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3章 第3話

 一晩明けて。  おかしくなりたくない!と叫んだギルは、結局イリスの家(テリトリー)まで進めなかった。  恋愛初心者舐めるなよ、とイリスに言えば彼はケラケラと笑っていたっけ。  ぼんやりと、寝起きの頭で昨晩のことを思い出す。朝食の支度をしようとして、体の重さと下腹の疼痛にギルは顔をしかめた。  体調不良は、まだ治まる気配がない。  むしろ朝を迎える度に倦怠感や熱っぽさは増している気がした。ただの疲労と言うには、流石におかしい。そんなことを考えながら、昨晩チェックし損ねた郵便物を捌いていく。  大半がどうでもいいチラシだが、その中にひとつ、手紙が混じっていた。  差出人の名を見て、ああ、と思い至る。  故郷にいる友人のひとりだ。  どうしたのだろう、筆まめじゃないからと滅多に届かない手紙は、だいたいが彼の人生の進展を報せるものだ。 「……、あいつ、つがいができたのか」  友人は、ギルと同じくオメガ性を持っていた。  故郷は人口が少ない分、オメガもアルファもなかなか産まれない。だからこそ、歳の近いオメガ同士仲良くなるのは必然だった。  ギルに送られてくる手紙は湿度も無ければ温度も低いようなものばかりだった。  しかし今回送られてきたのは、惚気ばかりが綴られ、最後に思い出したとばかりに「君もつがいを見つけられるといいね」としたためられたものだった。  余計なお世話だ、と今までなら返していただろう。しかし今は、脳裏にとある男の顔が浮かぶ。 「……恋愛脳になってる、のか?この僕が?」  恋人──イリス、の顔を思い出し、デート中にかけられた言葉がリフレインする。友には先こそ越されたが、「君の心配するほど僕だって出会いが無いわけじゃない」と返せば驚かせられるだろうか。  ふ、と笑ってギルは湯を沸かす。  友にはつがい持ちの異常発情について、気をつけるように言っておかねばならない。王都に居ずとも、どうなるかなんてわからないんだ。  窓の外には燃えるような朱色の太陽が昇っている。今日はイリスと会えるだろうか。騎士団詰所にいけば、あるいは。  透明に照らされ、輝くような町の姿にギルは知らずのうちに口角を上げていたのだった。 ◆  イリスとは、時間が合う時に昼食を共に摂ったり、帰路を共にしたり、時々の休みにデートをしたりとそれなりに「恋人らしい」ことをしている。  順調そのもの、なのだが。 「……はぁ」  息を着いたら思っていたより疲労困憊、という音になった。資料室に人がいなくてよかったと胸を撫で下ろし、ギルは顔を上げる。 「ぉわッ!?」 「なんだ情けない声を出して、幽霊でも見たか」 「ジェフ主任……熊男の幽霊なら、今まさに」 「ははっ、そりゃたいそうな色男だろうな。俺も見てみたいもんだよ」 「鏡でも探せばいいんじゃないですかね」  隣に立っていたジェフに、驚きすぎたせいで心音は大袈裟に跳ねている。息を整え、ジェフを見上げた。 「それで、僕に何か?」 「いや、見るからに医者の不養生してる馬鹿がいるもだから」 「……」  痛いところをつかれた。顔をしかめてギルは目を逸らす。しかしジェフの手は肩を掴んで、そのまま力がゆるりと込められた。低くひそめられた声がギルの耳に届く。 「……あー、その。セクハラで訴えないでくれよ?お前、ヒートが来そうなのか」 「いえ……周期はまだ当分先のはずです、けれど」  まさか、異常発情?  そんな視線を向けられ、つがいもいないのにと愕然とする。  しかし、記憶の糸を手繰れば、ラット状態のアルファ──イリス、と、過ごした夜がふっと浮かび上がってきた。……あれ、だろうか。 「いや、そうか。はい、多分……ヒート、だと思います」 「……もしかして、異常発情だったり」 「残念ながら心当たりがあるヒートです」  アルファのラットに誘発され、ホルモン異常が起きてもなんらおかしなことはない。  しかし、あの舞踏会の夜に医療行為と嘯いて患者とセックスをした、なんて言おうものならぶっ飛ばされてしばらくの減俸だろう。  渋い顔をしていたせいで、ジェフは何かを妄想したらしい。ギルの肩に腕を回し「助けてほしければ、きちんと言えよ」と心配そうに伺い見たのだった。

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