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第5話

「……」 「ギルさん?体調があまり良くありませんか?肩をお貸ししましょうか」  薄暗い夜道を男二人で歩く。きっと、今の自分たちは酒の匂いがひどく濃い。  エスコートするようにギルの隣で腰を支えながら歩いているイリスは、細やかな気遣いをギルにひたすら向けていた。おかげであれほど飲んだというのにまともに歩けている。モテる男はなんでもスマートだ。 「そういえば、ギルさんってずっと恋人がいなかったんですよね?」 「いきなり言葉のナイフで刺すな」 「ああ、すみません。それで」 「その話まだするのか……なんだ?」  イリスが背を屈めた。ギルの耳元に口を寄せ、心配そうな声で、「大丈夫だったんですか」と。 「何がだ」 「……下世話な話ですが、ヒートです。オメガは抑制剤があっても、ひとりで乗り越えるのはキツいと知り合いが言っていたのを聞いたことがあります」 「……君は僕のオメガ性に興味があるのか」  警戒心を高め、イリスを睨むが彼は困ったように謝った。 「勘違いさせてしまいましたね。すみません。あなたを抱きたいだとかはありませんよ。心が伴っていない体だけの関係など、興味がありませんから」 「……そこについては同意する」  広場を抜け、怪しげな歓楽街の中を通る。ギルの足がもつれた。転びそうになるのをイリスは抱きとめ、近くのベンチへと誘導される。 「……酔いが回りましたか?体調はどうですか。違和感があるとかはありませんか?」 「……大丈夫だ、酔ってるだけだから。不調も特にない」 「……」  何か言いたげな視線に、ギルは気づけなかった。イリスはそこらで買ってきたペットボトルを手渡すと、ギルの隣に空間を開けて座る。 「ヒートの話だったな?」 「え?」 「確かに、誰かに抱かれればヒートは軽く収まる。その相手がアルファなら、尚更だ」  キャップをあけ、水を飲み込む。ギルの細い喉を鳴らして、ごくり、ごくりと。 「……っはぁ……。あのな、僕はそもそも好きな人とじゃないとセックスなんてしたくないんだ」 「だから、ヒート期間中もずっとひとりでやり過ごしてきたんですか?」 「うるさいな、悪いか?おかげさまで、この歳まで童貞処女だよ」  隣のイリスからの視線は、どこか居心地が悪い。逃げるように顔を背け、ギルはペットボトルを手で握りしめる。  33にもなる男がバージンだなんて、この色男に知られるのはなんだか屈辱だと思ってしまった。 「へぇ……それはいいことを聞きましたね」  イリスの声がざらついて聞こえた。眉をしかめて、ギルは呆れたように吐き捨てる。 「からかいのネタにでもするつもりか?君は綺麗な顔してるくせに性根が腐ってるな」 「いえ。ギルさんは、ひとりでずっと自分を慰めてきたんだな、と」 「は?君、それはセクハラ──っ、う、ぁ……!?」  咄嗟に顔を上げて、イリスをたしなめようとした。その前に、彼の手が背中を上へと撫でたのだ。  たったそれだけ。腰から背中までを撫でられただけだ。だというのに、ギルの心臓が唐突にドッ、と騒ぎ出した。  呼吸が浅くなり、全身に汗が滲む。夏の夜と言うだけではない熱さが身体を包む。 「っは……はぁ、っは、っうぁ……な、んで……っこれ」 「ああ、やっぱり」  崩れ落ちそうになるギルを、イリスの大きな手が支えた。太い腕が身体を抱きしめる。彼の匂いが頭を侵して、思考回路を壊していく。 「ギルさん。アルコールで軽いヒートになっていたの、全く気づいていなかったんですね」  顔をのろのろとあげる。暗闇の中、蛍光灯が照らす男の顔は、喰らう側のギラついたものだった。  息を飲んだ。逃げないと、と思うのに彼のフェロモンを浴びているせいで指先さえろくに動かすことが出来ない。 「ギルさん」  低く、ざらついた男の声がした。  ギルは咄嗟に顔を背けた。そんな動作を咎めるように、もう一度「ギルさん」という声。 「イ、リス」 「あなたも、このままでは苦しいだけでしょう?」  顔に似合わずゴツゴツとした、イリスの大きな手がギルの顎を掴む。強引なくせに痛みを感じさせない力加減で彼の方へ顔を向けさせられる。 「ほら……どうしたいのか、私にきちんと教えて」  視界の中心。さっきまで、ただの同僚だったはずのイリスが笑っている。獲物を追い詰めることを楽しむように金の瞳を細めて、喉を低く鳴らしながら。 「ギルさん……どうか、あなたに触れる許可を」  彼の手が、するりと頬を撫でていく。待てをする犬のように、彼がじっとギルを見ている。 「……っ、あ……」  言葉なんて浮かばなかった。だからただ、首を縦に動かした。  イリスは嬉しそうに微笑むと、首筋を手で撫でていく。うなじに触れそうな指先に体がわななく。たったそれだけで体にビリビリと電流が走った。 「っ、や、めろ……セックス、は……したくない……っ」  体を重ね、そこを噛まれたら。ギルは首を力なく振った。そんな姿にイリスは「もちろん」と強く肯定する。 「私だって、無理やり犯すなんて興奮しませんから」  イリスの指先がギルの首を降りていく。緩めていた襟首から、鎖骨を撫で、指は首の後ろへ。 「っ!」 「怖がらないで……大丈夫、私はレイプ魔ではありませんし、あなたを合意なしにつがいにするなんてこと、絶対しません。剣に誓ってもいい」  指先は、ヒートというほころびの穴を拡げるように、うなじの皮膚をゆっくりと引っ掻いている。  ゾクゾクと背筋が悦楽に震える。  本能が、初めて感じる発情中の他者の感触に歓喜していた。ギルの体にはもう力が入らない。イリスはそれを見ると口元を歪ませ、ギルを抱えて立ち上がる。 「ですが、ここまでヒートになりかけてしまうと、あなたを一人で帰すのも少し不安ですから」  彼はそのまま歩き出した。人を一人抱えているというのに安定感のある足取りだ。  性欲に負けそうになっている自分を認められず、ギルはやめろ、と小さく呟いた。濡れた声だった。吐息が漏れる。媚びるような声が出てしまう。 「……ほら。普段の理性的なあなたは、今はもうどこにもいません。もし、欲を発散させずに帰って襲われでもしたら?それこそ、うなじを噛まれるだけで終わりですよ、ギル・ハーランド医務官」  ギルとは対象的に、冷静な視線と声でイリスはどこかへ向かって歩いていく。 「どこ……っ、行く、つもり……だ……」 「宿に入りましょう。あなたをそのままにするより、どこかで一度熱を抜いてから帰した方が、私も安心できます」  潤んだ視界で、彼を見上げる。職場では、こんなに近くで触れ合ったことなんて当たり前だが一度もない。  ただ、その月明かりに照らされた白皙の顔を見つめ、綺麗な男だな、と、ギルはぼんやりと思っていたのだった。

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