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「聖女の召喚?」
朝から大聖堂の関係者たちが騒がしいのは、そのせいか。
呆れの色を隠さぬ声音で、アイゼンが独り言ちる。
「……そりゃ実に脳天気な慶事で、何よりだ」
「一応進言いたしますが、本当に喜ばしい出来事なんですよ」
王城の一角に位置する、豪奢な執務室。二間も三間も備えたこの部屋は、いま、遅い午前の陽光を窓にたっぷりと受けていた。
金細工の目立つ調度品のすべてがその光をとろかしていて、実にきらきらしく目映い。
アイゼン・オーヴェ・エーベルライト王太子、かつ王城騎士団にて団長の任も持つ彼の執務室には、今日もたくさんの人が出入りする。
この部屋を訪れる人間の多種多様っぷりと言えば、さながら王城の縮小図だった。武官から文官、騎士に大臣、果てはご機嫌伺いの貴族まで、さまざまな役職・立場の者が都度都度扉を叩く。
それらすべての人物の顔と名前、所属や派閥まで把握しているルーンハルト・ローデンは、身分で言えば王城に務め始めて今年で四年目の一文官に過ぎない。
だが、恐れ多くもアイゼン王太子からいちばんに信頼され、彼の補佐官としてこの執務室の一切を取り仕切る身だ。
「近いうちに、聖女様のお披露目を兼ねた歓迎会が催されるとも聞き及んでおります。もちろん、アイゼン様もご招待されることでしょう。感動の涙を流せとまでは申しませんが、聖女様はこの国の、ひいてはこの世界にとっての奇跡そのものであること、しかと胸に刻んでから赴かれますようお願い申し上げます」
「王族としての俺は、聖女とやらの存在に異を唱えるつもりはねえな? さすがにな」
「……小耳に挟んだ口さがない噂話によりますと、聖女様は目鼻立ちのはっきりしたお綺麗な方であったとか」
「異世界から喚ぶ相手だぞ。目鼻の数と配置がこっちの世界の人間と同じだったってだけで僥倖だろうが。……大聖堂のやつらは、異形の怪物が来るかもしれない可能性を一ミリも考えなかったらしいがな」
「……」
だから「騎士団長としてのアイゼン」は、聖女召喚の儀についてたびたび難色を示していたのか。
だが彼は、聖女召喚の報告が出た朝いちばんには「無事に召喚された聖女を歓待する」と公平かつ真摯な声明を出している。
大聖堂に儀式の認可を与えていた王に次いで、二番目の早さだった。
(まして)
(騎士団は昨夜、一晩にわたって聖堂を警護していた、と言うのだから……)
もしも異形の怪物が召喚された場合、王城騎士団を率いたアイゼンは自ら前線に立ち、その剣を振るうつもりでいた――決して語られぬ彼の覚悟は、提出された活動報告書の内容を見れば、ルーンハルトには手に取るようにわかった。
「アイゼン様、……紅茶に蜂蜜を加えましょうか」
「あー、頼む。むしろラム酒を頼む」
「いまの状態では、たとえ少量でもアルコールはお体に障ります。窓にカーテンを引いても?」
アイゼンから返される了承の声を聞きながら、ルーンハルトは窓辺へ向かう。
まっすぐに差す陽光をやんわりと遮れば、室内は一転、微睡みの色にゆるむようだった。
そんな柔らかな光の中にあっても、アイゼンの姿はきりりとした緊迫感を帯びて目に映る。
黒を基調とした騎士団の制服は、まるで彼のために誂えられたかのように、アイゼンの毅然とした容貌をさらに引き立てていた。いまは座しているが、立ち上がれば上背は高く、引き締まった体躯にも隙はない。
その姿が、確かにそこにある。
変わらぬ彼の輪郭をじんわりと網膜に染み込ませれば、それだけで、指先がじんと痺れたような錯覚が起こった。ルーンハルトはふいに、泣き出してしまいそうになる。
平静を装ってワゴンの位置まで戻り、ポットからティーカップへと紅茶を丁寧に注いだ。その水面へ、ひとさじ分の蜂蜜をとろりと落として溶かす。
それを主の手元へと差し出すと、アイゼンはルーンハルトの瞳をまっすぐに――むしろ面白がるようにじっと見つめながら、持ち上げた指先を自身の唇へと押し当ててみせた。
さらにとんとん、と主張される。これは、つまり。
(口移しをしろ、と?)
おそらく一睡もしていないアイゼンが、唾液による『魔力交換』を求めたくなる気持ちは理解出来なくもなかった。
否、どんな状況であれ彼から請われれば、こちらには断る術もない。
柔らかな光が包む、午前の執務室。
アイゼンの傍らまで歩み寄ったルーンハルトは、かろうじて震えずにいるだけの頼りない指先を伸ばし、慎重にティーカップを取り上げる。自分が淹れた甘い紅茶を一口、ゆっくりと口に含んだ。
と、アイゼンの強い指が伸びてきて、ルーンハルトの顎を捉える。そのまま引き寄せられ、ほとんどぶつかるようにしてアイゼンの唇に辿り着いた。
「……ん」
始めに、とろりと紅茶を。それからすぐに、舌を絡め取られて唾液を。濡れた感触がぬるりと擦れ合って、背筋に確かな官能が走る。頭の中がじんと痺れた。
蜂蜜の甘さはもうとっくにアイゼンが飲み下しているのに、掻き回され、啜り合う深いキスは、まるでお互いの舌をとろかすみたいだ。
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