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「……っアイゼン、様」 「ん?」 「この、後の……法務大臣への、ご説明には……私が、上がります。私では力不足なのは重々承知していますが……、状況をご理解いただければ、マンフレッド様であればお目こぼし下さるでしょう。ご説明に用いる資料はアイゼン様が作られたものですし、きっとそちらでご満足いただけます」 「んん?」 「それによって、十三の刻に始まる会食まで、一刻半ほど空くことになります。どうぞその間に、少しでも睡眠を」 「……」  至近距離に見つめる彼の黒瞳は、心なしか呆れているような気がする。  ルーンハルトの顎を離した無骨な指先が、次いでするりと頬を撫でた。そこに掛かる銀の髪をゆったりと掬い上げ、耳の後ろへと導く。  溜息を吐くように、アイゼンは柔らかく苦笑した。 「俺とキスしながら、今日のスケジュールをどう調整するか考えてたってか?」 「私の退室とともに、この部屋を魔法で施錠してもよろしいでしょうか。アイゼン様はいつでも扉を開くことが出来ますが、外側からは開けられません。……声は通るようにしておきますので、もし火急の呼びかけがあった場合は、ご自身で対応を判断されてください」  ルーンハルトが問うと、アイゼンは苦笑顔のまま了承してくれる。その表情には、やはり疲労の色が濃い。ルーンハルトは内心でこっそりと、施錠の魔法に治癒の魔法も重ねよう、と決めた。 「では、マンフレッド法務大臣へ言付けの類いはありますか?」 「いや、必要ない。今日はもうただの最終確認だ。要所はすべて固めたし、マンフレッドも了承している。おまえが役目を代わってくれると言うのなら、有難く甘えよう」  こちらの後ろ腰に添えられていたアイゼンの手のひらが、そっと浮き上がる。それはそのまま、同じ位置にまで達する自分の長髪を掬い上げた。水色がかった、銀の髪。ほかの魔法士たちがそうであるように、ルーンハルトも自分の髪を出来るだけ長く伸ばすことにしている。魔力の貯蔵庫になるからだ。 「おまえの髪も、ようやく元に戻ったな」  三年前の一件で、ルーンハルトはそれまで伸ばしていた髪のほとんどを失った。たっぷりと腰に届く長髪が、うなじを晒すほどの短髪となるまで消え失せたのだ。  文字通り全身全霊、すべての魔力を費やさねばならなかった。――彼の身を深く包んだ、死の闇を振り払うために。  魔力を蓄える魔法士の髪は、そうではない頭髪とは比べものにならないほど早く伸びる。だから気にしないでください、と三年前にも告げていたのに、アイゼンは密かにずっと気に懸けてくれていたのだろう。  ルーンハルトはゆっくりと背を返し、アイゼンの手指から自分の銀の髪を滑り落とさせる。代わりに、相手の黒瞳を見つめた。そこに映る自分の水色の瞳は、やはりひどく冷淡な色みに感じられる。  昔から、冷たい顔立ちだと言われていた。いまとなっては誰も自分に愛嬌など望みはしないが、きっとにっこりと笑ってみせても、ひどく不格好な表情になるだけだろう。情を感じにくい瞳のかたち。つんと尖った鼻に、薄い唇。……それでも、出来るかぎりの親愛の情が表へ滲み出てゆけばいい、とルーンハルトは願った。  私は、と静かに声音を継ぐ。 「もうすっかり、以前のとおりです。アイゼン様」 「ああ。良かった」  こちらの言葉を受けて、彼は心からの安堵を伝えるかのように微笑むのだ。その表情は、二人が正式に出会った士官学校の入学時――まだ十三歳だった頃を思い出させる、無防備な幼ささえ見せていた。  紅茶を飲み終えたら仮眠する、と言うアイゼンへ頷いて返し、ルーンハルトは提出する書類一式を手に取った。一礼とともに、彼の前を辞する。  外から閉ざす扉には、二つの魔法陣を重ねて描いた。高めた魔力によってぽわりと熱を帯びる自分の指先に、術式を呼び起こすための呪文を加えれば、ほぼ自動的にそれは発動する。  施錠と、治癒の魔法。……略式だが、効果は確かだ。  ヴン、と静かに空気を震わせながら、魔法陣は幾度か銀の色に明滅する。そうしてそれこそ幻のように、戸板の表面(うえ)に消えていった。  アイゼンが仮眠中であることを部下へ伝えてから、ルーンハルトは廊下へと出る。 (聖女の召喚に、成功した……)  その奇跡の報を、大聖堂が、王国が、この世界全体が。きっと胸を焦がして待ちわびていたことだろう。  けれど、ほかの誰よりも自分が、自分こそが、心底から聞きたいと願っていた福音なのだ。  ――「異世界より召喚される少女は『聖女』となり、彼女だけが持つ奇跡の力は、あらゆる穢れを浄化する」。幼い頃、大司教の元で読んだ大きくて分厚い書物には、確かにそう書かれていた。 (あらゆる穢れを) (浄化する)  そう。  大きく変質してしまったアイゼンの魔力すらも――聖女であれば、おそらく元に戻せるのだ。

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