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第5話

 あの日のことを思い出すと、胸がぎゅっと苦しくなる。  僕たちは取り敢えず自分たちの欲望を吐き出すと、一磨は急いで服を身に着け、オーディションの現場に向かった。その間一磨はずっと無言で表情はとても硬かった。僕はそんな一磨の辛い気持ちに気づいていながらも、わざと務めて明るく振舞った。折角だからホテルを満喫すると言い、シャワー浴びて、ルームサービスを取って帰ると伝えた。自分も辛いけど、まだ始まったばかりの僕たちの恋は、この程度では負けないと心を奮い立たせながら。  でも、それが逆効果みたいだった。去り際に一磨に言われてしまった。『湊は平気なんだね。俺はこんなに辛いのに……』ひどく恨めしいような顔をしながらそう言う一磨に、僕は本当に何も言い返せなかった。本当に何も。  あの日以来僕は一磨に会えていない。電話やラインのやり取りはできているが、一磨がオフになるスケジュールが組めないという理由でそれがどうしても叶わない。だから、あのホテルで過ごした時間は本当に貴重で、あの日灯された熱は、お互い燻ぶったままずっと胸の奥にしまい込まれている。  僕は今、インターシップをさせてもらった、一悶着あったラジオ局の採用通知を受け取った帰りの電車の中で、数か月前のことを反芻している。  季節はあっという間に春から初夏へと移り変わってしまった。  半年後には僕はあのラジオ局で働くことになる。それは自分の夢でもあるからとても嬉しいことだ。でも、僕は思う。もし、僕も社会人になってしまったら、一磨と会える時間は更に減るのだろうかと。今でも、月に一回会うことすら叶わないというのに。  僕は未来への希望が薄れていくのを感じ、何とも言えない気持ちになった。一磨への気持ちはむしろ日に日に強くなっていくのに、自分の夢と引き換えに、一磨との恋愛を諦めなければならないみたいな正負の法則など信じたくない。  僕は欲張りな人間なんだよ……。  一磨と両想いと分かった時、僕は絶対にこの奇跡を手放さないと心に決めたのだから。  僕は車窓からの景色を見つめながら、心の中でそう自分自身に誓いを立てる。  時刻を確認しようとスマホを見た時だった。僕はSNSの通知画面に目が釘付けになった。 『北村一磨。〇〇監督の映画に同性愛者の役で主演決定。切ない男性同士のラブストーリーを、北村一磨はどう演じるのか……』  え?……。  これは一体どういうことなのだろう。もしかしたら、あの時のオーディションに一磨は受かってしまったということなのだろうか。確かに〇〇監督の映画だと言っていた。でも、事務所は何故この役を一磨にやらせようと考えたのか。ゲイの一磨がゲイの役をやることで、逆にそれが隠れ蓑になるとでも考えたのだとしたら、恐ろしすぎる。  僕は驚きで、見開いた眼を閉じることができない。こんなこと想像もしていなかった。  僕は瞬時に相手役が気になり、スマホを震える手でタップして情報を詳しく探った。どうやら相手役は一磨よりも芸歴は長いが年齢は3つ下の若手俳優で、一磨よりも知名度も人気もあるし僕も知っている。でも、主役は一磨のようだ。  僕は心の底から深いため息を吐くと、スマホから車窓にゆっくりと視線を移す。  こんな話聞いてないよ、一磨……。          僕は心の中でそう呟いた。

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