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§41 瘡蓋
静寂を切り裂く、痛々しい悲鳴が鼓膜を打った。
「ッあ! ……ハァ、ハッ……」
「……グレン、大丈夫だ。大丈夫」
夜闇に慣れた目で、月明かりが彼の強張った背中を白く照らすのを捉える。
薄掛けを破りそうな勢いでグレンが飛び起きた。
その気配で同時に起きた俺は、悪夢の残滓に怯え、この世の終わりのような顔をしているグレンを抱きしめた。
グレンから抱き返されることはなく、腕は力無くだらりとしている。まるで魂が抜け落ちたかのように冷たい瞳が俺の焦燥を煽る。
俺は裸足のままベッドから出て床を踏む。離れたローテーブルに置いてあるグラスへ、水差しから飲み水を注ぐ。グレンのもとへ戻り、手に持たせる。
虚空を彷徨っていた瞳がゆっくりと俺をとらえた。
「ライ、ゼル……」
「うん、俺だよ。水は飲めそうか」
「あぁ……」
俺を見つめる瞳が安堵の色を浮かべ、微かに潤んだ。
グラスの水をゆっくりと飲み干す。
その手から滑り落ちぬようグラスを優しく奪い、テーブルに戻した。
ここ数日、グレンがうなされて飛び起きるので万が一に備えてサイドテーブルに水差しを置かないようにしている。
「すまない……また、起こしてしまったな……」
絞り出すような謝罪の言葉が、ひどく痛い。何が、って俺の耳や鳩尾や心臓が痛く感じるんだ。
「気にするなって。お互い夜の見張り番はたくさん経験しているんだから」
グレンの負い目に感じる気持ちが軽くなるように、努めて明るく返す。
向かい合って座り、グレンの頭を撫でながら脱力した身体を俺の方へ倒して体重をかけさせる。しなだれる首が俺の肩にぴったりと沿う。
そのまま彼の頭を撫で続ける。
心の中では、もう一歩踏み込んでみるべきか逡巡していた。
今日はまだ早いかもしれない。いやそれはただの先送りだ、と思考が回る。
確かなのは、このまま彼が苦しみ続けるのをただ見ているだけなど耐えられないということだけ。
「……ありがとう、ライ」
くぐもった声が、胸元で響いた。
「ん~? 当たり前だろ。グレンが苦しんでいたら寄り添うさ」
そのあまりに力の無い言葉に、涙が出そうになる。
誤魔化すようにして努めて明るく返す。
グレンが辛いと、俺も辛い。ただそれだけだ。まるで合わせ鏡のように、彼の痛みが俺の心を抉る。
「少し前の俺なら……落ち着くまで私室を別にしようなどと、言っていたかもしれないな」
「それを許す俺じゃないってこと、よく分かってくれていて嬉しいよ」
グレンがゆるゆる、と首を振る。
「違うんだ。もう、お前無しでは寝付くことすらできないだろう。言わないのではなく、言えないんだ。すまない」
「謝るなよ」
頭をぽんぽん、と軽く叩く。
グレンは額を俺の首や胸元にごしごし擦り付けてくる。まるで拠り所を求めるように。
彼の熱がガウン越しに直接伝わってくる。
そのまましばらくそうしていると、温かな体温で眠気が訪れる。
しかしそこで、グレンが小さな声で呟いた。
「……少し、話を聞いてもらってもいいか。決して、面白くはないが」
「あぁ。いくらでも聞くよ」
ぽつり、ぽつりと夕立の降りはじめのように言葉が落ちていく。
8歳になったばかりの雨が降る夏の夜。
浮気をした父親を母親が殺し、母親は父親の浮気相手に殺されるという悲惨な事件があったのだと。
その時の彼の絶望を思うと、胸が締め付けられる。
その後、グレンはジェイドとミレイの家に引き取られ、きょうだいのように育った。
恩返しをするために当時最年少の15歳で騎士団に入団したこと。
しかし大人になっても夏の雨が降る夜にはうなされて体調を崩してしまう。
刻まれた傷は、王という立場になってもなお、彼を蝕み続けていた。
加えて、3か月に1度くらいの頻度で訪れる獣人の発情期は、今まで強い薬で抑えていたのだが、去年くらいから効き目が薄れている。
俺と一緒にいたいが、発情期に薬が効かなければ気が触れて俺を傷つけてしまうかもしれないのが怖い。
自身の瞳が獣の欲望で濁ることを、彼は何よりも恐れていたのだ。
俺を傷つけてしまえば、自分も両親と同じ道を辿るような気がして恐ろしい、と。
現に領主会議でタイタスにウインクをされているのを見るだけで苛ついてしまった。独占欲で俺を傷つけてしまうかもしれないのが心底怖いのだと。
――――とりとめのない話が続いた。
繋がりがあるようでないと思える話もあるが、全てがグレンの心の中で影響しあっている。
絡み過ぎた糸は大きな毛玉のようになる。そんな感じだろう。
グレンが苦しんでいるのに申し訳ないが、俺は内心喜びを感じていた。
彼の中に俺と離れる選択肢が無いことを嬉しいと思ってしまった。
これほど辛い思いをしているのに逃げず、俺と一緒に居たいと思ってくれたから話してくれたのだ。
あらかた話し終わったグレンは涙を零していて、顔の周りがぺしょぺしょに濡れてしまっていた。まるで幼い子供のように、無防備に泣き濡れている。
俺はタオルをとって濡れた部分を優しく拭く。
「話してくれてありがとう。今までよく頑張ってきたな」
「……ウゥッ」
声を上げて泣き始めたグレンの身体を、強く抱きしめる。
こういう時は自分の身体がグレンより小さいことを恨めしく思う。もっと大きな身体で受け止めてあげたい。
彼の盾にも、剣にも、そして安らげる寝床にもなりたいと、切に願う。
これまで溜め込んできた涙が一気に決壊したのだろう、グレンはしばらく泣き止まなかった。
ようやく泣き止んだところでもう一度水を飲ませて、ベッドに寝かせる。
そのまま抱きしめていると、あっという間に眠ってしまった。
俺の腕の中で、ようやく安堵したように穏やかな寝息が聞こえてくる。
「……おやすみ、グレン」
その額に、そっと唇を落とした。
今度は温かい夢が見られますように、と願いながら、俺も瞼を閉じた。
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