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1-5 別れ
来た道を再び辿るように、セラは市街地を歩いていた。火の手が上がっているわけでもなければ、民たちが騒いでいる様子もない。
まだ夜明け前。凍てつくような冷たい風が時折吹いた。思い出したかのように頬に付けられた血をこしこしと拭う。こびりついているせいかなかなか取れず、白い袖が少し汚れただけだった。
広場に集められている民たちもこちらに視線を向けるだけで、なにか訴えてくるでもなく。どこかほっとしている表情に違和感を感じつつも、皆が無事ならと手を引かれながら無言で歩く。
そういえば、レイスにも別れの挨拶ができなかった。兄のように親のように慕っていたのに、今まで育ててもらった御礼すらできないまま。
(……私は、親不孝者かもしれない)
レイスはなぜか、ある時期から急に結婚に反対するようになった。どうにかして取り止めにできないかと、王宮に足を運ぶことも。皇后としてフェンリスの傍で生きていくのだと幼い頃から教えられてきたのに、その行動に疑問だけが残った。
けれども結婚式が近付くと、今までのことが嘘だったかのように、心から「幸せになるんだよ」と言ってくれた。上手く折り合いがついたのだろうか。
(レイス様も、どうかお元気で)
昔のことを思い出しながら感傷に浸っていたが、おい、という低く抑揚のない声のせいで一気に現実に引き戻される。
蒼焔 は黒い衣裳の袖からなにかを取り出すと、掴んでいた手を上に向かせてある物を渡してきた。それがなにか を確認した後、セラは怪訝そうに蒼焔 を見上げる。
「……これは?」
「魔力を抑える首輪だ」
そこには二人分の赤い皮製の首輪がのせられていた。グレイシアにも似たようなものがあり、番のいないオメガが、うなじを噛まれないように自主的に付けるものだった。
「華狼 では香種はそれをつけることを義務付けている。他の者たちも同様だ。今はその二つしか手もとにないが、丁度いい。自分でつけろ」
後ろに留具が付いており、セラは先に顕現しているソルにつけてやる。カチ、という音と共にソルの身体がみるみる縮んでいき、成獣から子犬のような姿に変化してしまった。
『な、なんだ!? 縮んで声までガキみたいになっちゃったぞ!!』
「今は我慢して」
セラは同情しつつも、はじめて目にするソルの子犬姿に、こんな状況だからこそちょっとだけ癒される。続いて、言われた通りに自分で首輪を着けようとするも、指先が震えて上手くできないことに気付く。今更、怖いだなんて。
もたつくセラの両手を掴み、蒼焔 はそのまま留具を繋ぎ合わせる。触れられた瞬間、びくりと肩を竦めたセラの気持ちなど関係なく、生白い首筋に赤い首輪が飾られた。
少しゆるいが外すには特別な方法があるらしく、もちろん目の前の者は教えてなどくれないだろう。
「……ありがとう、ございます」
ソルを抱き上げ、セラはごもごもと口ごもりつつも礼を口にした。それは首輪を着けるのを手伝ってくれたことに対してではなく、もちろん皆に手を出さないと約束してくれたことに対して、だ。
「お前はこれから人質として幽閉されるというのに、敵の王に礼を言うのか?」
「これが最初で最後です」
セラはめいいっぱいの低い声でそう言い返した。絶対に馬鹿だと思われている。呆れた表情でこちらを見下ろしてきた蒼焔 が、鼻で笑いながらそう言ったのがなによりの証拠だろう。
「完全に嫌われちゃいましたね。お可哀想に」
龍昊 がいつの間にかふたりの後ろにやって来ていた。茶化すような口調は彼の性格なのか。いずれにせよ、自国の王になんてことを言っているんだろう、このひとは……と、セラをハラハラさせた。
また血飛沫が飛ぶような事は、たとえ敵同士でも起こって欲しくない。しかし思っていたようなことは起きず、不思議そうに首を傾げるセラに、龍昊 はけらけらと笑ってみせた。
「あはは。こう見えて一応、陛下直属の護衛なんだ。ここにいる兵たちの中で一番偉いんだよ? 貴種だけど、君をどうこうしようとか思ってないから安心してね、」
「……は、はあ」
「まあ大事な人質に手なんて出した日には、ただ殺されるだけじゃ済まない。死んだ方がマシなのかもと思うくらい痛めつけられて、最後は……、」
「くだらない」
おどろおどろしい話し方で雰囲気を出していた龍昊 だったが、蒼焔 に一蹴される。
「まあ、冗談はこれくらいにして。馬はひとりで乗れるかな?」
セラは首を横に振った。乗ったことはあるが、いつもフェンリスに乗せられていた記憶しかない。前に乗せられて、フェンリスの腕に抱かれ守られていた気がする。
いつもと違う高い位置にある視線と地面との距離が怖かったが、背中に感じる自分とは違う体温が心を落ち着かせてくれた。
市街地の外れ。隠されるように何頭かの馬が待機していた。護衛兵も数人いて、蒼焔 と龍昊 の姿を見るなり、胸の前で拳と手の平を合わせる独特なポーズで頭を下げ迎えた。
「用は済んだ。お前たちは神殿に向かい、待機していろ。後で責任者を任命して送る。俺と龍昊 は先に華琅 に戻る」
「承知いたしました。道中お気を付けて」
言って、護衛兵のひとりが黒い獣の毛で作られたのだろう外套を蒼焔 と龍昊 に手渡し、それぞれ羽織った。セラは今更だが自分が寝巻き姿であったことを思い出すが、もちろんセラのために用意されている外套などない。
寒さには慣れているが、それは精霊たちが王領内の気温を調整してくれているからでもある。外に出れば氷だらけのセカイだと教えられていた。自分の魔力を抑えられているため、今のソルには癒やし以外なにも期待できない。
「なにをしている」
「……あの、私、」
「お前は俺の馬に乗れ。その犬も使い物にならない今、逃げようとしても無駄だ」
「……逃げるなんて選択肢、私にはありません。そうではなく、」
蒼焔 はすでに黒い毛の立派な馬にひとりで乗っていて、セラは乗れと言われてもどうしたらいいのかわからなかった。困惑しながら視線を逸らし、馬の方を見やる。
「……フェンリス様は、いつも私を抱き上げて先に乗せてくれるので、」
「馬にも乗れないと?」
「蒼焔 様、さっきそう言ってましたよね? 聞いていなかったんですか? 仕方ない。じゃあ俺が補助してあげますよ、セラ殿」
ひょいと龍昊 に馬の横で軽く抱き上げられ、蒼焔 は仕方なくセラの腕を引き上げる。自身の前に座らせ、落ちないように腕で囲い手綱を握ると、はあと嘆息した。
「少しでも暴れたら地面に落とすからな」
『乗れと言ったり落とすと言ったり。なんなんだ? こいつよりは、あっちの胡散臭い優男の方がセラを任せられる』
「……ソル、私たちは人質なんですから、大人しくしていましょう」
ソルにそう言い聞かせつつも、蒼焔 に聞こえるように優しく宥める。密着しているおかげで、彼の纏う外套のぬくもりを感じた。
それは蒼焔 の心のあたたかさという意味ではなく、物理的にあたたかいという意味で、だ。
(……フェンリス様)
ずっと大切にしてくれていたのに、なにもお返しができなかった。だからこれは、せめてもの報い。国を民を愛していたフェンリスにとって、最良の選択だったはず。自分が人質となることで、その他大勢の命が救われるなら。
(どうか、強く生きてください)
自分ではない他の誰かと幸せになってもいいから。生きてさえいれば、またいつか逢える日が来るかもしれない。
だからどうか、強く生きて欲しい。
(私も、自分の役目を果たします)
セラはぎゅっとソルを抱きしめ、揺れる身体を蒼焔 に預けた。抵抗すれば残された皆がなにをされるかわからない。大人しくしていたとしても、なにもされないという保証もない。
押し寄せてくる不安に気付かないふりをして、セラはゆっくりと瞼を閉じた。
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