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3章 第6話
イリスに手を引かれるまま、たどり着いたのは騎士団の宿舎だ。さすがにここまで来ると何を考えているのか、何となく察してしまう。
このまま、イリスに喰われるのだろうか。
抱かれる準備などできてない。そこまで行かずとも、彼の部屋へあがればきっと何か手を出される。ドクドクと心臓が早鐘を打っている。前を歩くイリスは恐ろしくなるほどの無言だ。繋がれた手はきつく、時々指がギルの手の甲を撫でていた。
「私の部屋です……あまり面白みもありませんが、どうぞ。上がってください」
「あ、あぁ……お邪魔します」
たどり着いた室内は、上品に整えられていた。キョロキョロと辺りを見回していると茶を持ってきたイリスが笑った。
「物珍しいですか?」
「……僕の家とは違って、独身男性らしくない」
「ふふ、いつあなたが来てもいいように、整えているんですよ」
狼は、巣作りをするものだっただろうか。何となく、彼のすべてが自分を誘い込んでいるような……そんな、不穏な気配がどこか拭えない。
イリスの視線は朝からずっと、ギルばかりを追いかけている。耳を立て、尾はギルのそば。どこか、普段の彼と違う気がする。
茶を受け取り、飲み込めば爽やかな味が喉を潤す。一息ついてイリスと適当に言葉を交わす。雑談をしている途中で、とっ、とっ、と窓を叩く雨音がした。
窓の方を見遣れば、曇天からは雨粒が落ち始めたようだ。
「……雨か」
呟いた言葉に、返事はない。
「傘なんて持ってないんだがな、帰りに買って──」
静かなイリスを不思議に思い、振り向いた。失敗だった。
大きな物音が室内に響く。雨音は激しく変わった。自分を押し倒す狼を、ギルは目を丸くして見上げる。
「イ、リス……?」
荒々しい呼吸音。黒髪が垂れ下がり、彼の表情は伺えない。どうやら歯を噛み締めたらしく、ギチ、という耳障りな音がした。
動けないでいると、彼の肩が震えた。ふーっ、という何かを逃がそうとする吐息。髪の隙間からようやく見えた。イリス。どうして、苦しそうな顔をしてるんだ。
「どう、したんだ」
イリスの様子がおかしい。開ききった瞳孔もそうだが、肩を掴む手の力が強すぎる。普段のイリスらしからぬ動きだった。がぱ、と開かれた口。あ、と思った頃にはもう、ギルの唇は塞がれていた。
「んッ!? む、ぅう……ッ!な、んッ、いり、ぅッ?!」
──貪られている、そう感じるほどのキスだった。
じゅる、と唾液を啜られ、イリスの舌は縦横無尽に口腔内をまさぐっている。
床に押し付けられた肩は、押さえつける力が強すぎて身動きが取れない。彼の体重が腹に乗る。頭の横に腕が置かれ、頭髪をするっと撫でられる。舌に応えれば、ご褒美とばかりにさらに良いところを探られた。
イリスから香るフェロモンが濃くなっている。くらくら、なんて形容詞じゃ足りないほどの酩酊感。
「ふ、んん……ッぅ……ん、ん」
自分の口から出る声が甘ったるい。媚びるような声だ。一度、口が離された。見上げた視界はぼやけてる。
「……イリス」
オスに媚びる声で名を呼んだ。いいよ、なのか、やめろ、なのか。自分自身でさえわからなかった。しかしイリスは、気がついたように口を抑えると咄嗟に身を引く。ギルの上から重しがなくなった。
ぼうっと彼を見れば、青ざめた顔をしてこちらを凝視していた。もう一度、「イリス?」と呼べばようやく我に返ったらしい。続きは、とギルが言う前に大声が甘い空気を切り裂いた。
「っすみません!こんなこと、するはずじゃ……」
「……は?」
『するはずじゃなかった』?
僕は、してもいいと思ったのに?
頭に冷水をぶちまけられた気分だ。浮かび上がる心は地面に落とされた。何か、イリスが言い訳をしているようだが、耳鳴りがひどくてなにも分からない。血の気が引いていた。
なあ。なあ、イリス、君は、何を間違えたんだ?
キスをして、そういう雰囲気で、そのまま、僕はしてもいい、って思ってたんだ。君になら、って思ったのに。
ギルは喪失感のようなものを感じていた。イリスを見る。彼との距離が、今はひどく遠い。
「ぎ、ギルさん……?聞こえていますか」
「……」
イリス。もしかして君は……、低劣なアルファどもと、「同じ」なのか?
一度抱いたオメガを自分のものだと思い込み、ただの穴として使うような、アルファどもと。
僕は、恋愛に浮かれるオメガなんかじゃないと思ってたのに。君は、「僕自身」を見てくれていると、信じていたのに。間違ってしまった、のだろうか。
「もう、いい。……帰る」
「えっあ、はい!送っていきます」
「……いい、来るな」
「しかし……傘も持っていないんでしょう?この状態のあなたをひとりで帰らせるのは、……したく、ありません」
立ち上がるとふらついた。確かにこれでは、自力で帰るのは不安がある。イリスを見上げる。垂れ下がった尾に、後ろめたそうな顔。
君は何を考えてるんだ?
歩き出す。後ろをイリスが着いてくる。来る時とは比べ物にならないほど二人の距離は遠く、離れていた。
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