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4-12.

「……はあ、ちょっと食べすぎたかな」 「……ちょっととかいうレベルじゃねーだろ」 誉は満足そうに腹をさすりながら、ソファーの背もたれへ深く沈み込んだ。 その向かいで、航も同じようにぐったりとソファーに身体を預けている。 「俺、今日だけで三日分くらいのカロリー摂った気がする」 「大丈夫大丈夫。明日調整すれば」 「誰のせいだと思ってんだよ」 航はそう言って、空になったパフェグラスへ恨めしそうな視線を落とした。 フルコースを食べたあとだというのに、結局誉に乗せられるがまま、一通り全部食べてしまった。 「でも、いちごパフェ美味しかったでしょ?」 「……うまかった」 「ふふ、ならいいじゃない」 誉は満足そうに笑った。 そのまましばらく二人で動けずにいたが、航がふと腕時計に目をやって尋ねる。 「……で、お前、このあとどうするんだ」 「ん? 泊まるけど」 「どこに」 「ここに」 「……」 誉は当たり前のようにそう言い、ベッドに目を向けた。 「カイが起きた時、ちゃんとそばにいるって約束したからね」 「……そうか」 続いて航もまた、眠る櫂を見た。 「まあ……これは連れ帰るのは無理だな……」 「連れ帰る気だったんだ」 「一応入院患者だからな。 後追いになるが、外泊届を出させないと……」 「大変だねえ」 真横でフードファイトが催される中、櫂はこんこんと眠り続け、相変わらず起きる気配は全くなかった。 本当に限界だったのだろう。 よく耐えてくれた。 「航も泊まってけば?」 「なんでだよ」 「一緒に寝てもいいよ、お兄ちゃん」 「帰るわ」 「遠慮しなくても」 「してねえよ」 いたずらっ子のように笑う誉を横目に、航は腕時計に目をやった。 「じゃあ、明日の朝、迎えに来る」 「うん。ゆっくりめでいいよ」 「……仕事は?」 「午前半休」 誉はピースサインと共に得意げな顔をする。 航は半ば呆れながらため息をつき、肩を落とした。   「……さすがというか、抜かり無いというか」 「シゴデキなんで」 「はいはい」   航はもう一度ため息をついた。   「で、君は?」   今度は誉が尋ねる。 「俺はこれから、もう少し仕事して——」 「お酒飲んだのに?」 「この程度なら問題ないだろ。 酔い覚ましにジョギングして戻るし……」 「はあ?!十五キロはあるよ?! やめときなさい!」 「……じゃあ、サウナ入って帰る」 「高血圧! 絶対駄目!」 「……」   航は不満げに黙り込んだあと、渋々と言った様子で口をとがらせた。   「……マンションまで、瀬戸に送ってもらう」 「それがいいね。それから、今日はもう寝なさい」 「だが……」 「君に何かあったら、カイが一番悲しむよ」   航が、わずかに目を見開く。 何か言い返そうと唇を開いたものの、結局反論の言葉は出てこなかった。    「……わかったよ」 「よろしい」   満足そうに頷く誉に、航はやれやれと言った様子で肩を竦めてみせた。   「……まあ、櫂の顔も見れたし、帰るよ。 おやすみ、すまないが……あとは頼むな」 「ふふ、任せて。……おやすみ、航。 ちゃんと休むんだよ、約束だよ」 「ああ、分かってるよ」 航は立ち上がり、上着を手に取った。 そして最後にベッドで眠る櫂へ視線を向けた。 そして、小さく口元を緩めると、何も言わずに軽く左手を上げて見せ、静かに部屋を出ていった。   翌朝。 櫂の意識が、ゆっくりと浮上する。 目を開ける前に気づいたすぐそばのあたたかなものへ、本能的に身体を寄せた。 すっと息を吸うと、すぐによく知っている大好きな匂いが胸いっぱいに広がって、なんとも言えない心地よさに包まれる。 ——きもちいい……。 カイは自然と誉の胸に頬をすり寄せ、そのままぎゅっと抱きついた。 すると、頭の後ろをゆっくりと撫でる大きな手の感触が続いた。 ほかほかとしてあったかいそれがあまりにも心地よくて、櫂の身体からますます力が抜けていく。 そうしていると、額に柔らかなものが触れる。 ちゅ、と小さな音が響いた。 さらにそれが何回も続くから、くすぐったくて思わずカイから笑いがこぼれる。 ようやく目を開くと、すぐ誉の顔が視界に入った。   「おはよう、カイ」 「……おはよ」 ——ちゃんと、朝までいてくれた!   それが嬉しくてたまらなくて、カイはもう一度誉の胸へと頬を押し付けた。   誉はそんな櫂の髪を撫でながら、頬や首筋にもそっと手を滑らせた。 いつものように、さりげなくカイの熱や呼吸、脈の様子を確かめていく。 昨日の疲れを引きずって体調の乱れが出るかと思ったが、問題なさそうだ。 誉はほっと息をつくと、カイを抱きしめた。 しばらくそうして、誉の腕の中でまどろんでいたカイだったが、ふと自分の服の袖が目に入った。 「あれ……」 前に誉が選んでくれた、お気に入りのパジャマに間違いない。 ——持ってきてくれたんだ! そんな誉の心遣いに気がついたカイは、嬉しそうに笑うと、パジャマの袖を誉に見せた。 「えへへ、これすき。ありがと」 「どういたしまして」 カイは頷いて、ご機嫌な様子で誉の胸元へ頬を寄せた。 「……おうちに帰ったみたい。うれしい」 誉は何も言わずに、ただカイの額にもう一度ちゅっと口づけて返す。 「ふふ」 すると櫂は、くすぐったそうに笑う。 そして、しばらくそのまま誉にくっつき、あたたかな身体に頬をすり寄せた。 ふわふわのパジャマが、気持ちいい。 誉の腕の中も、あったかくて気持ちいい。 ——もっと、誉にくっつきたいな……。 そう思ったところで、カイはふと思い出した。 昨日、元気になるまで、セックスは我慢すると決めたばかりだ。 本当はもっといっぱいくっつきたい。 服なんか脱いで、肌と肌で直接誉のぬくもりを感じたい——でも、そんなことを言ったらきっと、また誉を困らせてしまう。 「……」 カイは、考えた。 人類上限と言われた頭脳をフル回転させて考えた。 合法的に裸になって、誉とくっついて、気持ちいいことができる方法は——。 そしてしばらくして、ふっと顔を上げる。 「誉、おふろできる?」 「えっ」 その唐突な問いに、誉が瞬いた。 「できるよ。入りたいの?」 「うん」 「そっか。じゃあ、用意してこようね」 誉が身体を起こしかけると、その服の裾を、カイはきゅっとつまんだ。 「ん?」 「……いっしょ」 「えっ」 誉の動きが、振り返った体勢のまま止まった。 一方、カイは誉の袖をつまんだまま、少しだけ不安そうな顔で見上げる。 「……だめ?」 「…………」 誉はしばらくカイの顔を見つめた。 それから、ゆっくりと天を仰ぐと、何かを堪えるように、唇をきゅっと結んでから答えた。   「……もちろんいいよ」 「やったあ!」 ぱっと嬉しそうに笑うカイを前に、誉は静かに掌で額を押さえ、もう一度だけ天を仰いだ。 誉との風呂を終えたカイは、すっかりご機嫌だった。 さっぱりした身体にバスローブを着せてもらい、ベッドの端へ腰掛ける。その後ろでは、誉がタオルで濡れた髪を丁寧に拭いていた。 「気持ちよかったあ!」 「そうだね……」 カイが非常に満足そうな一方、誉は風呂に入る前よりも相当疲れた顔をしている。 ——いや、よく耐えたよ、俺。ほんと、真面目に。 そんなことにはまるで気づかないカイの髪を、誉はタオルで挟むようにして優しく水気を取っていく。 「……少し伸びたかな」 「ん?」 誉が、襟足の毛先を指先でつまみながら、ゆっくりと言う。 「ここ、切ったとこ。納まりは良くなったけど……」 「あ—……」 それは入院前夜のこと。もう2週間ほど前になる。 汚れた三つ編みを自分で無理矢理切り落としてしまったのを、誉が整えてくれたのだ。 「首周りとか、気にならない?」 「うん、大丈夫」 「なら、良かった。 戻ったら、また少し整えてあげようね」 「うん!」 カイは嬉しそうに頷いたが、すぐに何かを思い出したように振り返る。 「あ、でも……また伸ばそうと思うんだよね」 「えっ」 誉が少し意外そうな声を上げたので、カイはほんの少しだけ俯いた。それから、はにかむように笑う。 「……髪の毛なんて、長くても短くてもどっちでもいいって思ってたし、そう言ったけど……」 「うん」 「誉にこうやって梳かしてもらったり、結んでもらうの、気持ちよくて嬉しいから……伸ばしたいんだ」 誉は少しだけ目を細めた。 「……そっか」 そして、指先で毛先をそっと揃えるように撫でた。 「いいね」 「うん」 カイは嬉しそうに笑って、もう一度前を向いた。 誉は、その少しだけ頼もしくなった小さな背中を見ながらドライヤーを手に取り、指先で丁寧に髪を梳かし始めた。 柔らかくて温かな風と髪を撫でる誉の手が心地よくて、カイはしばらく目を細めてそれに身を任せていたが、ふと、ぽつりと口を開いた。 「……オレの入院、一ヶ月なんだって」 「うん」 「もう、二週間たったから……残り、二週間」 それからカイは軽く息をつくと、膝の上で、自分の指をゆっくりと組んだ。 「……オレ、がんばるね」 誉の手が、ほんの一瞬だけ止まった。 けれども、またすぐに優しく髪を梳かし始める。 カイは前を向いたまま、しっかりとした声で続けた。   「元気になって、誉の横に戻れるように、がんばる。もうオレは逃げないし、負けないよ」 「……」 誉は、ドライヤーのスイッチを切った。 静かになった部屋で、しばらく何も言わずにカイを見つめる。 それから、乾いた髪を最後に一度だけ撫でた。 「待ってるよ」 カイは小さく頷いた。 それから、少しだけ照れくさそうに俯いた。 その時だった。 ——ぐぅぅ……。 静かになった部屋に、妙に大きな音が響いた。   「……!」 カイが、赤い目をまん丸にしながらゆっくりと自分のお腹を見る。 「……お腹、鳴った」 「鳴ったねえ」 誉がくすりと笑う。 カイは信じられないと言った顔で、バスローブの上から自分の腹を撫でた。 「……お腹がすいた……かも」 「おや」 その言葉に、誉の目元がわずかに緩んだ。 「ちょっと待っててね」 誉は立ち上がり、ミニバーの方へと向かった。 冷蔵庫から小さな弁当箱を取り出し、食べやすいように少しだけ温めてから戻ってくる。 見覚えがあるそれを見た途端、カイの顔がぱっと明るくなった。 「あっ。誉のごはんだっ」 「うん、当たり」 誉はベッド脇のテーブルへ弁当箱を置き、蓋を開けた。 中には、小さな俵型のおにぎりが三つ。 海苔の代わりに、とろろ昆布が薄く巻かれている。 その隣には、かにかまを巻き込んだ卵焼きと、ミニトマト。 昔から作ってきた、定番の朝食だ。 「ほら、召し上がれ」 「いただきます!」 カイは慣れた献立に安心しながら、さっそく小さなおにぎりをひとつ手に取った。 ぱくりと一口食べると、カイはすぐに顔をほころばせた。 口の中に、かつお出汁の優しい味が広がっていく。 「……おいしい」 「ふふ、よかった」 例えば、中に具は入ってないか、入ってたとしたら、それは食べられるものだろうか。   カイは食事の時、いつもそんな不安がつきまとう。 だが、誉が作ってくれるおにぎりは、お米だけだと分かっているから安心して食べられる。 不安から解放された食事は、美味しくて、楽しい。  カイは二口ほどで一つ食べ終わると、今度は卵焼きに箸を伸ばした。 「これ、すき」 「カイ用に、ちょっぴり甘めにしといたからね」 「うん、おいしい」 誉は向かいで頬杖をつきながら、ただ穏やかにカイが食べる姿を見ていた。 カイはそのまま食べ進め、気がつけば、最後のおにぎりを手に取っていた。 「……あれ」 カイはそう呟くと、空になった弁当箱を見つめた。 「……ごちそうさま」 「ふふ、お粗末さまでした」 誉はいつもと変わらない調子で頷いた。 カイはしばらく空の弁当箱を見つめていた。 ——無理しなくても、全部食べられた!   その実感が、少しずつ胸の奥に染み込んでくる。 ついこの前までは、早く退院したくて、お腹なんてすいていなくても無理に食べ物を詰め込んだ。味なんて、ほとんどわからなかった。 それでも、結局全部吐いて倒れてしまったのに。 今日はちゃんとお腹が空いて、ごはんを食べたいと思った。食べてみたらちゃんとおいしくて、無理をしなくても全部食べることができた。 「……えへへ」 カイの口元に、自然と笑みが浮かんだ。 誉はそんなカイを見守りながら、同じように小さく笑った。

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