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1-8 流されるままに
セラは幼い頃の記憶が曖昧だった。ヘイル王とその護衛兵たち、そして十数人の男女と共に氷壁から王領に入ったところから、セラの時間は動き出した。そのまま神殿に連れて行かれ、レイスのところに引き取られたのは五歳くらいの時。今思えば、一緒に連れて来られたのは、外から王領へと保護されてきたオメガたちだったのかもしれない。
フェンリスと初めて顔を合わせたのは、神殿での生活が始まった頃だった。ヘイル王と共に神殿を訪れたフェンリスは当時七歳で、明るくて優しい少年という印象を受けた。それからすぐセラの意思とは関係なくフェンリスとの婚姻が決まり、フェンリスは頻繁に神殿に会いに来てくれるようになった。
幼い二人は大人たちの政略など関係なく、自然と仲良くなっていき、幼馴染として友として関係を築いていった。数年経つと、フェンリスは口癖のように「俺たちは運命の番で、絶対に離れることはないんだ」とセラに言うようになった。セラはそれを鵜呑みにして、自分たちは運命の番なんだ、と信じるようになる。
いずれにせよ、成人になったら王宮に入り、皇太子であるフェンリスの皇太子妃になることが決まっていた。いずれヘイル王がフェンリスにその座を譲れば、皇后となる。それがセラに用意されたただ一つの道なのだと。そう、幼い頃からずっと教えられてきた。
レイスは時に本当の親のようにセラに必要なことをたくさん教えてくれた。それでも気になるのは、自身の両親のこと。亡くなったということだけは教えてくれたが、氷の聖獣であるソルもそのあたりのことはなにも教えてはくれず、いつしか訊くこともなくなった。
十三歳になった頃。レイスが突然、「この婚姻は取り消してもらう」と言い出した。王宮と神殿を何度も行き来し、偉い人たちに相談しているようだった。セラには突然のことすぎて、なにがなんだかわからなかった。
(私の身体が弱すぎて、フェンリス様には相応しくないということなのかもしれない)
他の神子や精霊の御使いであるオメガの子たちよりもずっと身体が弱く、このまま成人してもそれは改善しそうにない。
皇后になって王を支え、国のために優秀なアルファの皇子か皇女を産むことが、最大の役目だと教えられていたので、それが果たせない可能性もある。
(……結婚をするのもしないのも、私の意思は関係ない。決めるのは大人たちで、フェンリス様も別の誰かと結婚しろって言われたら、私のことなどどうでもよくなるのかな?)
今まで二人で過ごしてきた時間も思い出も、ぜんぶ。なかったことになってしまうのかな?
(でもそれがフェンリス様にとっての幸せなら、私は喜んで自分の未来を他の誰かに譲れる。フェンリス様の運命の番は、私じゃなかったというだけ)
最初から、不思議な縁だった。
まるで導かれるように、ここまで生きてきた。
王領に連れて来られ、神殿でレイスに出会い、フェンリスの婚約者になり、いずれは皇后となるという一本道。そうならない未来もあるのだと、セラははじめて別の可能性を考え始める。今の道は、自分が精霊ではなく聖獣に守護される者であったから用意された道であって、皆と同じだったら違っていたということ。
(フェンリス様と仲良くなることもなかったし、そもそも見向きもされなかったかも)
そんなことをぐるぐると考え続け暗い気持ちになりながらも、なんとか前向きになろうと努力した。しかしレイスの真意を教えてもらえるわけもなく、婚姻がどうなるかもわからないまま、フェンリスともほとんど会えない日々が続いた。
「セラ、すまなかった。私が間違っていたよ。もうなにも心配することはない」
十五歳になり、成人となった時。レイスは急に「最大の問題は解決した」と言った。その問題がなにかもわからないまま、ずっと悩み続けていたセラはわけがわからなかったが、レイスがそういうのならそうなのだろうと納得するしかなかった。
「だが、正式な結婚は十六歳になってからということになった。フェンリス様にもそう伝えてある。セラは少し身体が弱いから、成人してすぐは心配だからと」
「……あの、やっぱり私が病弱だから、レイス様は結婚に反対だったんですか?」
「あ、ああ……それもあるが。なによりもセラが大切だから、一番良い方法を見つけるのに時間がかかってしまったんだ。悩ませてしまってすまなかったね。でももう大丈夫。幸せになるんだよ、セラ」
言って、レイスは頭を撫でてくれた。このようにいつまでも子ども扱いをされるのだが、セラはそれが心地好く、嫌ではなかった。もう大丈夫、というレイスの言葉に安心し、その数日後にフェンリスと久しぶりに会えた。
「ごめんな、セラ。母上の言いつけで、ずっと勉強をさせられていたんだ。手紙もダメって言われて、でも将来のためだって言われて我慢して。ずっとセラのことばかり考えていたし、早くセラの顔が見たかった」
セラの部屋で、二人きりで話をした。フェンリスは王になるための勉強をたくさんしていたらしい。いつか交わした約束を果たすため、用意された課題をこなしていたのだという。武芸も頑張ったんだ、と剣を握る素振りをして楽しそうに話してくれた。
「セラのその髪飾り。銀の細工が精巧で、真ん中の赤い宝石がすごく綺麗だよね。出会った時からずっと付けてるけど、新しいのは欲しくない?」
そ、とフェンリスがセラの青みがかった銀髪に飾られた髪飾りに触れ、訊ねてくる。左側の耳の上のあたりに飾られた氷の結晶のような形の髪飾りは、セラが王領に連れて来られた時にはすでにあった。もしかしたら両親からの贈り物かもしれないし、縁 のある物かもしれない。
「……あ、えっと、」
フェンリスの手がそのまま頬に触れてきて、セラは困惑する。なんだか落ち着かない。成人し、定期的にヒートがくる身体になって間もないセラは、抑制薬を飲むことでそれを抑えている。
はじめて発情した時の感覚を、未だ忘れられない。レイスが気付いてすぐに抑制薬を処方してくれたので良かったが、あんな姿をいつかフェンリスに見られてしまうのかと思うと、恥ずかしさで気が狂ってしまいそうだ。
「しばらく会えない間に、前よりずっと綺麗になった気がする」
顔が近付いてきて、フェンリスがこれから自分になにをしようとしているのかを察する。セラの部屋には他のオメガたちと同様、必要最低限の家具しか置かれていない。そのためベッドが椅子の代わりになっており、フェンリスはいつものようにセラの右側に座っていた。
「あ、あの……フェンリス様、だめです」
「……あと一年も我慢しなきゃならないなんて、」
「そういう、誓約なので……、」
「誰も見ていないのに?」
「だめです」
婚前性交をよしとしない信仰の下、グレイシアでは婚前の口付けも許されていなかった。手の甲や頬は挨拶として問題ないため、フェンリスは仕方なく右頬に触れるだけのキスをした。セラはそれだけでもなんだか幸せな気持ちになったが、フェンリスは少し不服そうな顔をしていた。
それから一年後。一時はどうなるかと思われた結婚式は滞りなく準備が進んでいく。二人はそれぞれの想いを胸に、その日を待つのだった。
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