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第8話

 僕はいつも一磨の芸能生活を邪魔しないように気を付けていた。だからあまり自分から連絡を取ったりすることのないよう自制していた。会いたいと思う気持ちが募っても、それを言葉や口に出すことで、一磨の仕事に支障を与えることは絶対にしないと心に決めていた。でも、そんな決め事は、僕のこの狂おしいほどの嫉妬心によって粉々に砕け散った。  会いたい。ただ、どうしようもなく一磨に会いたい。  その気持ちに乗り移られたように、僕の頭は完全に一磨一色になった。修士論文も資格の勉強も全く手に付かない。こんな状態で勉強をしても激しく時間の無駄だ。  あの一磨の映画の番宣を見てしまってから、僕は、以前の僕とは確実に違う人間になってしまったみたいだ。人は余裕という物を無くすと、簡単に人格が変わってしまうのかもしれない。本当に人間って愚かだ。否、違う。僕が愚かだったんだ。  僕は一磨がいるかどうかも確かめもせず、一磨のマンションに向かった。もうそれしか思いつかない。合鍵はまだ預かっていない。僕がそれを断っていたからだ。不用意に一磨のマンションを訪れて、もしパパラッチでもされたらと思うと恐ろしくてたまらなかったからだ。でも、今の僕はそんな危惧など考える余地もない。ただ、一磨に会いたいという思いだけが自分を突き動かしている。  アポなしで一磨のマンションに行こうとする無謀さにもちろん気付いている。でも、この強い衝動を僕は止めることができない。全く止められない。  一磨のマンションのドアの前まで来ると、僕は迷わずインターホンを鳴らした。時刻は夜の八時半。時間に不規則な芸能人が、オフでもなければこの時間に家に居ることは珍しいかもしれない。案の定、部屋の奥から一磨が顔を出してくるような奇跡は起こらなかった。  僕は背中を壁に付けながら、ずるずると壁伝いに床に体育座りをすると、自分の膝に自分のおでこをくっ付けた。  ああ、なんて滑稽なんだ……僕は一体何をしてるんだ……。  ふと我に返ったように冷静になったが、フラッシュバックするようにあの番組の二人を思い出すと、僕は泣きたいほどの苦しみに苛まれる。今すぐ一磨に抱きついて、いつものように僕のことを好きだと言わせたい。僕に夢中だって、僕しか欲しくないって……そう何度も言って欲しい。  どのくらいそうしていただろう。時間の感覚が薄れる。僕はただ石のように、長い間一磨のマンションのドアの横の壁に寄りかかっていたから。お尻が冷えていることに気づくと、僕はゆっくりと立ち上がろうと膝に力を入れた。 「湊!」  その時、中腰の状態の僕を、誰かが背後から強く抱きしめた。荒い吐息が僕の首筋に熱を伴わせながら当たっている。 「どうして? 何でいるの?」  一磨の声は驚きで震えているようだった。 「……会いたくて、一磨に」  僕は躊躇わずにそう言った。もう恥ずかしさとか、パパラッチとか、そんなことなどうでもいいくらい、ただ、一磨に会いたいという衝動のまま僕はここにいるから。今ちゃんとこの思いを伝えないと、僕は一生後悔をしてしまうから。この、一磨に会いたいという素直な感情を、僕は忘れないように、大切に、大切に自分の心に刻み込む。 「嬉しい……凄く嬉しい……」  一磨は僕の首筋にそう熱く囁いた。その首筋から伝わる熱が、僕の体を一瞬で沸点まで到達させる。  ああ、抱かれたい一磨に……壊れるくらいに……。  僕は自分でもそんな自分が信じられない。でも、多分僕は自分が思う以上に、否、もしかしたら、一磨が僕を思う以上に、僕は一磨のことが好きなのかもしれない。  僕はゆっくりと一磨の方に振り返ると、そっと一磨の頬を両手で挟み引き寄せ、自分からキスをした。 「今日、僕は帰らないよ。構わないよね?」  僕の言葉に、一磨は驚いたように目を見張った。 「……俺、夢見てるのかなぁ……」  一磨はどこか焦点の定まらない潤んだ瞳でそう言うと、ポケットから部屋の鍵を出したが、手がガクガクと震えているせいで、やっとの思いで鍵穴に鍵を差し込んだ……。

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