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キースさんがいるから

 前世の僕はネコだった。猫ではない。抱かれる側の男ということだ。だからというわけでもないけれど、カナタが僕を抱きたいというのなら、応じることに抵抗はない。  正直好みだし、可愛いと思うし、あの大きな体に包み込まれるのは気分が良い。好きだと本人に伝えるのは、気恥ずかしいが。  だけど。今の僕は処女なのだ。この体はまっさらで、とてもじゃないけど、カナタのカナタをすんなり受け入れられるとは思えない。  こんなことならもう少し、ひとり遊びくらいしておけば良かった。まさか魔王討伐の旅の途中で張型なんて買えるわけがないし。  それでもどうにか拡張しておきたいと僕は思ったんだけど……  魔王城は深い森の中にある。馬車は途中までしか進めず、支援部隊も全員がついて行くのは難しい。ほとんどの騎士はかなり手前で待機となり、僕とアーロン副騎士団長だけが勇者パーティに同行することが決まった。  支援部隊には薬神の加護を持つ薬師がいるんだけど、彼女はほとんど戦闘能力を持たないから待機になる。ありったけの薬を僕の収納魔法と魔法鞄に詰め込んだ。  アーロン副騎士団長も待機してくれたら良いのにと僕は思った。そもそもこの人、子爵でしょ。当主だよね。なんでこんな危険なことをしているんだ。 「キース殿。なるべく私から離れずに、安全な場所にいてください」  嫌だよ。なんで隣があんたなんだ。でもまあ、小言を言われるのも面倒くさいからなぁ。 「それなら俺の近くにいてよ、キースさん」  勇者様がそう言ってにこりと笑う。 「この世界で俺のそばより安全な場所なんてないからね」 「そうだな。そうさせてもらおうかな」  アーロン副騎士団長が僕を睨む。文句を言うなら、相手は僕じゃなくてカナタだと思うぞ?  森の中での野営が続いた。宿にも泊まれず、ひとりにはなれず。カナタを受け入れるために拡張しようなんて、できることではなくなってしまった。  周囲にはキマイラやらダイアウルフやらワイバーンやらの魔獣が沢山居て、魔物避けの結界がなければ休むこともできない。空間魔法が使える僕も結界を張るのに協力した。  魔族もたまに現れ、余計なことを言って勇者を揺さぶろうとしてくる。僕はもう、力を隠すことをやめて、糸で魔族の腕を切断した。本当は首を刎ね飛ばすつもりだったんだけど、うまくいかなかったんだ。カナタがとどめを刺してくれた。  戦闘を終えて休憩中、カナタは何か言いたげに僕を見ていた。他人の耳を気にしてか、声を掛けようとしては口を閉じるということを、何度か繰り返していた。 「キースさん、あの……いや、なんでも」  僕はその首に手を伸ばし、頭を抱き寄せた。 「どうした、カナタ?」 「キースさん……!」  人目を気にする気持ちはわかる。けれど、ここは日本ではないのだ。男同士であることは、別に奇異でもなんでもない。  カナタの黒髪をわしわし撫でて、笑う。 「緊張してるのか、勇者様?」  僕の態度にアーロン副騎士団長が不快そうな顔をする。でも何も言わないのは、カナタが万全の状態でいてくれないと困るからか。 「……緊張って、言うか……」 「僕で良ければ話を聞くけど」 「俺、日本に帰ることになるのかな」  その声はまるで、帰りたくないと言っているように聞こえた。 「まずは魔王を倒してからだよ。全部それからだって。な?」 「うん……そう、だけど」  カナタが大きな体を屈めて、抱きついてくる。 「本当に倒せるかな」 「もちろん」  確証なんてない。それでも僕は断言した。 「僕の勇者様は強いからね」  カナタの耳に口を近付けて、囁く。 「ご褒美、欲しいんだろ」  顔を僅かに赤くして、勇者がこくりと頷いた。  僕が魔王城に入ることはカナタが許さなかった。ここまで来ると、たとえ装備が壊れても、落ち着いて修理なんてしていられない。結界も僕の糸もどこまで通用するか。  確かに僕は戦えないわけではない。けれどそれは糸が優秀だからで、僕自身はあまり体を鍛えているわけじゃなくて。僕が勇者に同行すれば、足手まといになるのは間違いなかった。  アーロン副騎士団長と二人、城の外で結界の中に残ることになった。あまりにも気まずくて、僕は手持ちのハンカチに刺繍をして時間を潰した。  特に意味もなく花の模様を刺繍しながら、僕は何度も祈り、願った。カナタが無事に戻ってきますように。僕が作った《神器》が彼を守ってくれますように。大きな怪我をしませんように。魔王討伐が上手くいきますように…… 「うわっ!」  突然、手の中のハンカチが燃え上がった。 「キース殿、何を」 「わかりません。僕はただ、カナタの無事を願っただけで」 「もしや……そのハンカチも《神器》なのでは」 「え?」 「あなたが願いを込めて、刺繍をしたものです。ありえないことではないでしょう」 「それはまあ……確かに」  でも、それならどうして燃えたりしたのか。 「身代わり、なのかもしれません」 「身代わり……?」  まさか。カナタの代わりに僕の《神器》が燃えたのか。守ってくれとか願ったから? 「もし、そういうことなら」  僕は追加のハンカチを取り出し、糸を紡ぎ、今度は明確に祈りを込めて、刺繍をした。  糸の女神様。どうか勇者カナタを守ってください。僕が作ったものはいくら燃えても構わない。彼が無事に僕の所に戻ってきますように。  僕は七枚の布に刺繍をし、五枚が燃えた。  急に空が明るくなった。淀んだような空気が一気に浄化されたのがわかった。カナタが魔王を倒したのだ。  勇者パーティは誰ひとり欠けることなく帰ってきた。流石に疲れきった様子で、魔法使いは魔力枯渇を起こして剣士に背負われていたけれど。  カナタたちが魔王城の中で危機的な状況に陥るたび、不思議な光と女性のような人影が助けてくれたらしい。僕は改めて糸の女神に祈りを捧げ、何度も感謝を伝えた。 「キースさん。指、火傷してる……!」  自分の方がぼろぼろなのに、カナタが僕の僅かな怪我を見て酷く心配した。 「どうしたの。なんで」  僕は勇者を見上げてへらっと笑った。 「……名誉の負傷ってやつかな」  来る時よりもずっと歩きやすくなった森を抜けて、僕たちは待機していた支援部隊と合流した。ささやかながら、今あるものを掻き集めて祝宴が開かれた。  みんな笑顔だった。気のせいか、アーロン副騎士団長が僕を見る表情も柔らかい。どんよりとした雲が晴れ、夜空にはこんなに隠れていたのかと驚くくらいの星が輝き、風が爽やかだった。 「キースさん」  カナタが泣きそうな顔をして僕を見た。 「どうしたの、カナタ。嬉し泣き……ではなさそうだけど」 「うん……」  大きな背中を丸めて、勇者が抱きついてくる。 「俺……もう帰れないんだって」 「え?」 「断っちゃった。日本に戻してもらうのを」  カナタが魔王を倒した直後、不思議な声が聞こえたらしい。たぶん創造神の声だとカナタは言う。その声は、使命を終えた勇者を元の世界に送ると言っていたそうだ。それをカナタは断り、二度と帰れなくなることを受け入れたと。 「どうして……」 「だって」  カナタが、少し潤んだ目でこちらを見上げる。 「ここにはキースさんがいるから」

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