるか。伊佐希が待ってるだろうし」  にへらっとしながら、布団をよけてベッドの端に腰掛ける。抱きしめられ続けた身体はガチガチだ。俺はぐっと伸びをして、ふと視線を落とす。    ——と、そこで、見えてはいけないものを見た。 「……ズボンが、ない」  丸出しの太もも。  ちゃんとパジャマを着てたはずの下半身がスースーする。それと一緒に、頭の中まで冷えてスースーしてくる。  そして太もも……だけなら、まだ良かったんだけど。  この感じ、いや、まさか——  嫌な予感がして、パジャマの上着のすそをそーっとめくってみる。  そうしたら。 「……パンツも、ない……」  尻も、アレも、丸出し。  気付いて呆然。数秒沈黙。  そして。 「…………は……?はああああああああっ!?」  湧き上がる羞恥と怒りで、頭がパンクしかける。  こんなことするのは絶対アイツしかいない!! 「伊佐希ぃーーーーーッ!!!」  さっきまでのほわほわした気持ちは完全に吹っ飛んだ。  バンッ!って部屋のドアを乱暴に開けて、ダイニングへ突撃する。すると朝メシを並べていた伊佐希が、途端に楽しそうな顔でニヤけだす。 「おっ、パンツ難民のお出ましやな」  パジャマの上着だけ着て、怒りの形相で仁王立ちする俺。その下半身に、伊佐希の視線が滑ってく。  なんだよパンツ難民って!!ていうかほぼ自白だろ、それ!! 「伊佐希ッ!!俺のズボンとパンツどうしたんだよ!!」 「さっきベッドに潜り込んだ時、ちょっとずり落ちてたから脱がせといたで」 「なんでだよ!!ずり落ちてたならズボンを上げろよ!下げんなよ!!」 「いや〜、ナオのパンツが『脱がせて欲しい』って囁いてきてなぁ……誘惑に勝てんかったんや」 「パンツは囁かないんだよ!!幻覚キメんな!!ニュータイプかお前は!!」 「認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを」 「シャアはパンツを盗まないんだよッ!!!」  伊佐希はテーブルにサラダを並べながら、まるで反省の色ナシ。乙女チックなピンクのエプロンをヒラヒラさせながら、ずっと俺の下半身を凝視してる。  うぅ……なんなんだこの辱めは!! 「ナオのその格好えっちやなぁ♡朝からサービス満点でたまらんわ♡」 「見んなっ!見んなヘンタイ!!ていうかサービスじゃないから!!立派な抗議だからッ!!」  両手でパジャマの裾を引き下げて、慌てて下半身を隠す。  ああもう最悪!なんで爽やかな朝をノーパンで過ごしてるんだよ、俺! 「つかパンツは!?どこやったんだよ、マジで!」 「洗濯機に入れといたで。ズボンは」 「ズボンはって……パンツは!?」 「パンツはなぁ……旅に出たんや。俺より強い奴に会いにいく言うてな」 「スト2ネタ引っ張んな!!ていうかお前……盗ったな?」    伊佐希の前に立ち塞がって、ギロっと上目で睨む。21センチも身長差があると、完全に見上げる形だ。側から見たらもう、大人と子どもくらい背が違う。 「ナオ……俺がナオのパンツ盗むと思うか?見てみ?この澄んだ目を」 「うん、完全に欲望にまみれてるから。リビドーフィルターで濁りまくってるから。ていうか伊佐希は前科持ちだからね?洗濯物カゴから俺の脱いだパンツ持ってったの、一度や二度じゃないよね?聞きたくないけど、俺のパンツで何してんの?」 「俺の部屋で『ナオ博』開催するための貴重な資料にしとるで?ちゃんと発掘年月日のタグつけて、ジップロックに入れて匂いもちゃんと密閉保存しとる!!」  ……は?…………『ナオ博』??  あまりに斜め上な目的に、思わず唖然とする。けど、ケロッと狂気じみた催しを行おうとしてる伊佐希に、じわじわと怒りが上ってくる。  やられてたまるか!そんな博覧会!! 「なんだよ『ナオ博』って!!俺の許可なく開催すんな!!それに発掘じゃなくて盗掘だろ!!ていうかお前はパンツ入れられてるジップロックの気持ち考えたことあるのかよ!!旭化成に謝れよ!!!」 「おおう……ようボケ拾うな。阪神のスカウトよりええ拾い方するやん。ツッコミドラフト、1位指名間違いなしやな」  そう言ってにっこり満面の笑み。  まっっったく話が通じない!朝からほんと疲れる……。 「俺、怒っとるナオの顔も可愛くて好きやねん。その顔見たくてついイタズラしてまうんや。ほんまごめんな?」  小学生の動機かよ!ていうかてへぺろ顔すんな!  ……確かに昔からよくからかわれてきたけど、このイタズラはイタズラの域超えて犯罪だからな?訴えたら俺が勝つからな?  でも俺がどれだけ怒鳴っても、伊佐希はずっと笑ってる。  悪びれもしないし、こっちの羞恥を楽しんでサイテーな顔してる。  だけどふと、そんな顔に優しさがよぎって。 「しゃーないな。ほな俺がナオのために買った新しい下着プレゼントするから、これでも履いといて」  伊佐希がエプロンのポケットから、何かを出してきた。  いや、何かってパンツ入った紙袋なんだけど。入れんな、そんなとこに。 「勝手に俺用のパンツ買うなよ……って言いたいところだけど、とりあえず受け取るわ……」  ノーパンでいるワケにもいかないしと思って、ペリっと袋を開ける。  そうしたら、中からほんとにパンツが出てきた。  いやこれ……パンツ?パンツか?? 「伊佐希……?これ、パンツじゃなくてゴム紐に見えるんだけど……?」 「凄いやろ?これな、ジョックストラップ言うんやけど——」 「ゴム紐に大層な名前つけるな!!」 「いや、俺が名付けたんちゃうし」  床に叩きつけてやりたい気持ちをぐっと堪える。こんなんでも伊佐希が俺のために買ったんだと思うと、どうしても粗末に扱えなくて。  ……まぁその分、思いっきり手で握り潰してるけど。 「ていうかなにこれ!?全然布ないじゃん!!パンツってもっと包み込むもんだろ!!」 「これスポーツん時に股間ブラブラすんの抑えるモンなんやて。だからゴムなんやない?それにほら、前にはちゃーんと布あるやろ」 「でもケツ!!ケツ!!!」  隠す気ゼロの作りに、思わず一点突破ツッコミしてしまう。このパンツ、丸出しどころかケツ強調しようとしてない?スポーツに必要か?それ。   「……もういい。部屋で新しいの履いてくる」 「えー。俺のプレゼント履いてくれへんの?」 「履くか!!」  捨て台詞を残しつつ、急いで部屋に戻ってタンスを開ける。  ……しまった。このゴム紐持ってきちゃった。仕方ない。タンスの奥底に眠っててもらおう。  新しいパンツを履いて、ついでにパジャマを着替える。ようやく人心地がついた気分だ。  パンツは文明であり、人間の進化の証だ。  俺は今、やっと人間になれたんだ。 「ナオ〜!パン焼けたでー!何つける〜?」  なんてアホな感動に浸ってたら、ダイニングから伊佐希の声が聞こえてきた。俺は脱いだパジャマを片付けながら、ドアの向こうに返事をする。 「いちごジャム!この前カルディで買ったやつ!」 「オッケー。ナオの好きなオムレツも出来上がったで♡熱いうちにはよ食べようや」 「やった。今行くー!」  ドアの隙間からふわっとバターの香りがして、思わず小さくガッツポーズしてしまう。  伊佐希の作るオムレツ美味しいんだよな。ベーコンとほうれん草入ってるやつだといいな。  ……ハッ!俺、あっさりメシに釣られてる! 「……まぁいいか。オムレツで許してやるか」  盗まれたパンツは、オムレツになったと思おう。    ……いや、やっぱ許していいのか?これ。どう考えても等価交換じゃないだろ。 「こうなったらスイーツも要求してやろ。ハーゲンダッツおごらせてやる……!」  仕方ないから、今回はそれで手打ちってことにしといてやろう。  ただし次盗まれたら、今度こそ「訴訟!」って訴えてやる。伊佐希に毅然と、「法廷で会おう」って言ってやるんだ。   「ナオ〜!」  そんな覚悟をしながら、俺はぐうっと鳴るペコペコのお腹と一緒に、伊佐希に返事する。 「今行くってー!」  ——こんな風に、バタバタとした俺たちの朝は始まる。  騒がしくて、バカな毎日。  でもそんな日々が。  伊佐希と暮らす毎日が。  今日も俺は、大好きだ。

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