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1-3 華琅の王

 飛び散った血飛沫に彩られ、表情の一つも変えずに佇む、異国の黒い衣裳を纏った背の高い青年。長く艷やかな黒髪は高い位置で括られており、瞳は深い紅色をしていて、右手には剣を左手には銀色の髪の毛を絡めるように、生首がぶら下げられていた。  鮮血を浴びたまま顔を拭うこともせず、周りの血の量からして、おそらく纏っている黒い衣裳にも染み込んでいるはずだ。  それが誰のものか(・・・・・)を認識した瞬間、セラは蒼白になり、込み上げてくるものを留めるように咄嗟に口を両手で覆った。 「セラ……、大丈夫かい?」  レイスに支えられなければその場に座り込んでしまっていたかもしれない。囁くような小声で心配そうに問いかけられても、すぐには声が出なかった。青年や兵たちは見慣れてしまっているのか、動揺している様子もない。  白い床や壁にこびりついた赤黒い血痕の正体は、この国の皇帝陛下であるヘイル王の血で、王の首から下の部分は、青年にひれ伏すような形で床に転がっていた。 「……父上を殺すだけでは飽き足らず、高官たちも何人も見せしめに殺しておいて。今度は神殿の者たちまで連れて来てなにをしようというのだ!」  兵に囲まれ跪かされていたフェンリスが、セラに視線を送りながら今の状況を説明しつつ自然に反抗心を口にした。目の前で父親の首が飛んだ瞬間から、フェンリスはこの国の最高責任者となった。悲しみよりも憎しみ。憎しみで壊れそうになりながらも冷静さを保つしかなかった。 (いったいどうやってあの氷壁を超えてきたというんだ? 精霊たちはなぜ通した? なぜ高官たちすら隣国の動きを事前に予測できなかったんだ?)  隣国、炎の国華琅(ファラン)。炎の精霊に守護されし国。その若き皇帝の名は、蒼焔(ツァンイェン)。冷酷非道と名高く、彼が皇帝になる前に大勢の血が流れたとか。噂では先の皇帝の毒殺も皇太子の仕業だとか。とにかく悪い噂しか聞かない。  そんな蒼焔(ツァンイェン)直々にやって来た理由はもはやどうでもいい。わかっているのは、事実として父親は無惨な姿で殺され、この国の行く末は絶望的だということだけ。 (セラや母上たち、生き残った者たちは俺が絶対に守ってみせる……!)  王が殺され、王宮に常駐していた高官たちが数人殺され、母親や残った高官たち、宮女、従者たちを守らんと護衛兵と共に抵抗したフェンリスはすでに満身創痍で、なにか一つでも間違えればせっかく生かされた者たちまで命を奪われる可能性もあった。  精神的にも擦り切れそうな状態の中、兵たちに連れられて来たセラたちを見て愕然とする。セラが自分の婚約者と知られれば、間違いなく拘束されるだろう。隣で顔を伏せていた皇后にも、無言で小さく首を振って訴える。なにも言うな、と。  セラとも視線だけ交わし、大丈夫だからと頷いた。しかし、フェンリスが頬や腕に怪我をしていることに気付いたせいで、かなり動揺しているようだった。実際、立ち上がることすらままならない状態ではある。  五人対一人という有利さをまったく感じられなかった。手練れの護衛兵でさえ一瞬で地面に沈んでしまったのだから、武芸は嗜む程度のフェンリスが敵うはずもなく。護衛兵たちも自分も殺されなかっただけマシと思うべきなのか。 (だがどうする? 完全降伏をしてしまえば、すべてあちら側の好きにされてしまうだろう)  こちらの手札には交渉のカードはそう多くはない。高官たちも役に立たない今、フェンリス自身が動かなければ始まらないような気がしてきた。  蒼焔(ツァンイェン)がなんの目的で侵攻して来たのか。抵抗した者以外は軽傷で済んでいる。それはつまり生かす気はあるということだ。生きてさえいれば、機会は必ずある。  今は一人でも多くの者がこの危機を回避することだけを考えようと、必死で頭を回転させる。戦うのは今ではない、と。自分に言い聞かせて。 「……父亡き今、皇太子である私がこの国の責任者だ。蒼焔(ツァンイェン)王、あなたの望みはなんだ? それを叶えれば、こちらに交渉の余地はあるのか?」 「誰が口を開いていいと言った?」  重く、低い声音が広い王宮の広間に響く。とても静かな声だというのに、心臓にずしりとのしかかるようなその重圧に、その場にいた誰もが皇太子の命の危険を感じるほど。  次の瞬間、蒼焔(ツァンイェン)は手に持っていた生首をフェンリスに向かって放り投げる。それは片膝を付き跪いていたフェンリスの手前で止まり、そのすぐ近くに座り込んでいた皇后は、悲鳴さえ出せない状態になっていた。 「もうこの国に皇太子も皇后も存在しない。グレイシアはすでに華琅(ファラン)の支配下となった。お前たちを生かすも殺すも俺の機嫌次第だということを忘れないことだ」  持っていた剣の切先が、フェンリスの細い首に突き立てられる。その赤い燃えるような色の瞳とは正反対の冷たい双眸に誰もが震撼する中、 「……お待ちください!」  塗り替えるように響いたのは、透き通るような美しい声音だった。紅眼の鋭い眼差しがその声の主へと向けられる。 「セラ、やめなさい……っ」 「これ以上、死者を侮辱するような行為はおやめください。皇帝陛下があなたになにをしたというのですか? この国があなたの国になにかしましたか? ただ静かに暮らしていただけ。それなのに、」  腕を掴みやめるように促すレイスを振り切り、セラが感情に任せて思うままに言葉を口にする。訴えるように視線を逸らすことなく続けるが、ゆっくりとこちらに歩を進め、やがて目の前にやってきた蒼焔(ツァンイェン)が、王の血で濡れた左手をセラの方へと伸ばしてきた。  その手で頬に触れられた瞬間、ぬるりと嫌な感覚を覚える。まるで己の罪を背負わせるかのように。その赤はセラの真白い頬を故意に穢した。 「聞いたところでお前には理解できまい」 「人殺しの気持ちなど、理解したくもありません」  華琅(ファラン)の高官でさえも、蒼焔(ツァンイェン)を前にして言い切れる者は少ない。華琅(ファラン)側の兵たちの顔色の方がだんだんと悪くなっているのは、気のせいではないだろう。触れていた手を下ろし、数秒セラを観察した後、蒼焔(ツァンイェン)は皮肉混じりに口の端を上げる。 「……なにがおかしいのですか?」  嫌な予感を覚え、セラは問う。もちろんその答えが返ってくるはずもなく。早々に背を向けた蒼焔(ツァンイェン)が再び向かう先に気付いて、「待ってください!」と思わず呼び止めるが、当然その足は止まらない。 「お前が俺を理解できなくとも、俺は理解した。お前がなにを恐れているのかを、な」  言って、蒼焔(ツァンイェン)はフェンリスの右肩を眉一つ動かすことなく貫いた。

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