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第5話
目が覚めた時、視界の先に立っていたのは、険しい表情のアウダだった。
「……あぁ、アウダくんか」
身体の重さを確かめるように、ノルムは小さく息を吐く。
「観測は……うまくいったかい」
「……はい」
短く答えてから、アウダは続けた。
「概ね、先生の仮説通りでした」
「……それは、良かった……」
ノルムは安堵したように目を伏せる。
「……すまないね。きっと、醜いところを見せてしまったんだろう……」
自嘲気味にそう言って、かすかに笑う。
「……いえ」
アウダは、即座には否定しなかった。
一拍置いてから、静かに言葉を選ぶ。
「ただ……」
その声は、いつもの軽さを欠いていた。
「あなたが、そこまでして研究を続ける理由が……少し、気になっただけです」
ノルムは、しばらく天井を見つめていた。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「……理由、か」
目を閉じたまま、呟くように続ける。
「そんなに、立派なものじゃないよ」
「過去に、精神魔法が関係して、起きた事件があったんだ……」
ノルムは一度、言葉を切った。
それ以上先へ進めば、何かが崩れてしまうのを確かめるように。
「私は……精神魔法が、人よりも得意だった」
静かな声だった。
「正確に言えば、“得意だった”と言われていた、かな。才能がある、応用が利く、危険だから慎重に扱え……そんな評価ばかりを受けていたよ」
アウダは何も言わず、ただ耳を傾けている。
「だから、使わなくなった。いや……使わない“癖”がついた、と言った方が正しい」
ノルムは目を閉じたまま、続けた。
「危険だから。制御が難しいから。不用意に触れるべきじゃないから……」
「そうやって、私はずっと、“使わない判断”を積み重ねてきた」
小さく、息を吐く音。
「その癖が、抜けないまま……ある時、私のすぐそばで、誰かが危機に陥った」
それが誰だったのかは、口にしなかった。
名前も、関係も、何も。
「理論はあった。術式も、頭には浮かんでいた。
……でも」
ノルムの眉が、わずかに歪む。
「咄嗟に“使う”という選択が、できなかった」
沈黙が落ちた。
「安全な方法を考えている間に、慎重であるべき理由を並べている間に……
状況は、取り返しのつかないところまで進んでしまった」
ノルムは、ようやく目を開けた。
「使えば助かったかもしれない、なんて言い方は……卑怯だと思ってるよ。結果論だし、保証もない」
「でもね」
視線は天井のまま、どこにも定まらない。
「“使わなかった”という事実だけは、消えない」
「だから私は、研究している」
淡々と、しかし確かに重みを帯びた声で。
「誰かを救えるかどうか、なんて話じゃない。
せめて――誰かが、私のような過ちを繰り返さないために」
「安全な形で、確実に。逃げ道を作らずに、精神魔法に向き合うために」
少し間を置いて、ノルムは自嘲気味に笑った。
「……こんな理由だ。英雄譚にも、復讐にもならない。ただの、臆病な研究者の執着だよ」
その言葉のあと、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、アウダが低く息を吸う。
「……臆病、ですか」
その声音は、これまでとは少し違っていた。
しばらくの沈黙のあと、アウダは静かに視線を落とした。
そして、何事もなかったかのように口を開く。
「……エベリア先生。先程の、実測データをご覧になりますか?」
あまりにも事務的な声だった。
ノルムは一瞬、言葉に詰まり、それから小さく息を吐く。
「あぁ……。悪かったね。こんな、面白くもない話をしてしまって」
アウダは端末を操作する手を止めないまま、答えた。
「……面白いかどうかは、置いといて」
一拍。
「話の価値くらい、自分で決められますから」
その言葉は淡々としていて、慰めでも、否定でもなかった。
それからというもの、アウダの態度はどこかぎこちなかった。
データ整理を頼んでも、研究の合間にカフェテリアへ誘っても、どこか上の空で、返事が一拍遅れる。
何をしていても、視線が合わない。
そんな日々が、ひとつ、またひとつと積み重なっていった。
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