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4-7.

勝手に輪に加わった父の後ろから、報道関係者用の名札を下げた女性が一歩前へ出た。 そして、朗らかに問う。 「征一郎先生、皆さま。 少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」 兄弟の父親――征一郎は、微笑みながらすぐに頷く。 「ええ、もちろん。親子三代で、ぜひ」 そう言いながら、当然のように当主の隣へ立つ。 航も表情を整えると、一歩前へ出た。 一方で櫂は何も言わず、逆にすっと一歩下がった。 「櫂」 すると、即座に低い声が呼び止める。 櫂は足を止めて不安げに振り返ると、誉を見た。 誉は画角の外へ退いたまま、小さく頷く。 それから、櫂の背中へそっと手を添えるようにしてから押してやる。同じタイミングで、航が櫂に向かい手を差し出した。   「おいで」  「……うん」 兄にそう優しく言われ、櫂は少しだけ考えた後、その手を取る。 はにかみつつも、どこか嬉しげな様子だった。 櫂はそのまま、航に導かれるようにして前へ出た。 だが、それでも兄よりも半歩だけ後ろに立つ。 「櫂先生、もう少し前へお願いできますか」 すると、レポーターが笑顔で声をかけた。 しかし櫂は、すぐに首を横に振った。 「い、いえ。私はここで……」 航もまた振り返り、怪訝そうな顔をしたので、櫂は困ったように眉を下げる。 「その……私……。 こういうとき、すごく白飛びしやすいので……」 「白飛び?」 「はい。 兄の後ろの方が、影があるのでまだ良いかと⋯⋯」 話を聞いていた航が、その横から何気なく言う。 「まあ、確かにお前は色白だもんな」   その言葉に、櫂は、ぱちぱちと瞬きをした。 「色白……」 「違ったか?」 「違ってはいない……けど」 「色黒ではないだろ」 「それはそう」    兄にとっては、この見た目もただの個性なのだろうか。 少しむず痒くなった櫂は、照れ隠しに口を尖らせ、 「兄さん、時々びっくりすること言う」   とだけボソリと返した。 兄弟の微笑ましいその素のやりとりに、レポーターが思わず吹き出す。 「大丈夫ですよ。ちゃんと綺麗に写ってます」 「ほら、お前の取り越し苦労だ」 兄はそう言って、改めて櫂の背中に手を回す。 櫂は素直に頷き、兄の後押しを受けてその横に並んだ。 「本日は、北丘総合病院の節目の祝賀会ということで、皆さまに少しお話を伺えればと思います」 レポーターが言うと、征一郎が柔らかく頷いた。 「ええ、もちろんです。 北丘は如月グループにとっても重要な病院です。 若い航が院長を務めるにあたり、本院としても全面的に支えてまいりました」 航がわずかに目を伏せる。 征一郎は、得意げに続けた。 「航もまだ至らないところがありますからね。 私も折に触れて助言をし、必要な指導を――」 「えっ」   その時、櫂が思わず声を漏らした。 場の空気が止まる。 櫂は心底納得がいかない顔をしていた。 「一回も来たこと、ないのに?」 「櫂」 航が諌めるように、低くその名を呼ぶ。 すると櫂ははっとして、両手で口元を押さえた。 征一郎の笑みが、ほんのわずかに固まる。 レポーターは一瞬だけ目を瞬かせたが、それでも表情を崩すことなく上手く場をつないでいく。 「櫂先生は、何か思うところがおありのようですね」 櫂は口を押さえたまま、航を見上げた。 その目が、『余計なことは言うな』と告げている。 櫂はこくりと頷いて、ゆっくりと手を下ろした。 「……ええと、言い方が悪かったです。訂正します。 本院の先生方には、とても助けて頂いています」 航がわずかに眉を寄せた。 櫂は真面目な顔で続ける。 「この前の手術の時も、兄さんが麻酔科の部長に直接電話をかけてくれて……そうしたら、すぐに来てくださって、とても助かっ――」 「櫂」 櫂はまた手を口に当て、黙った。 レポーターは笑いをこらえるように口元を緩める。 「櫂先生は、お兄様の現場での采配をよくご覧になっているんですね」 櫂はすぐにコクコクと細かく頷いてから、答えた。 「みんな、兄さんが大好きなんです」 「お前な……」 その声があまりにもまっすぐだったので、航が少しだけ気恥ずかしくなって視線を逸らす。 征一郎が被せて何か言おうとしたのと同時に、当主が静かに口を開いた。 「櫂が申した通り、北丘と本院は、現場同士が直接連携できる体制を整えております」 その一言で、場の流れが完全に当主へ移る。 「患者さまの命を預かる以上、手続きは必要です。ですが、必要な人材が必要な時に動けなければ、救えるものも救えません」   当主は穏やかに続けた。 「そこで、一定の緊急案件については、航が院長として全責任を負うことを前提に、従来よりさらに踏み込んだ連携体制を整えました」 征一郎の笑みが、ほんの少し薄くなる。 「それが形になったのは、提案者である航の覚悟はもとより、何よりも、彼を信じ、協力したいという職員が多かったからこそでしょう」 レポーターが、深く頷いた。 「現場同士、ひいては院長先生との信頼関係があるからこそ、ということですね」 「ええ。病院は、設備や書類だけで動くものではありません。人が動かすものです」   航は何も言わず、わずかに頭を下げる。 櫂はその横で、まだ少しだけ誇らしげな顔でそんな兄を見つめていた。 レポーターの興味は、すでに次世代の如月兄弟へ移っていた。    「櫂先生にも、少し伺ってよろしいでしょうか」 急に矛先を向けられて驚いた櫂は、小さく肩を揺らす。 「私、ですか」 「はい。今日の祝賀会では、櫂先生のお名前も多く聞かれました。北丘の現場でも、かなり頼りにされているそうですね」 櫂は困ったように目を伏せる。 「いいえ、私は……。 その、好きなことをさせてもらっているだけで……」 「謙遜しなくていい」 すると、航が横で静かに言った。 「櫂の臨床も研究も、北丘の発展に、大いに役立っています。そうだよな、櫂」 「えっ、ええと……はい」 そのまま背を軽く叩かれ、櫂は勢いで半歩前に出た。レポーターは軽く頷く。 「では、櫂先生ご自身は、北丘の現場でどのような役割を担っていきたいとお考えですか」 「……役割」 櫂は少し考えるように、首を傾げる。 それから、ゆっくりと話し始めた。 「私は内科なので、基本は全身を診ます。 症状は、一つの科だけで判断できないことも多いんです。だから、必要なところへ、適切に繋げられるようにしたいです」 「患者さんを、必要な診療科へ橋渡しする役割ですね」 「はい」 櫂は小さく頷いた。 それから、ほんの少しだけ視線を横へ流す。 「それから……もっと手術のサポートができるように、自分の体も整えたいです」 航が、わずかに櫂を見る。櫂はその視線に気づかないまま、少しだけ目を伏せた。 「……支えたい先生が、いるので」   画角の外で、誉がほんの一瞬だけ目を伏せ、航は静かに息を吐いた。そして、言葉を繋げる。 「そうだな。 櫂は、ともかく体力をつけないとだな」 「……頑張る」 「まずは、やれるとこからな」 「うん」 櫂は小さく頷いて、航を見上げた。  「ありがと、兄さん」 そんな兄弟の様子に、レポーターの表情が、ふっと和らいだ。 「本当に、ご兄弟仲がよろしいんですね」 航は少しだけ恥ずかしそうにしながら、しかし、はっきりと返す。 「……ええ。私は、そう思っています」 「私も!」 すると櫂もまた、すぐにそう被せて言った。 「私も、思ってます!」 それから、ふふ、と小さく笑う。 「仲いい……」 航は、驚いたように一瞬だけ目を大きく開いた後、少し照れたように視線を逸らし、 「……そうだな」 と、頷いた。 入れ替わりで、男性レポーターが穏やかに問う。   「こうして拝見すると、櫂先生はご当主さまに似ていらっしゃいますね。 特に目元でしょうか。雰囲気が、とても」 その言葉に、航がほんの一瞬だけ櫂を見た。 当主もまた、わずかに目を細める。 そんな二人とは対照的に、櫂はとても意外そうな顔で、小さく首を傾げた。 「……お祖父さまに、ですか」 「はい。とても」 「そう……かな。初めて言われました」 その時、征一郎の顔からスッと笑顔が消えた。 それに気がついたレポーターが、少し慌てたように続ける。 「お兄様ともよく似ていらっしゃいますが……」 「兄弟ですから」 すると航が、わずかに櫂の前に出ると、やや被せ気味にそう口を挟んだ。 櫂は小さく頷いて、航を見上げる。 さっきの女性レポーターが更に続けた。 「ご当主さま、航先生、櫂先生。 御三方とも、やはりどこか空気感が近いですね。それから、征一郎先生も……」 そして三人から征一郎に視線をずらしてそう言いかけ、ほんの一瞬だけ言葉が止まった。 その隙をつき、当主が穏やかに口を開く。 「これは、母親似ですからな」 一拍の間を置き、繕うようにレポーターが返す。   「……なるほど。 確かに、征一郎先生は、より一層柔らかな印象でいらっしゃいますものね」 刹那、航の眉がほんのわずかに動く。 同じくして、櫂も小さく首を傾げた。 お互いに無言だったが、思ったことは同じだった。 ――あの二人が、柔らかい?   「航、櫂」 当主は二人を見もせずに、そう低く諌めた。 すると二人は、揃って表情を整え、すっと前を向く。その仕草があまりにも揃っていたので、レポーターが小さな笑いを堪えきれずに言う。 「航先生も櫂先生も、とても親しみやすくて、可愛らしいですね」 「……可愛らしいという年でもありませんが」 それに航が少し困った顔をしてそう返すと、櫂はこくりと頷いた。 「わかる。兄さん、可愛いところありますよね」 「お前のことだよ」 「……」 「おい、さっきからその『えー』って顔、やめろ」 「航」 「……失礼しました」 当主に再び名を呼ばれ、航は小さく頭を下げた。 その横で、櫂だけが不思議そうに首を傾げているのがまた可笑しくて、レポーターは微笑みながら、 「本日は貴重なお話をありがとうございました」 と、和やかに頭を下げて、場を締めくくった。 とうとう、征一郎に話題が向けられることはなかった。征一郎は無表情のまま、離れていくレポーターの背を見送っていた。 やがて、閉会を告げるアナウンスが会場に流れた。 誉は来賓の流れへ戻りつつ、櫂を見た。 唇の色、浅い呼吸、遅い瞬き。   ――もう、長くはもたないな。 だから誉は、去り際に櫂の肩を指先で撫でた。 「あとでね」 耳元で囁かれた近い声に、櫂は一瞬だけ目を丸くする。 ――今日は、ここでお別れだと思っていた。 「……あとで?」 けれど、問い返す頃には、誉はもう人混みの中だった。それでも背を向けたまま、右手だけを軽く上げてくれる。 『今日、まだ誉に会えるんだ!』 そう確信して、櫂は胸の奥がぱっと明るくなった。 『よし、あと少し』   会場のざわめきが、少しずつ静まっていく。 櫂は航に呼ばれてその横に並び、当主の挨拶に続いて頭を下げた。 拍手が起きる。 来賓たちが出口へ向かい始めると、航は一人ずつ礼を述べた。櫂も兄の真似をして、それに続く。 「本日はありがとうございました」 「ありがとうございました」   「櫂先生、今日は本当に立派でしたわ」 「……ありがとうございます」 「今後とも北丘をよろしくお願いいたします」 「はい……」 やがて、櫂の言葉は少しずつ短くなっていく。 それでもなんとか踏ん張って、最後まで航の隣に立ち続けた。 そして、とうとう最後の一組が会場を後にした。 扉が静かに閉まると同時に、航が小さく息を吐く。 そしてすぐに櫂の方を向いて声をかける。 「よく頑張ったな」 櫂は頭を上げて嬉しそうに笑って返したが、すぐに首を傾げて呟いた。 「……あれ?」 「どうした?」 次の瞬間、その視界がぐらりと揺れた。 後ろに控えていた瀬戸が、誰よりも早く前へ出る。 崩れかけた櫂の細い背を、当たり前のように受け止めた。    「坊ちゃま」 「あれ、れ?」   櫂はまだ自分の状態が把握できていなかった。 ただ目を大きく開いて、瞬きだけを繰り返す。 瀬戸はそんな櫂を支えたまま、まずネクタイを緩めた。次に、襟元のボタンを一つ外し、上着を肩から抜いた。 「じい、だいじょうぶ……」 すると、当主が静かに口を開いた。 「もう十分だ。下がらせなさい」 「……かしこまりました」 航は去り際の櫂の白い髪に、そっと手を置いた。 「ありがとう」 その言葉に、櫂の赤い瞳が、少しだけとろける。 「兄さんこそ。……ありがと」 瀬戸は櫂を抱き上げ、そのまま静かに歩き出す。 そして会場を出た瞬間、瀬戸が静かに声をかけた。 「坊ちゃま。本日は、御立派でございました」 その言葉に安心したのか、櫂は小さく頷いて、静かに目を閉じた。

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