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 アイゼンとのだった七歳の日のことを、ルーンハルトはほとんど覚えていない。  なにせ目前には、彼一人だけではなく、エーベルン王国を統べる王家・エーベルライトの面々が勢揃いしていたのだ。  エーベルン王国は、大陸一の大国。国の力が強ければ、贅をこらすための余力も大きい。まるで夢の中みたいにきらびやかに飾られた王家の人々が、当時の自分にはまるきり別世界の人間のように見えていた。  ……ありていに言うことを許されるのなら、怖かった。 『うみのきょうりゅう! おれもすきだ』  だから、アイゼンの第一印象と言えば、翌日のものになる。  王家の面々と挨拶をした次の日には、エーベルン王城内の大庭園にて、盛大なガーデンパーティーが開催された。  アイゼンの父である王の即位を記念した、祝典パーティーだ。  子供の目からすれば、「もしや大陸中の人を招いたのではないか」と思えるほどに大規模な会だった。……当時、大陸の北端に住んでいたルーンハルトの一家も、馬車での一月近い旅路の果てにどうにか参列したのだ。病弱な妹はその旅程にとても耐えられないだろうからと、一人、長期の留守番をさせてしまったくらいだった。  華やかなパーティー会場では、普段ほぼ交流のない相手とも繋がれる好機、と踏んだ大人達が大陸の共通語を高らかに響かせ、やたらに和やかな会話をあちこちで繰り広げている。  引っ込み思案の妹が傍らにくっついていたなら、ルーンハルトも周りと馴染む努力をしただろう。けれど、いまは自分一人だけ。もう二度と会うことはないだろう子供たちの輪に、無理に加わろうという気にはならなかった。 (こっち、静か……かも)  ルーンハルトは腕に抱えたお気に入りの恐竜図鑑といっしょに、大人たちの声が遠くなる方向へと、そっと足を踏み出す。  大きな木の下、座り心地の良い茂みの影。見つけたその場所で、暗記するほどに繰ったページをまたじっくりと眺めた。これさえあれば、退屈なんて絶対にしない。  そこでふいに話し掛けて来たのが、アイゼンだ。 『……どれが、すき?』 『クロノサウルス!』  ルーンハルトが訊ねれば、一秒も迷わずに答えが返ってくる。その速さに、ルーンハルトは笑った。本当に好きでなければ、こんなに速くは答えられない。……仲間を見つけたと、そう思ったのだ。  お互いに名乗り合い、同い年であることが知れると、心の距離はもっとうんと近くなった。図鑑のページをいっしょにめくって、そこに描かれている恐竜たちの姿を指差し、「知ってる?」と二人で自慢の知識を並べ合ってみたり、「戦わせたらどっちが強いと思う?」と想像してみたり。  たっぷり半日間のパーティーが一瞬で過ぎ去るほど、とても楽しかった。  また会えたらいいな、というあまりにも無邪気な願いが、この日の後もずっと、ずっと、ルーンハルトの心の柔らかな部分に残り続けたのだ。 『うみでいちばんつよいのは、ぜったいクロノサウルスだからな!』  活発な子らしく力いっぱいに声を放つのに、不思議とうるさくなくて、むしろあたたかい。そうだ。なんだかあったかい子だなあ、と思ったのが、アイゼンへの最初の印象になった。 (……なぜ、そんなに昔のことを思い出しているんだ)  エーベルン王城の東側には、王立大学がある。そこから戻る時、ルーンハルトはいつも延々と延びてゆくかのような長い廊下を渡った。  廊下の窓からは、当時ガーデンパーティーが行われた大庭園の一端を望むことが出来る。  いまの季節はどの木々も雪冠を戴いていて、真っ白だ。夕闇の中、蒼い影に沈もうとしているそれらの姿は、そのまま夜の一部となって消えてしまいそうだった。 『アイゼン王太子殿下、ご機嫌よう』 『――……』  もう五日ほど経つと言うのに、アイゼンと季紗の「二度目の対面」時の姿が、どうしても消えない。  若干の付け焼き刃感は残るものの、季紗はあの日までの猛特訓が功を奏し、きちんと淑女らしい礼が出来るようになっていた。元が人目を惹く容姿であるだけに、ひとたびふさわしい所作を身に付けると見違える。  だからだろう。  初めて彼女の魅力に気付いた、とでも言うように――アイゼンがわずかに、その黒瞳を瞠ったのは。  生粋の王族である彼は、内心の動きをすべて顔に出すような不躾な真似はしない。それでも、隠しきれない動揺というものはある。  あの瞬間、確かに、アイゼンは季紗の笑顔に見惚れたのだ。 (それでいい……はずなのに) (心が重い)  ルーンハルトは響く靴音を止め、廊下の端に設けられている扉を開いた。内鍵のみで管理されている簡易なそれは、庭園へと踏み出すためのものだ。  夜の始まりを告げる風が、ひゅうっと吹き抜けて、ルーンハルトの頬や耳の先を冷やす。吐いた息は白く浮き上がって、やがて次の風に流され、消えた。  雪を纏う庭は、ひどく静かだった。

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