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1-4 服従

 避ける間もなく右肩を襲った激痛に、フェンリスは悲痛な叫び声を上げた。セラは蒼焔(ツァンイェン)がなにをしようとしているのかを頭ではわかっていたのに、なにもできなかった。  両刃の剣が貫いている右肩からは、じわじわと血が滲んていき、フェンリスの白い衣が赤く染まっていく。蒼焔(ツァンイェン)は表情を少しも変えることなく、刺さったままの刃の角度を変える素振りをしてさらなる苦痛を与えようと、手首を捻った。 「……やめ……っ」 「大袈裟だな。この程度で情けない奴だ」 「ぐあぁ……っ!?」  セラはもう見ていられず、レイスの腕を解いて駆け出していた。予想もしていなかった咄嗟の行動に兵たちは反応が遅れる。止めようと後を追おうとしたレイスは取り押さえられ、セラは蒼焔(ツァンイェン)の腕に必死にしがみついていた。 「もうやめてください!」  剣を持つ右腕を両手で抱きしめるようにして。  涙を翡翠の瞳に溜めて。  懇願するように訴える。 「蒼焔(ツァンイェン)様、」 「余計な手出しは不要だ、龍昊(ロンハオ)」 「……だそうなので、皆も命が惜しかったら我らが王に従うこと。そこの護衛兵さんたちも、無駄なことはしないでね?」  龍昊(ロンハオ)と呼ばれた青年は、神殿でセラたちに話しかけてきた青年だった。やはり他の兵たちを率いる立場の者のようで、一斉に武器を構えた味方の兵たちに武器を下げるよう指示する。  こんなことがなければ次期皇帝とその皇后になるはずだった、フェンリスとセラ。グレイシア側の護衛兵たちはほとんど動ける者はいなかった。  蒼焔(ツァンイェン)は泣きながら腕にしがみついているセラを冷めた目で見つつ、フェンリスの肩に突き立てていた剣を引き抜いた。  跪いていたフェンリスの身体はそのまま傾ぎ、血で濡れた床へと倒れ込む。セラは蒼焔(ツァンイェン)の腕から離れ、フェンリスのもとへと駆け寄る。すぐ目の前にいるはずなのに、そのたった数歩が重かった。  皇后は嗚咽を(こら)えながら、横たわる息子の名前を呼び身体を揺さぶっていたが、駆け寄って来たセラに気付き絶望的な表情で見上げてきた。皇后がなにを言わんとしているのか。目が合ったその瞬間にセラは察してしまった。 (……皇后様、フェンリス様、どうか希望は失わないでください。いつかまた、あの穏やかな日々を取り戻しましょう)  セラは白くなるくらい指先をぎゅっと握りしめ、皇后に向かって微笑む。そして無言で儀式的な礼をした後、後ろにいるだろう蒼焔(ツァンイェン)の方を臆することなく振り向いた。  ゆっくりとその場に両膝を付いて跪き、セラは恥も誇りもすべて捨てて深く頭を下げる。 「これ以上フェンリス様を傷付けないと約束してくださるのなら、あなたに従います」  態度を一変させたセラに対して、蒼焔(ツァンイェン)は特に怒りを見せることもなく、ただ静かにその言葉の続きを待っているようだった。 「私は聖獣の守護をもつ特別な存在(オメガ)。この国のためにと生きてきましたが、この国はすでにあなたの物となりました。ならば、このチカラも我が身もあなたの物です。好きにしてくださって構いません」 「……セ、ラ……やめ、」  薄れゆく意識をなんとか引き留め、フェンリスは力の入らない指先をセラに伸ばす。その後ろ姿は細く頼りない。わかっていた。皆を守れる最大の交渉の切り札。それがセラの存在であることを。 「好きにしろだと? 随分と上から物を言う」 「どう受け取っていただいても結構です。約束を守ってくださるのなら、私はあなたの奴隷になってもいい。それくらいの覚悟で申しております」  冷ややかな視線が首筋のあたりに注がれている気がして、セラは全身が凍りつくような気持ちだったが、自分自身の価値を知っている。精霊ではなく聖獣に守護される希少なオメガ。  王となる者だけが番として娶れる存在。  それをわかっていて、自分をここに連れてくるように命じたのだ。彼にとっては、王を殺したのもフェンリスを必要以上に痛めつけたのも、ただの余興にすぎなかったのだろう。 『セラ、馬鹿な子だ。なぜ俺を使わない』  見ていられないとでも言うように、二人の間に金眼の氷狼が現れ、唸りながらいつでも攻撃できるように体勢を低くし、蒼焔(ツァンイェン)を睨みつける。 「ソル、だめだよ」 『お前……それで本当にいいのか?』 「わかるでしょう? 王を守護している聖獣の気配。炎と氷は聖獣同士では勝てない」  おそらく、すでに炎の聖獣の守護を受けている者と番関係にあるのだろう。聖獣自体は相手側にいても、番となる者はそのチカラを共有できる。自分たちを連れてきたあの青年もそうだったように。  精霊と聖獣であれば属性が相剋関係でも勝てる可能性はあるが、目の前の者には通用しないだろう。 「私はソルを失いたくない」 『……セラ』 「茶番はそこまでにしろ。いいだろう。そこのお前は人質として連れ帰ることにする。報復や反乱を起こせば、人質の命はないと思え。これを殺してもかまわないというなら、好きなだけ抗うといい。その時は容赦なく皆殺しにしてやる」  人質という言葉に、セラもフェンリスも唇を噛み締める。つまりは反乱を企てることもセラを取り返すことも、リスクしかないということだ。 「皇太子と皇后、この国の貴族たちの現在の地位を剥奪し、王宮内にて軟禁し監視を付ける。香種(こうしゅ)……この国ではオメガ、だったか。オメガは今まで通り神殿にて保護するが、こちらの管理下に置く。民たちに限っては、抵抗さえしなければ今まで通りに暮らせると伝えろ」  蒼焔(ツァンイェン)は指示を出し終えると、セラの腕を掴んで無理矢理立たせ、自身の傍らに置く。縄や鎖で繋がれる覚悟でいたが、掴まれたのは左手首だけだった。武芸をしている者のゴツゴツとした手の平。その力は思っていた以上に強く、セラは顔を歪めた。  手を引かれ王宮の外へと連れ出される。別れの挨拶さえできなかったが、おかげで踏ん切りもついた。いつかフェンリスが助けに来てくれるだろうという甘い期待より、もう二度とここには戻れないのだという、諦めの気持ちが一層強くなるのだった。

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