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第8話 選ばれた熱
「なあレト、それ、絶対に塗らなきゃダメか?」
風呂上がり、凛士は足元に視線を向けて言った。柔らかなタオルで凛士の体についた水滴を丁寧に拭っていたヴァレトが、「もちろんです」と笑みを浮かべる。
専属の従者をあてがわれたとはいえ、凛士は彼を使うつもりはなかった。だが、ヴァレト本人が凛士の傍を片時も離れず、食事も手ずから与えようとする始末で、結局根負けしてしまったのだ。
(……にしたって俺、ほんと、何やってんだろ)
ヴァレトから「王に叱られる」と言われなければ、浴室にまで同行してくる彼を受け入れはしなかった。
元々凛士は過度な献身を好まないし、べたべた触られるのも嫌いだ。
王命だと訴えるヴァレトの表情に恐怖はなかったが、あの王の機嫌を損ねたらどんな酷い扱いを受けるか、それを察してしまった凛士は、ヴァレトの好きなようにさせるしかなかった。
その結果、体を隅々まで洗われ、湯船でマッサージを受け、今はこうして体を拭かれている。
凛士は自分の世話をするヴァレトの、鈍色の長い銀髪をぼんやりと眺めた。
ヴァレト、という名前は呼びにくいので「レト」と呼ぶと一方的に告げると、ヴァレトはそれを快諾した。意趣返しのつもりだった凛士は拍子抜けしてしまい、しかし元の呼び方に戻すこともできず、レト呼びが定着している。
「この香油は陛下が特にお気に入りの香りですから。全身にしっかり塗って香りを染み込ませましょう」
ヴァレトが小瓶を手に取った。じゃあ俺が自分でやる、とは言わせない雰囲気に、凛士は早々に諦める。
凛士は、まだツガイが確定する前、黒頭巾の男たちにあれこれ塗られた時のことを思い出した。
あの淡々とただ作業をこなしていた手と違い、ヴァレトの仕草には感情がこもっている。不思議と不快感がないのは、そこに性への興味が欠片も存在していないことだと、凛士は気づいた。
凛士が王のツガイだからか、最初から対象外だからかはわからないが、そのヴァレトの態度は凛士に妙な安心感を与えた。
(……だってこいつ、見た目だけなら、あいつにちょっと似てるんだよな)
香油を塗り終えたヴァレトが立ち上がり、凛士に微笑みかける。
ヴァレトの背丈はアルヴァルドとほぼ同じだ。顔の造形も、どことなく彼に似通っている。ただ目の色は髪と同じ鈍い銀色で、アルヴァルドの獰猛な金色の目とは真逆だった。
「レトってあいつと親戚とか?」
ヴァレトは一瞬だけ目を丸くし、それから「いいえ」と首を横に振った。
敬愛する王をあいつ呼ばわりされたことへの咎めはなかった。もしかしたら、ツガイとなった男の無礼な態度に呆れただけかもしれないが。
「みんな犬みたいな耳生えてるけど、そういう種族なのか?」
あけすけに聞いてくる凛士に気分を害した様子もなく、ヴァレトは笑みを浮かべた。
「この国も民も、獣王陛下あってのもの。民はみな、あの方の眷属なのです」
そう言ったヴァレトが、笑みを深くして凛士を見た。
「そしてリンジ様は……陛下に並ぶお方」
肌触りの良いローブをかけられ、さらにマントも羽織られる。しっかりと前を留めながら、ヴァレトは「あの方以外に、誰にも、決して肌を見せてはいけませんよ」と念を押した。
お前には隅々まで見られてるけどな、そう凛士は思ったが声には出さなかった。
「さあ、寝所に参りましょう」
ヴァレトに促され、凛士は歩き出そうとしていた足を止めた。
今夜は、二回目の月が昇る夜だ。
「リンジ様」
ヴァレトが凛士の背を押す。
その手つきは優しいが、凛士の戸惑いを察しても、決して理由を問わず、慰めず、慮ることもない。
(やっぱこいつもムカつく)
凛士はため息をつくと、重い足を動かした。
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