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1-2 侵略

 ―――十年後。  まだ薄暗い夜明け前のことだった。 「セラ、どうか落ち着いて聞いてくれ」  フェンリスとの結婚式を三日後に控えていたセラは、神殿長であり兄のような存在であるレイスの言葉を呑み込めないでいた。  夜明け前のこと。眠っていた者たちは強制的に起こされ、身支度もせず寝巻きの状態で神殿の女神像がある礼拝堂の隅に集められる。緊迫した状況でも、神官や補佐たちは幼い神子たちを落ち着かせようと必死だった。 「先程、王宮が制圧されたと知らせが届いた」 「え……それはどういうこと、ですか?」 「華琅(ファラン)から差し向けられた兵たちによって強襲をかけられ、ほとんど応戦する間もなく捕らえられたそうだ」 「……フェンリス様や陛下、皇后様はご無事なんですか?」 「わからない……だが、そう簡単に皇族に手は出さないはず。いずれここにも兵たちが来るだろう、」  神殿内の隅に集められた他の神子たちも、恐怖と不安で震えていた。まさかなんの前触れもなく隣国である華琅(ファラン)が侵略して来るとは、予想だにしなかった事態だろう。  しかも広大な海と強固な氷壁に守られているこの王領において、一夜の内に侵入することはまず不可能。となれば考えられることは一つ。 「精霊たちはなんの反応も示さなかった。内通者がいたとしか思えない」  神殿で働く者のほとんどがオメガで、その手伝いをしているのがベータだった。成人前のオメガは神子と呼ばれており、セラは一年前に十五になり成人したが、フェンリスとの結婚が決まっていたため神官にはならず、神殿長の傍で雑用などの手伝いをしていた。 「いったいなにが目的なのか。理由もなく他国が侵略行為をすることは和平条約に反する。ヘイル様はどこでそんな怨みを買ったのだろうか」 「……怨み? レイス様、いったいなにを根拠にそんな恐ろしいことを、」  三十代後半の若き神殿長であるレイスは淡々とそんなことを口にする。百年以上前に各国の間で結ばれた和平条約。国同士の争いや精霊の搾取を含め、理由なき侵略行為の禁止。大陸はこれによってずっと均衡を保ってきた。 「理由なくして事は起きない」 「しかし、この国は食物や様々な物資を他国に頼らなければままならない環境で。昔から各国とも良好な関係を築いてきたはずです」 「……表向きはな」 「それは、どういう意味ですか……?」  ヘイル王はセラが知る限り少し掴みどころのない人ではあったが、殺されるほどの怨みを買う人物とは思えなかった。レイスはどこか曇った表情を浮かべ、それ以上は口を噤んでしまった。 『目に見えるものだけが真実とは限らない、ということだ……特にあの王は、』  傍でソルが自分だけに語りかけてくる。低い声はセラを少しだけ落ち着かせたが、なにかを言いかけた矢先、礼拝堂の正面の扉が勢いよく開かれた。  外から見慣れない衣裳を纏った者たちが雪崩れ込んできて、気付けばセラたちは武器を手にした兵たちに囲まれてしまっていた。細い切先がそれぞれ向けられ、大人も子どもも関係なく小さな悲鳴が次々に上がる。  無言で取り囲んでいる兵たちの間から姿を見せたのは、彼らとは明らかに身なりの違う青年で、右手を翳して合図のようなものを送ると同時に、兵たちは揃って武器を下ろした。  青年は凛々しい容貌をしているがどこか穏やかさもあり、明らかに隊長クラスの風格があった。黒い上質な異国の衣裳を纏う二十代の青年が、到底今の状況にはそぐわないような気の抜けた笑みを浮かべ、セラたちの方へと視線を向けた。 「命が惜しくば無駄な抵抗はせず、こちらの指示に従うこと。あなた方にはなるべく危害は加えないように、と王命が下っている。我々も希少なオメガに手をかける気はないので、どうか大人しく投降していただきたい」 「……皆、言う通りにするように、」  レイスは皆に言い聞かせるようにそう言った。肩を抱かれたまま、傍で牙を剥き出しにしているソルになにもしないようにと、セラは視線だけで言葉を交わす。  神殿長であるレイスの言葉は絶対だ。王命とあらば、なにかあれば自分たちの命も危うくなるため無闇に横暴なことはしないはず。 「そこの二人は、我々について来てください」 「この子もですか?」 「はい。神殿にいる者たちの中に、聖獣の守護を受ける者がいれば一緒に連れてくるようにと、上に命じられているので」  どうやらこの青年は、セラたちを守護する精霊やソルの姿が視えているようだ。その上でセラを選んだとなれば、目的は想像できる。 「ではこのまま王宮に向かいます。そこで、これからのことを話し合うことになるでしょう」  王宮に向かうのならば、フェンリスたちが無事か確認できるかもしれない。セラは力の入らない足をなんとか奮い立たせ、レイスに支えられる形で青年について行くことになった。 (どうしてこんなことに……いったいこれからどうなってしまうんだろう)  セラは不安な気持ちを少しでも落ち着かせようと、胸元をきゅっと握りしめる。逃げられないようにその前後左右を囲まれたまま、神殿から王宮への道を市街地を抜けて進んで行った。  王宮周辺の市街地は思ったほど混乱はしておらず、途中で待機していた兵たち以外とすれ違うこともない。なにか違和感を覚えたが、その理由はすぐにわかった。どうやら市街地に暮らす民たちは皆、広場に集められていたようだ。  兵の数はそこまで多いとは思えない。それなのにほとんど抵抗している者はおらず、薄暗いせいか血の跡もにおいもしない。精霊たちは今も沈黙していて、セラはずっと不思議だった。ソルさえもなにも気付かなかったというのなら、どんな方法で制圧したというのか。  王宮の扉が外側からゆっくりと開かれる。  松明がいくつも灯されたその中心。  その先に広がる凄惨な光景。  血溜まりの中に佇む、猛禽類のように鋭い眼差しに(とら)われ、セラは視線を逸らすことも、息をすることさえも忘れていた。

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