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第4話

 あまりの会話の盛り上がらなさに、エミールとしては嫌われているのかとすら思っていたため、意外ではあった。とはいえ、もう城に用はないし行くことはないだろう。それに婚約破棄されてなお城に近づいて、未練があるなんて思われた日には不本意すぎる。  ただ正直にそれを伝えるわけにはいかないため、笑みを浮かべて社交辞令を伝えた。 「ありがとうございます。ぜひ、遊びに行かせてください」  エミールがそう言うと、僅かにアデルバートが頬を緩め、頷いた。  城の中を歩きながら、考える。なるほど、あれはカーティスが引け目を感じるはずだ。  アデルバートのことは、カーティスの口から時折聞いていた。とても優秀で、自分よりもずっと王太子に向いているのだとも。  そのたびに『カーティス殿下のお優しい人柄が私は大好きです』等と機嫌を取らなければならず、正直また始まったのかこれ、面倒くさいと思っていた。  エミール自身がアデルバートにそこまで興味がなかったこともあるのだろう。文武に秀でて才覚があるとは聞いていたが、常に冷静で言葉数が少なかったことあり、どこか人を見下した印象さえ持っていた。ただ考えてみれば、家族が集まる場においてもアデルバートは父である国王やカーティスと話してはいたものの、それ以外の者と会話をしていた記憶がない。しかも、父王との会話は公務の話がほとんどで、まるで王と臣下の会話のようだった。端整な顔立ちに近寄りがたい雰囲気を醸し出していたため気づかなかったが、もしかしたら口下手なだけだったのかもしれない。もっとも、今更それに気づいたところでエミールには関係のない話ではあったが。  屋敷に戻った時点で、出迎えてくれた使用人たちの顔は暗かった。  エミールよりも先に会場を出た貴族も多かったし、おそらく隣家の使用人づてにでも伝わったのだろう。  悪い噂がまわるのは、風のように早い。  父のヴァイスの評判があまりよくないのもあるだろう。エミールに同情しながらも、財務大臣の子息が王太子から婚約解消されたことに溜飲を下げる者も多かったはずだ。 「お帰りなさい、エミール様。その……」  侍女頭のサラが、気遣わしげに声をかけてくる。 「ただいま。ごめん、疲れてるから一人にしてもらっていい? 湯浴みは……一刻後に用意してもらえたら嬉しい」 「は、はい! 勿論です!」 「ありがとう、頼んだよ」  声をかけ、自室へ続く長く広い階段を上っていく。 「エミール様、お可哀想に」 「目に涙が浮かんでいましたわ。本当に、なんでエミール様がこんな目に……」  若い侍女たちの声が、微かに耳に入ってくる。みな、自分たちに対し同情的だ。それらの声を聞こえぬふりをしながら足を進め、そして自室の扉を開ける。  涙? 確かに目元には馬車の中で流した涙が少しだけ残っていたかもしれない。  ただしそれは、悲しみから出たものではない。まごうことない嬉し涙だ。  灯りをつけ、外に声が漏れぬよう、扉をしっかりと閉める。そして右の拳を思い切り握りしめ、振り上げた。 「やったーーーー! 本当に、やった! 生き延びた!」  思ったよりも声が大きくなってしまったこともあり、すぐに自身の口を塞ぐ。  そして、枕元に置いてあったウイスキー(寝る前のホットミルクに入れたいからと用意してもらった)をグラスに注ぎ、口に入れる。  冷えてはいなかったが、温くもないし、味は良い。  氷が欲しいとか、ウイスキーじゃなくてビールがよかったとか、そんな贅沢は言うつもりはなかった。  勝利の美酒なのだ。とにかく旨い。こんなに大きな声を出したのは、それこそ最後に見たW杯で日本が強豪国に勝った時くらいじゃないだろうか。  サイドテーブルにグラスを置くとテイルコートを脱ぎ、そのままベッドに大の字で横たわる。おおよそ貴族の子息には似つかわしくない、上品とはいえない仕草だが、今日くらいは無礼講だろう。  長かった……この十年、本当に長かった……!  パーティー会場でほとんど食事を口にしなかったこともあるのだろう。少しの酒でも頭がふわふわとしてくる。そんなふわふわとした頭のまま、エミールはこれまでのことを思い出した。  十年前、エミールは早生した母と同じ猩紅熱にかかり、生死の境をさまよった。その時に夢を見た。この世界とは全く違う世界で、一人の青年として生きている自分の夢を。         ◇◇◇◇◇  退庁時刻をとうに過ぎたとはいえ、霞ヶ関の灯りが消えることはない。  財務省庁舎の上層階には、たくさんの職員が残っている。多くの者はPCに向かって連絡待ち、その他の者はいつ終わるかもわからない会議やレクに出席していた。入庁して五年も経つと、否が応でもそういった環境に慣れてくる。その時ちょうど、外から騒がしい声が聞こえてきた。窓側付近に座っていた目ざとい職員が、ちらりと窓の外に視線を向ける。 「わ~……またやってるよ、デモ。このクソ暑い中ご苦労だよな。ま、平日にこれができる立場ってのが何より羨ましいけど」 「おい成井(なるい)、それ絶対外で言うなよ。どこで記者が張ってるかわからないんだから」  同期の成井の言葉に、亮の隣の席の香山(かやま)が苦笑いを浮かべて言った。  課長補佐という立場ではあるが、優柔不断なところがあるため後輩への注意もしっくりこない。諭しているようで言動を諫めていないのは、どこかで賛同できる部分があるのかもしれない。  ほんの一時間ほど前に局長から来た『国会待機』のメールで、今日はおそらく帰れないことが決定した。一週間のうちで一番疲労が溜まりやすいと言われている木曜日だ、ストレスが溜まっているのだろう。 「まあでも、わからなくもないですよ。こちとら夜遅くまで毎日働いてるっていうのに、聞こえてくるのは批判ばっかですから」  香山の目の前に座った一期上の人間が、苦笑いを浮かべて言った。 「そうか? 他業種の友人からはいつも公務員はブラックな上、給料安くて大変だなって同情されるけど」 「いや、それは俺の周りだってそうですよ。むしろ、人足りてないから辞めてうちで働かないか? ってスタートアップに入った友達からは誘われますし」 「実際、同じ経歴だってのに給与は全然違うからな~……そりゃ東大卒の官僚の割合も減るよな」  国会の真っ最中、しかも明日は世間から注目を集めている法案に関する審議が行われる。そのため議員へのレクで課長や局長の多くが出払っているからだろう。いつも以上に、皆口が軽かった。 「そういえば白瀬(しらせ)からそんな誘いが最近来ましたね。会計士の資格持ってるやつが一人欲しいって……お前んとこにも来てない? 蓮川(はすかわ)」  白瀬というのは、今年の春に退官した同期だ。出身大学こそ一緒だったがあまり関わりはなく、転職の話を聞いたのも人づてだった。だから亮のところには連絡が来ていないだろうと、成井の口調からはそんなニュアンスが感じられた。 「来てたけど、断ったよ」 「え? なんでだよ。給与は勿論、条件だってかなり良かっただろ?」 「金が稼ぎたくて官僚になったわけじゃないから」 「へ、へえ……じゃあ、なんでお前は官僚になったんだよ?」 「人の役に立ちたいからに決まってるだろ。だいたい、最高学府を出て目的が金稼ぎって空しくならないか?」  PCのモニターの向こうに映る成井の表情が、目に見えて凍りついたのがわかった。少し言いすぎたかもしれない、とは思ったが、間違ったことは言っていないはずだ。別に成井のことを否定してるわけじゃない。自分の意見を言っただけだ。仕事にやりがいを感じられないのなら、やめればいい。  その後、成井の顔が赤くなるのが見えたが、これといって話しかけてくる様子はない。話は終わったのだろうと亮は小さく息を吐き、隣に視線を向けた。 「香山課長補佐」 「な、何?」 「明日の答弁の原稿、チェックしていただけましたか? 昼過ぎに送ったんですが」 「悪い、すぐに確認する」 「お願いします。この後、自分は勉レクがあるので、訂正があったらまた送っておいてください」  言いながら、席を立つ。 「わかった。まあ、蓮川の原稿はいつも完璧に近いから、問題ないとは思うんだけど……」 「よろしくお願いします」  おべんちゃらに付き合っている時間はない。そのまま部屋の出入り口へ歩き始める。 「局長のお気に入りだからって、偉そうに……」  吐き捨てるように言ったのは、成井だったか、他の誰かだったか。どちらにせよ、亮には関係のない話だった。

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