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PAST/和泉平匡 扉の向こう 前編

 朝宮伊佐希という男は、とにかく目立つ奴だった。  デカい図体に、派手な金髪とピアスだらけの耳。  美形と野性が同居した顔立ちと、人間味のねぇ獣じみた目。  その存在感は、怖いくらい圧倒的だった。初めて教室に入ってきた時、クラスの奴らが一斉にしんと静まり返ったのが、今でも忘れられない。  ——ヤバそうな奴だな。  そう感じたのは直感だった。  ビリビリと肌が粟立って、コイツには関わらねぇ方がいいと本能が叫んだ。  なのに、伊佐希は俺の目の前にドカリと座った。「朝宮」と「和泉」って苗字のせいで、席が前後になったせいだ。  ……ツイてねぇ。  俺の高校生活、いきなり詰んでんだろ。  つーかこんなデカブツが前にいんの、視界の邪魔なんだけど。    内心悪態つきながらも、俺は声をかけようか迷った。そんで悩んだ末、友好的なアピールしといた方がいいだろって結論になった。 「俺、和泉平匡。よろしくな」  巨人みてぇな背中に、わざと明るく声をかけた。そうしたら伊佐希はピクっと反応して、めんどくさそうに振り返った。 「………………ふん」  目があったのは一瞬だけ。  ゴミでも見るような、冷たい目だった。  まさかの挨拶なし。友好度ゼロかよ。  さっさと俺から目を離した伊佐希が、お構いなしにイスを倒してきた。古いイスはギッと悲鳴を上げて、目の前で、金の針みたいなツンツン髪が揺れた。  あーあ、話しかけなきゃよかった。  無駄な労力に苛立ちながら、俺は窓の外に視線を投げた。  目に入ったのは、磨かれたガラスの向こうに広がる、何日も続く曇天。  ——風に走る雲が、鈍色を空の端まで広げていく。  朝だってのに、夜みてーな空だった。  入学初日くらい晴れろよなってイラついたら、急にこめかみがズキンとして、思わず指で抑えた。  痛みの原因は、低気圧のせいだったのか、先行き不安なせいだったのか。  頭も胸も、やけにザワザワして落ち着かなかった。それでも、気のせいだって自分に言い聞かせてたけど——    嫌な予感は、ズバリ的中してしまった。  三○三号室  朝宮伊佐希  和泉平匡  ——嘘だろ。  まさかの同室かよ。  寮のエントランスに貼られた部屋割りを見て、愕然とした。クラスにも部屋にも、俺の安息はないんだって絶望した。  周りの奴らは「ご愁傷様」なんて笑って、完全に他人事だ。でもまぁ、俺が外野だったら、同じこと思ってたかもしれねぇ。  ガックリしながら部屋に入ったら、そこにはすでに伊佐希がいた。勝手に二段ベッドの下を陣取って、だらしねぇ制服姿のまま、寝そべってスマホをイジってた。     「……よぉ。部屋も一緒だな。今日からよろしく」  相変わらず、伊佐希はろくな反応をしなかった。俺をジロッと見ただけで、視線はすぐにスマホに戻った。  ダメだ。無理無理、ぜってー無理。  こんな意思疎通取れねぇ奴とどうやって暮らしてくんだよ。  こんなんでこれから先、やっていけんのか?  不運を呪いながら、俺は心の中でデカいため息をついていた。  卒業までの三年かけたって、コイツとは絶対仲良くならないだろうなって思った。      ——なのに。  俺の伊佐希に対する印象は、思いもよらず覆った。 「ナオ、お疲れさん♡今日も制服似合っとるな♡」 「……もう。入学してから毎日それ言ってるじゃん」 「何回見てもブレザー姿のナオが可愛いんやからしゃーないやろ?なんなら卒業まで毎日言うたるわ」 「うわ……伊佐希ならほんとに言いそうで怖い」 「なんでや!怖ないやろ!!むしろそこは嬉しいちゃうんか!?」 「俺、別に可愛くないし。ていうか可愛いって言われて喜ぶ男いないでしょ。それに、幼馴染の男に可愛いって言い続けてる伊佐希はだいぶおかしいからね?」  ——なんだ、あれ。  そう、目を疑った。  朝宮伊佐希が、人と話してる。  それも、楽しそうに。    クラスにいる時と、目つきも、仕草も、喋り方も、全然違う。  ウキウキして、バカみてぇなノリして、なんかこう……ただの、男子高生してて。    そんな信じられない光景に、俺は、思わず釘付けになってしまった。 「……は?」    そのとき湧いた感情は、なんだったんだろう。  野次馬みてぇな興味とか、好奇心とか——  今でもよくわからねぇけど、でも、確実に言えるのは 「朝宮って……あんな顔するんだな」 「あんな風に、誰かを見つめるんだな」  ……って、目を見張ったってこと。  ——それから俺は、朝宮伊佐希という男を、よく観察するようになった。  そうしてわかった。  伊佐希は、あの時一緒にいた奴——ナオの前でだけ、ああなるんだって。 「この前のテスト、満点やって?やっぱナオは頭ええし、頑張り屋さんやな〜」 「今度の休み、家に帰るんやろ?俺も一緒に行ってええ?」 「なんや顔色悪ないか?……ちゃんと寝れてるんか?具合悪いんやったら、ナオの部屋で看病しよか?」  伊佐希は、いつもナオを追いかけていた。  ストーカーかってくらい執拗で、甘やかし方も過保護で——でも、ナオがほんの少しでも嫌そうな顔をすれば、伊佐希は必ず引いた。それ以上は決して踏み込まなかった。  幼馴染だってのは、ふたりの会話で知っていた。けどそれにしたって、ふたりの空気は異様だった。    バカみたいにふざける伊佐希と、呆れてツッコミながらも、静かに笑うナオ。  それだけ見たら、ただの気の合うダチ同士だ。  遠慮のない距離は過ごしてきた時間の長さで、ふたりの歴史そのものなんだって思った。  だけど俺は、それだけじゃない気がしていた。  伊佐希はずっと、クラスでひとりだった。  群れることを嫌うみたいに、誰も彼をも冷たく遠ざけていた。  そしてナオもまた、周囲から浮いていた。  伊佐希といる時以外、学校でも寮でも、いつもひとりでどこか遠くを見つめている奴だった。    ふたりは、ふたりでいる時だけ笑っていた。  ふたりの世界には、ふたりだけしか許されていなかった。  そんな、触れてはいけないような閉じた空気を——俺は何故か、痛いくらい感じていた。    伊佐希と一緒の部屋になって、一ヵ月が過ぎた頃。  どうなることかと思った同室生活は、思いのほか快適に過ごせていた。  伊佐希も俺も、部屋にいる時は大抵、黙ってスマホをイジっていた。  ナオの写真見てニヤける伊佐希と、複数の女相手に淡々と文字を打つ俺。そこに会話はなかった。  俺たちは干渉し合わなかった。  気を遣わなくていいのが楽だったし、それは伊佐希も同じだったのかもしれない。  言葉を交わさないことで、俺たちは距離を見つけていった。  示し合わせたわけでもないのに、起きる時間や寝る時間、飯や風呂に行く時間はよく重なって、なんとなく一緒にいることが増えた。  ……そうしたら、いつのまにか俺たちの間には、小さな関わりが生まれるようになった。  俺が寝坊した時、「いつまで寝てんねん」って起こしてくれたり。  授業で伊佐希が当てられた時、俺がこっそり答えを教えてやったり。    些細なやりとりをするようになって、いつしかそれが自然になっていった。仲が良いかと言われたら首を捻るけど、俺の中にはもう、伊佐希を怖いと思う気持ちはなくなっていた。  ——その頃、寮ではあちこちで人間関係の話を聞くようになった。  同室の奴と仲良くなったとか、ケンカしたとか、中にはムラムラしたから抜きあったなんて、とんでもねぇ話まで聞かされたこともあった。  そこまですんのかよ。男子校って怖ぇな。  完全に他人事として聞き流しながら、俺は初めて、同室が伊佐希でよかったと思った。  伊佐希には、ナオしか見えていない。  だからこそ俺には干渉してこないし、間違ってもヘンな目で見られることもない。  そんなおかしな安心まで覚えるようになった。  ——なのに。  俺の伊佐希に対する印象は、またも覆ってしまった。    それは、ある日の自習時間のことだった。  教師が外した教室はすぐに騒がしくなって、一部の奴以外、勉強する空気は消え失せていた。  特にバカ騒ぎしていたのは、特待のバスケ部連中だ。一際背の高いリーダー格、伏見のところに集まって、大声でエロ話に花を咲かせていた。 「そんでよ、その女がめちゃくちゃユルユルでよぉ。誰とでもヤるってウワサはマジだったんだよ」 「ギャハハ!いいじゃん、俺もヤりてぇ〜!」  クラスの奴らの大半が、迷惑そうにしていた。けど、ガチの体育会系に注意できるような奴は誰もいなかった。  俺もそのひとりだ。面倒なことには関わりたくねぇから、黙って無視を決め込んでいた。  そんな時だった。  伏見が、急に伊佐希に目をつけたのは。 「なァ、朝宮ァ。お前ってさ、あの天海ってヤツとヤってんのか?」  ——教室の空気が、一瞬にして凍りついた。  伊佐希の背中が、ピクリと張り詰めた。   「いっつもアイツのケツ追いかけてるもんなァ。もう襲って、無理やりヤったりしたか?ああいうヤツって意外とエロいこと好きそうだし、お前ら楽しんでんだろ?」  水を打ったような教室に、ゲラゲラと嘲笑が響いた。  ——次の瞬間。  伏見は、壁にぶつかっていた。  一瞬のことだった。  伊佐希は迷うことなく拳を振り上げて、力の限りぶん殴っていた。  机とイスが、床に倒れる音がして。  人が壁にぶつかる音がして。  誰かの悲鳴が聞こえて——  そして教室は、無音になった。  ぶっ飛んだ伏見は鼻血を出しながら、何が起きたかわかんねぇって顔をしてた。殴られた顔面がぼっこりと腫れ上がって、遅れて痛みを感じたのか、青ざめて自分を見下ろす伊佐希に震え出した。    「もういっぺん言うてみぃ。……殺したるから」  その時の伊佐希は、俺の知ってる伊佐希じゃなかった。  声も、背中も、横顔も。  理性なんてカケラもなくて、ガチで殺すんじゃねぇかってくらい殺気立ってた。  周りはみんな、怯えて遠巻きになっていた。止めに入れる奴なんて、当然誰もいない。ただ、クラス委員がこっそり教室を出てったのが視界の端に見えて、教師を呼びに行ったんだって察しがついた。   「あ……っ、ぐ……っ」  止まらない鮮血が、伏見のシャツの襟元を赤く染めていた。震えた唇からはか細い恐怖がこぼれて、凍りつく空気に紛れて消えた。 「ほら、さっきみたいなアホ面で笑ってみろや」    怒りが収まらねぇのか、伊佐希はジリジリと壁際に伏見を追い詰めていた。  長い脚が振り上がったかと思うと、ダンッッ!!と大きな打撃音がして——顔面スレスレの壁が、大きくへこんだ。    マジで、顔面潰しにいくのかと思った。  他人事のはずなのに、俺の心臓はギュッと縮こまっていた。冷たい汗が伝って、いつのまにか強く握りしめていた手は、小刻みに震えていた。 「……あ……っ、ご…ごっ……ごめ——」 「はァ?なに言うてるか聞こえへんわ。さっきみたいなバカ声出してみぃ」 「ぅ……オ、オレが……オレが、悪か——」 「そこッ!!何をしてるんだ!!!」  出かけた謝罪は、飛び込んできた教師のせいで途切れた。  隣のクラスの担任で学年主任の体育教師は、伏見のボコられた顔を目にすると、すぐにふたりの間に割って入った。   「朝宮ッ!!これはどういうことだ!!お前がやったのか!!」    伊佐希は、教師すら冷たく見下ろしていた。  何を答えるでもなく、めんどくさそうに蹴りつけた足を戻して、もう一度伏見を睨んでは吐き捨てるように言った。 「二度と、ナオのこと口にすんな」    完全に据わった瞳は、もはや獣そのものだった。  人の皮をかなぐり捨て、怒りを燃やした伊佐希は、がなり立てる教師を無視してそのまま教室を出ていった。  事件は当然、大騒ぎになった。    ——三日間の寮内自室謹慎。  それが、朝宮伊佐希に下った処分だった。

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