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3-21.

「さて」 誉はそう言いながら、二杯目のコーヒーに手を付けた。 「――ここでお二人に問題です」  そしてそれをクイと飲み干してから、空のカップを航と満に向けゆらゆらと揺らして見せる。 「君たちが思う櫂くんって、どんな子? はい、お兄さんの航くん」 「えっ、俺?」 すぐに眉を寄せる航に、誉は『はやくしろ』とばかりに顎をしゃくる。 対する航は腕を組み、視線を一瞬だけ左に向け考えた後、低い声で答えた。   「――自己肯定感がめちゃくちゃ低い。 あと人間不信。基本問題を抱え込むし……。 こっちが大丈夫だって言っても絶対信じない」 「なるほど。ずいぶん解像度が低いなあ。 これじゃあ、お兄さんとしては普通に落第だねえ」 「なっ」 誉はそう楽しそうにそう返し、次は満にその矛先を向ける。   「はい、続けて頼れる親戚のお兄さん、満くん」 「……」 満は目を細めて、メガネのブリッジに触れた。 それから目を伏せ考えた後、誉に視線を戻す。   「良くも悪くも、心配性ですね。 過度に失敗を恐れている様に見受けられます。 不安症やストレス耐性の低さの主要因も、そこにあるかと」 「うんうん、さすが。航よりは幾分マシだね」 誉はまたもや楽しそうにそう言うと、カップをテーブルに置いた。 それから幸運にも破壊芸の難を逃れたボールペンを一本抜き取り、まるで教鞭のようにその先端を天井に向ける。 「――どちらも半分正解、半分間違い」 「……なんなんだよお前、もったいぶるなよ」 「櫂マスターソムリエの見解が気になりますね」   せっかちな航は眉をつり上げてそう急かし、もはや面白いと思い始めた満は、その口の端を緩めゆっくりと返す。 誉はそんな対照的な二人を交互に見ながら頷き、自信たっぷりに言い放った。 「ダイヤモンドぐらい頑固で、エベレスト級にプライドが高い」 その言葉に二人は一瞬、ポカンとした顔をした。 ――が、すぐに航が左手を左右に振りながら強く否定をする。  「いやいや、それはない。 むしろいつもフワフワと迷ってて優柔不断だろ」 「そうですね。自分に自信がなさすぎて、プライドを持つ以前の段階かと思いますが」 満もまた、すぐにそう続いた。 だが誉は首を振り、ペン先でこめかみをツンツンとつきながら、返す。 「はあ、これだからニワカは困るんだよ……」 ついでにわざとらしく肩を竦め、ため息までついてみせた。 「自分が役立たずな存在だと決めつけて、頑なに他人の言葉を聞き入れない頑固さ――そして。 先回りされればされるほど、“低く見られた”と受け取るプライドの高さ」 「……詭弁だな」 「いやいや、見事なもんだよ。 もう十年以上言い続けてるのに、びっくりするくらい自己肯定感が上がらない。その割にフォローされるほど落ち込むってのは、それだけ自分が低く見られるのが認められないってことさ。 ほんとにさあ、もう、そんなとこがさあ……」 「うわ、ものすごくめんどくせえ……」 「……めちゃくちゃ可愛いんだよねえ」 「この話題の結論を『かわいい』に帰着させるあなたも大概だと思いますけどね」 呆れる二人を尻目に、誉は軽やかに続けた。   「――でさ。 そんなめんどくさいところがとっても可愛いカイくんはさ“オレにもできる”って思わせることが必要。 それがまずスタートライン。 逆に、そこさえしっかりハマれば、あとは放っておいてもうまく流れてくから」 「出来ると思わせる……。 つまり自信をつけさせる、か」 「ご名答」  だが、航はそう言いながらも首を傾げてしまう。  「――しかし、どうやるんだ。 頑固過ぎて、お前の話を聞いても曲げないんだろう?それに、俺だってそういう励ましは何度もしてきている。――が、あの状態だ」 「そうだね。 あの子は、ただ話をするだけではダメなんだよ」 「……なるほど」 そこで満は何かを察したようだった。 その様子を見た誉は、少しだけ口元を緩める。 「今のカイの一番の不安要因って、自分の思考力が下がってるかどうかじゃない?」   ――その話は、まだ誉にはしていない。 航はギクリと肩をこわばらせて問い返す。   「……何で分かった」 すると誉は、変わらず軽い口調で答えた。  「何となく」 肩を竦め、息を吐く。 「思考力はあの子が信じてる唯一の武器だし。 それに……だから『断薬』なんでしょ?」 「……」 「まわらない頭で、一人ずつ縁談を断る口弁をする。あの子にとって、それ以上に恐ろしいことはないよ」 そこでふと、航は疑問に思った。 ――何となくと言う割には、的を射すぎている。 「……何でそんなに櫂のことが分かるんだ。俺だってその話は、昼に本人からやっと聞いたんだ」 誉は、ニコニコとしたまま答える。 「……見てればわかるよ。 例えばこの前帰ってきた時も、抗うつ剤は飲みたくなさそうにしていたしね」 「……」 「そんな顔しないの。 もはや君よりも俺の方が一緒に過ごした時間も、乗り越えた壁の数も、圧倒的に多いんだ。 当然でしょ」 そして誉は、未だ複雑な顔をしている航に向かい、軽い調子で続ける。 「ま、そんな俺がやり方を教えるんだからさ。 うまくいくに決まってるでしょ」 そうとはいえ簡単には頷き難く、渋い顔をしたままの航の横で、満がため息をついた。 「……能書きはわかりました。 それで?具体的にはどのようにすれば? 口で言っても、効果が薄いんでしょう?」 「そうだね、だから……」 誉はボールペンの先を満に向け、朗らかに答える。   「IQ検査なんて、どうかな?」 「……IQ検査ぁ?」 あまりにも突飛な答えに、航がそう声を上げる。 満も眉を寄せながら、腕を組んだ。 ――あまり気乗りしていない様子だ。 誉は続ける。 「カイは、論より証拠。 どんなに口で『大丈夫』と言っても信じない。 でも、物証、あるいはデータで示せば、すぐに納得する。 君たちも、そういうの心当たりあるでしょ?」 「……悔しいが、すごくある。 今回の婚姻届騒動も、結局はそこが要因だよな」 航が頭を抱えながら返すと、誉は深く頷く。 「そうだね、俺の落ち度だよ。 ――愛してるって、言葉だけで済ませて……それを証明するものを、あげなかった」 「しかし何故、このタイミングで、急にIQテストを?」 「昔、テレビでたまたまその系の番組やっててさ。 それを見たカイが、学生の頃に家で何回かやったことがあるって言ってたんだよね」 「櫂がIQ検査を?……聞いたことがないが」 「瀬戸さんに聞けばわかるんじゃない? IQそのものが思考力のものさしになるし、過去受けた結果がもしあれば……」 「そこから大きく外れなければ、思考力が落ちてない証拠になるということか」 「その通り」 「……まずは瀬戸に確認しよう。もし本当に実施していれば、必ずデータは残っているはずだ」 「うん、それがいいね。 数値が落ちていなければ、それは自信になる。 自信がつけば、不安も消える。 不安が消えれば――動ける」  「すげえシンプルというか……単純だな」 「そう。だから言ったでしょ。 簡単だって、――ただ」 そこで誉は、一段声を低くした。 「一つだけ問題があって……」 そして、航の方を向きながらゆっくりと言う。 「カイはいろんな知識を持ってはいるんだけど、驚くほどその使い方を知らない。 だから、ちょこっとだけ手を貸してあげる。 これが二つ目にやるべきこと」 「手助け?」 「そう。ポイントは、先回りではなくて、伴走。 さっきも言った通り、先にレールを敷きすぎちゃうと、今度は自己否定が始まっちゃうからさ」 「……めんどくせえ」 「可愛いとこだってば」 誉はモニターへと再び視線を移す。 ちょうど寝返りを打ったカイを、柔らかく目を細めて見つめながら続ける。   「――カイは超合理主義だから。 先回りしてカイが思ったのと違う道を示されると、まんま否定された気持ちになっちゃうんだよね」 「つまり、問題解決の主導権は櫂に渡しつつも、こちらは適宜情報……データと言うべきか。 それを提供するに留める、と」 「うん、基本はそれでいいよ。もちろん、よほど変な方向に行こうとしてれば軌道修正させるけど……今回はたかが縁談の断りでしょ?カイなら余裕だよ」 そして視線を航に戻すと、ほんのわずかに口角を上げた。 「祝賀会に出席予定で、カイとの縁談希望の人を割り出してくれないかな。 併せて、顔写真、名前、年齢、それから経歴と趣味も」   更に一拍置いて、さらりと続ける。   「そしたら俺が、想定問答集を作ってあげるよ」 「簡単に言うけどな、お前が知らない令嬢だぞ」 「うん、問題ないよ。 俺、そういうの得意なんだよ」 「――相当な数になりますよ」 「そうは言っても、百人もいないでしょ? もらえたら半日もあれば作るよ」 「……まさかお前、その問答集をカイに覚えさせるとか言うんじゃないだろうな」 「人聞きが悪いな。 覚えさせる、じゃなくて覚えちゃうの。 カイはそういう子。 ――1日もあれば、十分じゃないかな」 常識的に考えれば、無茶な提案だ。だが航と満には、それを裏付ける心当たりがあった。 入院前の検査だ。 カイはその回答をたった一度の暗唱で覚え、本番では更に航の思惑の上をいく結果を出した。 畏怖の念すら抱きながら顔を見合わせる二人に、誉は涼しい顔で続けた。 「カイへのインプットに一日。 残りは全部、ケーススタディに回そう」 「ケーススタディって……」 「祝賀会での基本的な立ち振る舞い、それからゲストとの話し方。 これはさすがに、一般人の俺にはできない。 ……航しかできないからね。 「もちろん、瞬発的に対象の相手を判別して、想定問答集通りに答える練習もね。まとめて、頼むよ」 「お、おう」 航の返事は頼りないものだったが、誉は満足そうに小さく頷いた。 それから、一切迷う様子もなく、さらりと続ける。 「じゃあ、これからの段取りね」 指先でボールペンを遊ばせながら、言葉を重ねる。 「明日の朝までにデータを揃えてくれれば、 昼には全部仕上げて送るよ。 その間に、航はカイに基本だけ教えてあげて。 立ち振る舞いとか、会話の入り方とか。 コアの部分だけでいい」 そして、わずかに口元を緩めた。 「その後に、俺の作ったやつを渡して。 細かい説明はいらない。 きっと、あの子は勝手に読んで、覚えて。 ――自分で考えて、ちゃんと仕上げてくるから」 そこで、満が静かに口を開いた。 「……検査のタイミングは、どうしますか。 明日だと、まだ断薬の影響が強いかと」 誉は手の中でボールペンをクルクルと回して遊ばせながら、 「ああ、明後日でいいんじゃない」 と、あまりにもあっさりと答える。 「一番難しいケーススタディの前に、ちゃんと土台整えてあげるべきだ」 「……なるほど」 満が頷く横で、航が腕を組む。 「順番まで決め打ちかよ」 「もちろん。最初に“できる”ってさえ思わせれば、今回は俺たちの勝ちだよ」   「――で、最後にカイのやる気と自信をさらに引き出す、三つ目のポイント」 そして誉は軽やかにそう言うと、再びモニターのカイに視線を戻した。 ――愛おしそうに、楽しそうに微笑みながら、その寝姿をじっと見つめる。

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