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第10話

 別宅に戻ると異変が起きた。  クラストの呪いが三日に一回に減ったのだ。  デイビットやファエルは喜んでいるが、ロキの気持ちはどんどん暗い沼に吸い寄せられていく。まるで自分の足場がどんどん削られていくような不安感だ。  クラストはより仕事に身を置き、ロキの部屋に訪ねてくることは極端に減った。  仕事の邪魔はできないのでロキも執務室に足を運ぶのをやめ、屋敷の掃除や料理の補助をしている。  玄関掃除に勤しんでいるとデイビットが声をかけてくれた。  「お疲れ様です、ロキ様。さすがどんなお仕事もすぐにマスターしてしまいますね」  「ここのみなさんが教えるのが上手だからですよ」  「そんなことありません。ロキ様が一生懸命だから手を差し出してもらえるのです」  「……ありがとうございます」  ロキがお礼を言うとデイビットは目尻を下げた。  娼夫として働くロキにデイビットはずっと心を痛めてくれていたのだろう。ロキが日の下で働けば働くほど嬉しそうに目尻の皺を深くさせている。  どんどんクラストとの距離が開いていくことに焦燥感が背中を叩いてきていた。  「少し休憩にしましょうか」  「クラスト様はどちらに?」  「街にお出かけになっていますよ」  「そうですか」  どうりで朝から姿を見ないわけか。また気分が落ちそうになり、ぱんと頬を叩いた。  「せっかくですから庭園でお茶にしませんか? 従者のみなさんを誘って」  「それは素晴らしいですね。白百合会ならぬ、薔薇会でしょうか」  「素敵ですね」  デイビットの調子に合わせてロキは笑顔を浮かべた。  沈んだ顔をしていてもいいことは起きない。辛いときほど笑っていれば運を引き寄せられると身をもって知っている。  「じゃあオレはファエルとテーブルと椅子を用意しますね」  「お願いします」  ロキは箒を倉庫に片付け、庭園へと向かった。  薔薇の季節は終わりを迎え、初夏らしくラベンダーやツツジに変わってきている。向日葵は青空に向かってぐんぐんと背丈を伸ばしていた。  「あれ? いないな」  てっきり低木の剪定をしていると思ったがファエルの姿はない。裏庭ではなく、表の方にいるのだろうか。  方向を変えようと振り返るとかんと小石を踏む音がした。  「御機嫌よう、呪詛師さん」  「……シンシア様?」  初夏らしいミントグリーンのドレスに身を包んだシンシアが階段の踊り場に立っている。なぜここにいるんだ。  驚きで声が出せない。  シンシアは舞台女優のように優雅な仕草で階段を下りた。  「まさかあなたが呪詛師だと思いませんでしたわ。でもその不吉な黒髪……東の国の血が混じっているのですね。汚らわしい」  ロキは声にならない悲鳴をあげた。シンシアの瞳には明確な嫌悪がある。  この屋敷に来てからというものみんなロキを温かく迎え入れてくれた。そのやさしさに慣れてしまったせいで久しぶりの敵意は身を震わせる。  でもなんとか自分を奮い立たせ、ロキは対峙した。  「どうして……こちらにいらっしゃるんですか?」  「呪いの効果が切れかかっているわ。だから新しい呪符をお願いしに来たの」  わざわざロキの元へ顔を隠さず来るくらいだからシンシアは本気なのかもしれない。  別宅に来てから何度か呪符の売買を持ちかけられていたがすべて断っていた。伝書鳩を自然に返し、誰もロキの足取りを掴めないように念入りに痕跡を消しているつもりだったが、貴族の情報網を侮っていた。  ロキはぐっと奥歯を噛む。  「できません」  「なら、あなたが呪詛師だと言いふらすわ。それでよくって?」  「オレを揺するつもりですか」  「本当は私がクラスト様のお相手をして子どもを身籠るつもりだったのに、あなたに邪魔されたんですもの。それくらいの権利はあるわ」  「……」  シンシアの言葉に視界が赤く染まる。彼女は自分のことしか考えていない。婚約者という立場では飽き足らず、一日でも早く既成事実を作ろうとしているのだろう。  クラストがどれほどの努力をしていまの地位を護っているのか、シンシアは理解しているのだろうか。  「シンシア様」  見知らぬ従者が現れてシンシアに耳打ちをすると彼女は小さく頷いた。  「今度会うときは必ず呪符を持ってきなさい」  「そんなことできません!」  「……あなた、うちの近くにある孤児院出身だそうね。随分ボロい建物でいまにでも朽ち果てそうだと。最近空気が乾燥しているわ。火事でもあったらひとたまりもないでしょう」  「まさか」  シンシアは妖艶に微笑んだ。  「では、近いうちに」  来たときと同様にシンシアは優雅に去って行った。追いかけることもできず、ロキはただこぶしを握っていた。  夜になりロキは屋敷を抜け出して、街へと向かった。  貴族街を挟んだ高台にモーラン邸がある。  ロキはポケット入っている最後の呪符を撫でた。  (自分に呪いをかけてクラスト様を護る)  呪詛師が自分に呪いをかけられるのか試したことがない。けれどやらなければシンシアが孤児院に手を出すのは目に見えていた。  どちらも護るためには躊躇している時間がない。  クラストが帰って来ていない隙に屋敷を出てきたのだ。デイビットもファエルも気づいていないはず。自分がいないことを知られる前に早く戻らなければならない。  ロキは大通りから身を隠すようにして高い塀を見上げた。  「さて、ここからどうするか」  塀を登るのは容易い。だが中の状況がわからないのに迂闊に進入して捕まったら水の泡だ。  計画を練っていると門の前に見慣れた馬車が停まった。  (クラスト様っ……どうして?)  馬車から降りてきたのは正装に身を包んだクラストだ。なぜ彼がここにいる?  (作戦を中止するか。でもせっかくここまで来たんだ。どちらにしろオレに選択肢はない)  ようは気づかれなければいいのだ。  ロキはもう一度気合いを入れて、塀をのぼった。  草陰に隠れて呪符を取り出し、手早く書き連ねる。  ーーシンシアの従者の誰かに見た目を変える  一か八かの賭けだ。こんなの呪いでもなんでもない。呪いは誰かにかけてもらわなければ呪いではないのだ。  だが呪符は黒い炎をあげた。  ロキは自分の姿を確認しようと無理やり短い髪を引っ張ると赤茶色をしている。顔を触ってみると鼻の形や頬骨の位置が微妙に違う。  (よし、行ける)  ロキは正面玄関から堂々と屋敷に入った。  すれ違う従者たちにヒヤリとするがロキを不審に思う人がいない。やはり誰かの代わりになれたのだ。  中央階段をのぼるとちょうどクラストがどこかの一室に入る姿が見える。人気がないことを確認してからロキは扉に耳を当てた。  『こんな夜更けに呼び出してなんの用だ』  『見てくださいませ、結婚式に着るドレスが先ほど出来上がりましたの。早くクラスト様に見て頂きたくてお呼び出ししたのですわ』  『……シンシアとの婚約は断っているだろ』  『私は認めていません』  それきり二人は黙ってしまった。姿が見えないから状況がわからない。  鍵穴からなら見えるだろうか。  ロキが小さな鍵穴を覗いていると二人の姿はない。あれ、と思う間もなく扉が開いた。バランスを崩し転がりながら室内に入るとシンシアがドアノブを手にしている。  「子鼠が一匹混じっていましたわ」  「誰だ。いま人払いをしているはずだぞ」  クラストの剣幕に驚いて咄嗟に声が出ない。「あの、その……」と繰り返しているとシンシアは妖艶に目を細めた。  「さてどうお仕置きしようかしら」  シンシアにシャツを掴まれると胸ポケットに入れた呪符がひらひらと落ちた。  ロキが手を伸ばすより先にシンシアのヒールに踏まれてしまう。  ぐっと力を込めると紙が破け、みるみる呪符の炎が消えてしまった。  ロキは慌てて立て掛けられていた姿見を見ると自分の姿に戻ってしまっている。  「……ロキ? どうしてここに?」  最悪の場面で気づかれてしまった。クラストは目を丸くさせ、「さっきまで従者は?」と困惑している。  シンシアは破れた呪符を拾い上げた。  「これで自分に呪いをかけて変装していたのでしょう。つまり……クラスト様にも呪いをかけているのはあなたですね」  「違う!」  ロキが反駁するとシンシアは汚いものを見るように眉を寄せた。  「汚らわしい。クラスト様に呪いをかけ、多額の給金をせしめていたんですわ。そんなに卑しいから呪詛師は根絶やしにされたのですよ」  ロキは歯を軋ませながらシンシアを睨みつけた。  「ロキ……本当なのか?」  クラストの縋るような声に胸が痛む。彼に呪符を使ったのはシンシアだ。だが元を辿ればロキが呪符を売ったせいでもある。  ならクラストを貶めたのはロキ自身ということだ。  薔薇色の瞳を見ていられなくて逸らすとシンシアの勝ち誇った顔がみえた。  全部、こうなるように仕向けていたのだろう。彼女の手のひらで転がされていたのだ。  「その者を連れて行きなさい」  従者が現れてロキは捕らえられた。抵抗する気力もなく、ただされるがまま引っ張られる。  「ロキ」  もう一度名前を呼ばれて肩越しで振り返った。  「ごめんなさい」  それだけ残してロキは部屋を連れ出された。  「ここで大人しくしていろ!」  閉じ込められたのはモーラン邸の地下にある牢屋だ。確かモーラン侯爵は街の治安を守る警護団を運営している。自宅に牢屋があっても不思議ではない。  窓がない牢屋は何年も空気を入れ替えていないのですえた匂いがする。壁と床には石が嵌め込まれ、柵はロキの二の腕と同じくらいの太さだ。  とてもじゃないが逃げ出せそうもない。  ロキは座り込んで壁に頭をつけた。  「……クラスト様」  ショックを受けたようなクラストの顔が頭にこびりついている。あんな最悪な場面で知られてしまった。きっといまごろシンシアからあることないこと吹き込まれて、ロキを軽蔑しているだろう。  後悔が溢れて涙となって流れてくる。  「ごめんなさい……ごめっ、なさい」  何度謝っても届かない。それでも言わずにはいられなかった。    どれくらい時間が経ったのだろうか。どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ。  窓がないのでいまが朝なのか夜なのか見当もつかない。  ロキが身体を起こすとぎしぎしと骨が痛む。石畳の上で寝ていたせいだ。身体はどんよりと重く、目は腫れぼったい。  デイビットとファエルは心配してくれているだろうか。  (逆に清々しているかな)  呪詛師だと気づかれたいま、デイビットはロキを嫌っていても仕方がない。主を苦しめてきた諸悪の根源なのだから。  クラストの顔が浮かび、また涙が出てきた。枯れるほど泣いたはずなのに一体どこから出てくるのだろう。  膝の間に顔を埋めてめそめそと泣いているとがしゃんと金属の音がぶつかる音がした。  「起きたな」  どうやら見張り番がいたらしい。男はロキを認めるとにぃと笑った。  「シンシア様がお待ちだ」  男は牢屋の鍵を開けた。顎をしゃくるので出て来いと言うことなのだろう。男の後に続いて階段をのぼる。  重たそうな鉄扉を開けると庭に出た。地平線がよく見る。  まだ明け方だったようで黄金色の太陽が顔を出し始めていた。  庭に人の気配がない。きょろきょろと見回し、そしてロキは男に視線を定めた。  太陽を背にしているので表情がわからない。  「あの……どこにシンシア様がいるんですか?」  「なんだ、まだ気づいていないの?」  男はくしゃっと笑った。その笑い方には既視感がある。  「ファエル……?」  「正解」  「どうして、なんで」  目を凝らすと大男の頬にライラックの紋章が浮かんでいる。  「まさか呪いをかけたの?」  「そうだよ。デイビット様にお願いしたんだ。詳しくはあとで話すからこっち!」  ファエルに腕を引かれ、ロキは駆け出した。  裏庭の門を潜ると馬車が停まっていた。飛び乗ると走り出し、小窓からデイビットが顔を覗かせる。その頬にもライラックの紋章が浮かんでいる  「ロキ様、おはようございます」  「デイビット様!」  「ご無事でなによりです。これはもう破りましょうね」  デイビットが呪符を二つに引き裂くと大男からファエルの姿に戻った。  また二人に会えた喜びに涙が溢れてくる。  「もう二度と会えないかと思ってた」  「無茶するからだぞ。ロキが捕まったって聞いて、寿命が五年は縮んだね」  「ごめん」  「後先考えない癖、直しなよ」  ファエルは呆れたように肩を竦めた。  昔からロキが突っ走ってしまうので、それを止めるのがファエルの役割だった。  馬車は郊外へと走り、見慣れた別宅に着いた。まだ他の従者は起きていないらしく静かだ。  「クラスト様は?」  ロキが問いかけるとファエルは難しい顔をして、首を横に振った。  「本家にいらっしゃるよ。呪いが完全に解けたんだ」  「そっか」  喜ばしいことなのに胸が張り裂けそうだ。でもこれでやっとクラストはレビーナ公爵家の跡取りとして仕事ができる。  ファエルとデイビットが意味深に視線を交わした。まだなにかあるのだろうか。  重々しくファエルが口を開く。  「正式にクラスト様とシンシア様が結婚することになったんだ」  「……嘘」  「昨晩急にお決めになって、来月に結婚式をされるそうだよ」  「……だってシンシア様とのこと断ってたじゃないか」  「僕たちもクラスト様にお会いしてないから詳しいことはわからない。明日には僕たちも本家に戻るんだよ。ロキも一緒にね」  「そう」  初めからそういう契約だった。呪いが解けるまで夜の相手をして、呪いが解けたら従者になってレビーナ家を一生支える。リリーにも誓ったことだ。  決まっていた道筋を辿っているのにどうしてこんなにも辛いのだろう。  (クラスト様がシンシア様と結婚……)  これから地獄の日々が待っているのは明白だった。  次の日、ロキたちは荷物をまとめて本家へ向かった。すでに部屋も用意されており、ファエルと同室らしい。  ベッドが二つに洋服ダンスが二つ、テーブルが一つだけだが質のいいものだとすぐわかる。  リリーの教えの通り、従者にまで深く愛情を注いでくれているのだろう。  先に荷物整理をしていたファエルが鞄をごそごそと漁っている。  「昨日からなにも食べてないだろ? 顔色が悪いぞ」  「なんだか食欲が湧かなくて」  「じゃあこれだけでも食べな」  ファエルが渡してくれたのは丸い形の飴だ。最近商店街で流行っているらしい。  「それは赤だからいちご味だよ」  「赤……」  クラストの薔薇色の瞳を思い出してしまった。ぶるぶると頭を振る。  「ありがとう」  口の中に放るとやさしい甘味に少しだけ心が浮上する。  荷物整理を終えたロキたちは仕事着に着替えた。ファエルは庭園の世話、ロキは掃除を任されている。  玄関前の落ち葉を箒で掃いていると中央階段からクラストがおりてきた。  礼服に身を包んでいるからどこかに出かけるのだろう。鋭い眼光は冷たく、氷漬けにされた薔薇が思い浮かんだ。  クラストはロキが視界に入らないのかさっさと素通りしていく。  (当然だよな。オレが呪いをかけたようなものなんだから)  それでもロキを捨てないのはクラストのやさしさなのだろう。  ぐっと喉を締め、ロキは頭を下げた。  「いってらっしゃいませ、クラスト様」  足が止まったような気がしたが怖くて顔をあげられない。  早くいなくなって欲しいと願っていると馬車が走り出す音がして、ゆっくりと顔を上げた。  これからこんなことが死ぬまで続くのか。  目の前が暗くなるような絶望感にロキは視界を手で覆った。    「あら、逃げ出した子鼠じゃない」  「シンシア様……」  しばらく玄関掃除をしているとシンシアが馬車に乗ってやってきた。勝ち誇った笑みをロキに向けている。  「まぁ逃げ出したことは見逃してあげるわ。いま、とっても気分がいいの」  歌い出しそうなくらい上機嫌なシンシアは我が物顔でレビーナ邸へと入っていく。デイビットが案内をしているから結婚式の打ち合わせだろうか。  ロキの心に暗い影が落ちる。時間が経つほど影の濃度は濃くなっていった。  (このまま闇と同化するのだろうか)  そんなこと考えているとあっという間に数日が経った。  裏庭でメイドたちと洗濯物を洗っているとデイビットがやってきた。  「クラスト様がお呼びです」  「クラスト様がオレを?」  「はい」  朝早くからシンシアが来ているはずだ。二人は仲睦まじく庭園を回り、お茶をしているところを目撃したばかりである。  (……行きたくない)  胸はじくじくと痛んでいる。治る予定もないのにまた痛みを重ねろというのか。  でもロキに断る権利はないので、「はい」と返事をして応接室へと向かった。  「失礼します」  応接室にはレビーナ公爵、リリーとモーラン侯爵夫妻、シンシア、クラストの六人が揃っている。  テーブルの上には上質な箱が二つあった。いったいなにが起こるのだろう。  ロキを認めたシンシアは片眉を吊り上げたがクラストの手前、小言は言われなかった。  「ロキ、そこで見届人をやれ」  「……はい」  久しぶりにクラストに声をかけられて浮き足立ったが、氷のように冷たい目にしゅんと萎んでしまう。  ドア側にひっそりと立っているとモーラン家の従者もロキの隣に並んだ。  「こちら持参金でございます」  モーラン侯爵が恭しく頭を下げ、レビーナ公爵も別の箱を差し出した。  ヴェームス国では結婚前に持参金を交換し、約束は違えてはならないと契を交わす風習がある。  モーラン侯爵は受け取った箱を開け、中を確認するとにやっと口角を上げた。多額の金が入っているのだろう。  「これは……どういうことですか!?」  レビーナ公爵が声を荒げると室内に緊張が走る。何事かとクラストとリリーが箱を覗き、顔を青くさせた。  クラストが声を震わせている。  「レビーナ家を愚弄しているのですか?」  「まさか。尊敬を持っていますよ」  「ではこの説明をしてください!」  クラストが箱をひっくり返すと周りから悲鳴があがり、ロキも息を飲んだ。  「なっ……これはどういうことだ!!」  箱の中身はねずみの死骸が詰め込まれていた。腐臭が部屋に広がり、蝿がたかっている。  「レビーナ家への反逆……これは見過ごせませんよ」  クラストの断罪する声が切れ味のよい刃物のように響く。  「そんな……違う。確かに金貨を入れて……」  モーラン侯爵は言葉が続かない様子だ。シンシアの顔もみるみる青ざめている。  (あ、あれは!)  ロキがクラストに視線を向けると頰にライラックの紋章が浮かんでいる。発情の呪いは解けたはずだ。  (まさかーー)  ロキが目を丸くしているとクラストはほんの一瞬だけ表情を緩めた。瞬きよりも短い時間だったので、誰も気づいていないだろう。  クラストはだんとテーブルを叩いた。  「レビーナ家を愚弄したのだ! この婚約はなしにしてもらう!」  「ち、違うわ……そこの呪詛師がやったんです!」  シンシアが長い指をロキに向けた。全員の視線が向けられ、ひくりと喉が鳴る。  クラストが目を細めた。  「呪詛師とはなんだ?」  「人を呪う東の国の者のことですわ! 呪いをかけるとき呪符は必ず持っていなければならないのですから、この者が持っているはずです」  「では調べてみるといい」  「さぁ服を脱ぎなさい!」  シンシアに言われるがままロキは服を脱いだ。肌着と下着だけにさせられ、モーラン家の従者に身体をくまなく触られたが、当然ロキは呪符を持っていない。  もう全部使い切ってしまったのだ。  「な!? なら呪詛師は呪符がなくても呪いをかけられるのですわ!」  言いがかりをつけはじめたシンシアの瞳は動揺の色が浮かんでいる。どこか隠しているんでしょとなおもロキを糾弾した。  シンシアの様子を冷めた薔薇色の瞳でみつめていたクラストがゆっくりと口を開く。  「シンシア……きみは呪詛師について詳しすぎないか」  「そっ、それは」  「俺は呪詛師なんて存在、聞いたことがない。きみの妄言ではないだろうか」  「そんなことありません! これが呪符です!」  シンシアは胸元から呪符を取り出した。黒い炎は消えているが、そこにクラストの名前と「発情」の二文字がしっかり書かれている。  クラストはそれを奪い取った。  「これはどういうことだ?」  「あ、違う……これは」  「俺に呪いをかけたのはきみなのか?」  「違います! だって……そんなつもりじゃ」  シンシアは床にぺたんと座り込んでしまった。頭を抱え、全身が震えている。  「どういうことだ! シンシア!!」  モーラン侯爵に詰め寄られ、シンシアは黙って首を振った。  自らの手で悪事を暴露してしまったということに今更気づいたのだろう。  クラストは呪符を破り、床に放った。  「きみとの婚約はなしだ」  「そんな……」  言葉を失ってしまったシンシアは呆然と天井の四隅を見上げていた。

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