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第9話
鳥の囀りに目を覚ましたロキはぐっと背伸びをした。身体の節々が痛く、怠さが残っている。
シーツは新しいものに変えられ、寝間着も着せてもらっている。事後にクラストが全部やってくれたのだろう。
だが当の本人の姿はない。もう仕事に出ているのだろうか。
(いなくてよかった。昨晩のことを思い出したら恥ずかしい)
昨晩のクラストはすごいの一言に限る。
クラストのしっとりとした指の腹に肌をなぞられるだけで、導火線に火が点けられるように燃えてしまい、何度も強請ってしまった。
ロキが弱い部分を的確に虐められ、でもときどき絶対に触ってくれなかったりと翻弄されっぱなしだったのだ。
思いだすだけで恥ずかしくなり、ロキはデュベを頭からかぶった。
『失礼します。ロキ様、よろしいでしょうか』
「はい! どうぞ」
扉がノックされ、顔を出したのはデイビットだ。何度も情事後の姿は見られているとはいえ羞恥心がないわけではない。
ロキはデュベから顔だけ出した。
「朝早くに申し訳ありません。緊急事態でございます」
「クラスト様になにかあったのですか?」
まさか呪いがと思ったが、デイビットが返事をするより先に甲高いヒールの音が部屋に響いた。
「おはようございます、ロキ・ステンホルムさん」
デイビットの後ろにいたのはひだ付きのティーガウンを羽織り、深緑のドレスを着たレビーナ夫人だ。
「リリー様、お庭でお待ちくださいと申したではありませんか」
「早くロキさんに会いたかったのですわ」
「ですが」
デイビットが止めようとしてもリリーはずかずかと歩み寄って来る。
情事の痕跡が消えているとはいえ、貴族でもなんでもないロキが屋敷にいるのは不自然だ。
レビーナ家の警護は完璧で、ネズミ一匹侵入できない。となるとクラストが呼んだことになり、自ずと答えが出てしまう。
(どうしよう、バレちゃった)
だがリリーはじっとロキを見つめたまま瞬きすらしない。まるで値踏みされているかのような気味の悪さにロキは唾を飲み込んだ。
「あなた……クラストに相応しくありませんわ」
「えっ……」
「お庭で待っています。支度をしてから来てくださいな」
「は、はい」
そう一言残すとリリーは部屋を出て行ってしまった。
(いま相応しくないって言われたよな)
一体どういう意味だろう。
デイビットに視線を向けたが彼は首を左右に振るだけだった。
急いで身支度を整えてロキはリリーに言われた通りに庭園へ向かった。
別邸とは比べものにならないくらい広い庭園が目の前に広がっている。
庭園は左右対称に彩られ、中央には人間をモチーフにした石像がのっかった噴水があった。石畳の奥にはガゼボがあり、両脇は広場になっている。
その広場にメイドや執事が集まっていた。
もしかして誰か来るのだろうか。
「いらっしゃい、ロキさん」
「……これはどういうことですか?」
貴族を招いたお茶会の準備かと思ったら、まさかメイドや執事、コック服を着た料理番まで集まり、菓子や紅茶を楽しんでいる。リリーの目の前で、だ。
従者は主の前で飲み食いをしてはいけないマナーがある。ロキが知っているくらいなのだから、レビーナ家に使える者は当然の知識としてあるはずだ。
だがこれはどういうことだろう。
リリーはソーサーをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ようこそ、白百合会へ」
高らかに宣言すると従者たちが拍手をしている。
一通り喝采を受けたリリーが手を下ろすと拍手が止んだ。
「ここは私が主催するお茶会です。おもてなしするのも私、お料理やお茶を用意するのも私。そしてお客様はここで働いてくれている者たちです」
従者をもてなす貴族がいるなんて聞いたことがない。ロキが理解に苦しんでいるとリリーは続けた。
「ロキさんは甘いものはお好きかしら? このクッキーは蜂蜜を使った自信作なんですよ」
「い、いただきます!」
クッキーが山盛りのった皿を差し出されたのでロキが一枚食べると、柔らかな食感のあとにほのかに甘味が口の中に広がる。
「美味しいです!」
「お口に合うようで安心しました。紅茶も異国から手に入れた薔薇が入ったものなんですよ」
「いただきます!」
起きてからなにも口にしていなかったのでまくまく食べているとリリーは少女のように笑った。
「美味しそうに食べてくれるので嬉しいわ」
「……すいません。マナー違反ですよね」
お茶会での作法なんて知らずに出されたものを遠慮なく食べてしまった。今更ながら後悔して手を引っ込めようとするとリリーに手を取られた。
「荒れている手ね。外で随分働いてきたんじゃない」
「お見苦しいものをすいません」
ロキは頭を下げた。
(怒られるのかな)
最初はおだてておいて調子に乗らせ、頃合いをみて雷を落とさるのだろうか。なら早くして欲しい。
じっとリリーを見上げると彼女は笑い皺を深くさせた。
「少しお話してもいいかしら」
「はい」
リリーは目線で他の従者たちを下げさせ、奥にあるガゼボに向かった。
周りには誰もいない。
リリーはゆったりとした動作で椅子に座った。
「クラストは呪いをかけられているのね」
「どうして……それを」
「あの子は隠したがっているけど、親ですもの。見ててわかるわ」
「……そうですか」
「あの子がどうして呪いのことを私たちに隠したがっているかわかる?」
「いえ……クラスト様は自分のことをあまり話したがらないので」
「そう」
リリーは紅茶を一口飲んでから重々しく唇を開いた。
「クラストは私たちの本当の子ではないのよ。私の親友の子なの」
「……それはクラスト様もご存知なんですか?」
「もちろん。だからレビーナ家に恥じないように努力をしてくれてる……見ていて痛々しいくらいにね」
眉をきゅっと寄せるリリーは目尻に涙が浮かんでいるように見えた。
「子どもの頃から外で遊びもせず、勉強や剣の鍛錬をして……王立学園では常に首席を保ち、レビーナ家の品位護ってくれる」
「立派ですね。クラスト様らしいです」
「ロキさんにはあの子がどう映る?」
リリーの問いにロキはゆっくりと考えた。
「真面目で理知的な方だと思います。頑固なところもありますね。でもーー」
ロキはしっかりとリリーをみつめた。
「とてもおやさしい方だと思います」
リリーは虚を突かれたように目を丸くしたあと、やさしく微笑んでくれた。
「クラストをよく見てくださってるのね」
「……もちろんです。大切な主ですから」
「ありがとう。ロキさんと出会えてあの子は幸せ者だわ」
「そんなことありません」
すべての原因はロキにある。慈愛に満ちたリリーの瞳をまともに見られなくない。
リリーは背筋を伸ばし、頭を下げた。
「でもロキさんのような立派な肩に娼夫みたいな真似させてごめんなさい」
「頭をお上げください! オレ自身も望んでいることですから!」
ロキが立ち上がるとリリーは目を丸くさせている。遠くでお茶会をしていた他の従者たちもこちらに視線を向けていた。
すいません、と頭を下げてから椅子に座り直す。
「クラスト様はこんなオレでも丁重に扱ってくれます」
「当然です。レビーナ家で働く従者はみんな大切な家族なんですもの。小さいときからきつく教えてきたわ」
「でも、それだけじゃなくて……」
この気持ちをどう言葉にすればいいのだろう。
クラストに求められると嬉しい。
でもシンシアとのことを知って腸が煮えくり返るほど怒りに震えた。
それを好きという一言だけではおさまりきらない。
ロキが考え込んでいるとリリーはふふっと笑った。
「あの子を愛してくれてありがとう。相応しくないと思ったけど、ロキさんとお似合いみたい」
どうやらリリーにはすべてお見通しらしい。ロキは顔を真っ赤にさせた。
「不相応だと身をわきまえています。これ以上のことは求めません。呪いのことが解決したら、オレは一従者としてレビーナ家に生涯尽くします」
ロキは腰を曲げて深く頭を下げた。この気持ちは墓場まで持って行く。だから死ぬまでクラストのそばいさせて欲しい。
(そのためには早く呪いを解かなきゃ)
呪いがいつ発動するかわからないので、クラストはそう自由に動けない。彼がレビーナ家として立派に役目を果たすには呪いは足枷になる。
「母上! どうしてロキを勝手に連れ出してなにをしているんですか!」
クラストが石畳を踏みしめながら庭園にやって来て、ロキの腕を掴んだ。骨が軋むほどの強さに驚いてしまう。
「見つかっちゃったわ、残念」
「また従者を集めてのお茶会ですか。レビーナ家の品性が疑われると言ったじゃないですか」
「たくさん作った菓子を試食してもらっているだけよ。クラストもお一つ食べる?」
「はぁ~母上はどうしてそう自由なんですか」
「美しい鳥ほど鳥籠に入らないものよ」
「……ロキ、体調は大丈夫か? すまない、父が散歩に行こうと誘ってくれたので朝早く出ていた」
「いえ、大丈夫です。リリー様のお菓子とても美味しいですよ」
「本当か? 顔色が少し悪いぞ」
「元気です!」
力こぶを作ってみせるとクラストはくしゃっと笑てくれた。長い睫毛が目元に影をつくっている。
「あまり無理するなよ」
「はい!」
だがすぐクラストは元の渋面に戻ってしまう。鋭い視線をリリーに向けている。
「ロキのこと気づいてらしたんですか」
「隠そうとすればするほど人間は不自然な言動になるものよ」
「……すいません。レビーナ家の品位に関わる呪いを受けました」
「相手の見当はついた?」
「はい」
びくりとロキの肩が跳ねた。呪いをかけたシンシアを暴けば、数珠繋ぎで呪詛師であるロキに辿り着く可能性が高い。
このままでは従者としてもレビーナ家に置いてもらえなくなってしまう。
(なんとかしなきゃ)
決意を改めて固めているとリリーがぱちんと手を叩いた。
「午後には別宅に帰るのでしょう? その前にこの庭園をロキさんに案内してあげたら?」
リリーの素晴らしい提案にロキは椅子から立ち上がった。
「ぜひ見て回りたいです!」
「……ロキが望むなら」
「なら、決まり。いってらっしゃい」
リリーに見送られ、ロキとクラストは庭園の奥へと進んだ。
庭園は見事な花が咲き乱れ、手入れが隅々まで行き届いる。ファエルの腕もなかなかのものだが、彼の師匠はさらに上だ。花の色合いや茎の高さ、季節ごとに咲く花を熟知し、庭園をキャンバスに見立て一枚の絵画のような美しさがある。
うっとりと向日葵を見つめているとクラストは首を傾げた。
「ロキは花が好きなのか?」
「はい! 亡くなった母が好きで、一緒に見ているうちにオレも」
「そうか。どれ」
クラストは赤い薔薇を一つ切り、ロキの耳に差してくれた。ふわりと薔薇の香りが鼻孔を擽る。
「黒い髪に合っているな」
「こんなことしたら薔薇が可哀想です」
「なら部屋で生けておけばいい」
「ですが」
ロキは呪詛師なので植物に触れない。触った途端、焼け焦げたように黒く朽ちてしまうのだ。
そんなところを見られたら一発で呪詛師として気づかれてしまう。
「変な動きをしているな」
「薔薇を落とさないように歩いているんです」
「隙だらけだぞ」
クラストの顔が近づいて、あっという間にキスをされた。彼の頬には紋章が浮かんでいない。それなのにキスをする意味がわからず、ロキはぽかんと口を開けた。
「どうされたんですか?」
「……すまない」
「謝って欲しいんじゃないんです。どうしてキスをしたのか訊いてるんです」
ロキが問い詰めるとクラストは顔を手で覆った。
「あまりにロキが愛らしかったので我慢できなかった」
「オレが、愛らしい?」
「そうだ」
意味がわからずロキは首を傾げた。
だがクラストはそれ以上なにも答えてくれない。代わりのように手を繋がれてしまいますます混乱してしまう。
「ロキの手は小さいな」
「こんなことしていいのですか? 誰かに見られたら」
「ここには誰もいないさ」
確かに庭園には人の姿はない。従者はみんな屋敷の近くでお茶会をしている最中だ。
でも後ろめたさがある。呪いが発動していないのに身体を触れ合わせる意味がわからない。
(もしかして呪いが解けたらオレをそのまま妾にするのか)
妊娠しない妾になんの意味があるのかわからない。もしかしてただ性的欲求を満たす玩具だろうか。
それでもクラストのそばにいられるならいいとずっと思っていた。でもーー
(どうしてこんなに胸が苦しいんだろう)
ロキは自分の胸にそっと手を当てた。
クラストのそばにいられるなら有能な従者にだってなってやる。
でも妾としてそばにいるのは嫌だ。
どうしてそう思うのか自分でもわからなくて頭を抱えたくなった。
クラストはロキの頭にささっている薔薇をやさしく撫でた。
「母上から俺の話は聞いたか」
「はい。だいたい」
「俺の両親は数年前の流行り病で死んだ。親戚もおらず、孤児院に預けられるというところでリリー様が俺を引き取ってくださったんだ」
重々しい語り口調にロキはじっと耳を傾けた。
「俺の生まれは爵位もない一般家庭だったが、母が元々伯爵家の娘でリリー様とは王立学園の同級生だったらしい」
ーー『私の親友の子なの』
リリーの表情が蘇る。とても愛おしそうな顔をしていたので、二人はかなり仲が良かったのだろう。
けれど病で死に、親友が残した宝物を育てることにした。リリーたちはなかなか子宝に恵まれず、遠縁の子を養子にしようかという話が持ち上がっていたらしい。
それをクラストということにして、リリーたちはたくさんの愛情をかけてクラストを育ててくれたそうだ。
「リリー様たちには返しきれない恩がある。だから俺は次期公爵としてレビーナ家を繁栄させたい」
ぎゅっと繋がれた手に力が込められる。クラストの決意を表すかのように力強い。
ロキとクラストの境遇は似ている。だがロキは孤児院に行き、歯車のように働いて苦しい生活を強いられてきた。
もし一歩間違っていたらクラストがロキになっていたかもしれない。
だからクラストはいつもロキに気遣ってくれている。
ロキを救うことはクラスト自身を救うことと同じなのかもしれない。
クラストはゆっくりと息を吐いた。
「こんな呪いに邪魔されている場合じゃない」
心臓を一突きされたように鋭く痛んだ。
クラストの努力をロキが邪魔をしている。金に目が眩んで呪符を売ってしまい、彼をここまで追い詰めてしまったのだ。
「……ごめんなさい」
「どうしてロキが謝るんだ」
「ごめんなさい」
頭を下げると耳にかけられた薔薇が落ちた。
でもロキはそれを拾うことも顔をあげることもできなかった。
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