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4-16.
「じい、おやつー!」
部屋の扉を開き、カイは開口一番そう言うと、ソファーへと直行した。
そして、そのままぽすんと腰を下ろし、うさちゃんを抱えたままずるずると背もたれへ沈み込んだ。
「……つかれた」
「お疲れさまでございました」
苦笑いをしながら、すぐに瀬戸が食器を目の前の机に並べ始めた。
「……ちゃんと全部やったよ」
「アースさまからも伺っております」
「もう連絡きてんの?」
「はい。大変よく頑張られたと伺いましたよ」
「てか、何でじいまであいつのこと源氏名呼びすんの……?」
「何だか定着してしまいまして」
「……」
次に瀬戸は、備え付けの冷蔵庫から小さな器を取り出した。それを見た瞬間、カイの顔が綻んだ。
「……プリンだ!」
「はい」
「しかも、豪華版!」
少し小ぶりなプリンの周りには、食べやすい大きさに切られた果物が彩りを添えている。
さらにその上には、ふんわりとしたヨーグルトクリームが添えられていた。
そして、一番上には……。
「赤いのも載ってる!」
目の前に出されたそれを見たカイが、嬉しそうに指を差した。
そこには、つやつやとした赤いさくらんぼが、一粒ちょこんと載っていた。
「坊ちゃま、シロップ漬けも召し上がれるようになられたのですね」
「誉が漬けたやつはね」
「これも卯月さまのお手製ですか」
「うん。誉の家にいっぱいあるよ。
ちょうどいい甘さで、すっごく美味しいんだ」
「……なるほど。流石でございますね」
ただ感心する瀬戸を横目に、カイはスプーンを手に取ってご機嫌な声で言った。
「いただきます!」
まずはプリンを一口だけ食べてみた。
そして、少しだけ目を見開いたのち、すぐに口元を緩め頬を押さえた。
「おいし〜い!」
「頑張られた甲斐がございましたね」
「うん!」
次に、ヨーグルトクリームに果物を少しつけて一緒に食べると、満足そうに何度も頷いた。
「これ、大好き」
「卯月さまも喜ばれるでしょう」
「もう一回食べたいってお手紙書くから、誉に渡してくれる?」
「かしこまりました」
カイは機嫌よく食べ進めていったが、赤いさくらんぼだけは最後まで残している。
瀬戸は、その微笑ましい様子を、目を細めながら見守った。
カイは、最後にさくらんぼをすくい上げ、ゆっくりと噛んで、幸せそうに目を細めた。
「……やっぱり誉の赤いの、おいしい」
「何よりでございます」
器を空にすると、満足そうに「ごちそうさま」と手を合わせる。
そして、待ってましたとばかりに左手を瀬戸に差し出した。
「じい、タブレットちょうだい」
「……」
「リハビリした。おやつも食べた」
「左様でございますね」
「今度はいいだろ?」
「……三十分だけでございますよ」
「分かった!」
お返事だけは良く、瀬戸からタブレットを受け取ったカイは、うさちゃんを自分の膝に座らせて、さっそく画面を開いた。
復職前ではあるが、航にねだって業務用のアカウントを特別に有効にしてもらったのだ。
カイは、久しぶりの病院イントラネットを漁りながら、凄まじいスピードで情報を収集していく。
すぐに一通り最新情報を掴み終え、画面を眺めていると、ふと先ほどのカインの言葉が頭に浮かんだ。
――脳神経科は、相変わらず人が全然足りてないでしょう?
「……そんなに足りないのかな」
カイは独り言を漏らしながら、脳神経科の組織図のページを開いた。
ちなみに、新院では他と比べると少し特殊で、脳神経科は、外科と内科が別々ではなく、一つの科として成り立っている。
カイは、業務分担表に並ぶ医師たちの名前を上から順に目で追いながら、眉を寄せた。
「……あれ。オレは……?」
上からもう一度見返してから、また少し下へスクロールして戻す。
それでも、やっぱり自分の名前は出てこない。
「……オレの名前、ないな……」
むう、と口をとがらせて数秒考えてから、カイはようやく思い当たった。
そのまま、内科のページを確認する。
すると、診療支援部門の中に、ちゃんと『如月 櫂』の名前を見つけた。
「あ、そっか。
オレ、内科のコンサルチームなんだ」
難症例相談及び、診療科横断支援。
各科コンサルト、そして院長診療の補助。
また、部下はないが、職位的には課長欄に並んでいる。
「……てことは、内科にもオレの机あるのかな?
行ったことないけど……」
カイはそんなことを呟き、しばらく自分の名前を見つめながら、少しだけ唇を尖らせた。
「……てことはさ。
復帰しても、誉と一緒じゃないじゃん」
同じ病院にはいるし、難症例となると、脳神経科に行くことが多いのは事実だ。
だから、脳神経科にも自分の席がある。
もちろん、誉とも顔を突き合わせて仕事もする。
けれども、所属は全く別なのだ。
「……むう」
それがどうにも面白くなくて、カイはもう一度脳神経科のページへ戻った。すると今度は、さっきとは別のところで目が止まった。
「……加藤先生?」
内科の課長欄に、加藤の名前があった。
そのまま外科のリストを見ると、そこにも同じ名前があった。
「……兼任?」
思わず、カイの眉間に皺が寄る。
さらに上へ視線を戻すと、神経外科副部長には卯月 誉。
そして、内科の副部長にも——誉の名前があった。
「……誉もじゃん」
しばらく画面を見つめたあと、カイは低く呟いた。
「課長も副部長も兼任って……そんなことあるか?」
もちろん、制度上ありえないわけではないが、少なくとも本院ではそんなことはなかった。
もう一度、カイの脳裏にカインの言葉が蘇る。
——人が足りなければ、誰かが兼務するしかない。
「……そういうこと?」
気になって、そのまま過去の組織図を遡ってみた。
そして、新病院が如月傘下へ入った年度のページで、カイの指が止まった。
「……うわ」
現在とは、明らかに人数が違った。
傘下入りの月を境に、一度大きく所属医師の名前が減っていた。
それを境に組織図が頻繁に更新され始め、そのたびに人が減っていくのだ。
その数は、一年でほぼ半減していた。
さらにその後。
旧院長派が病院を去った時期に、また一気に人数が減る。
「ほとんどが前の院長と一緒に辞めてるじゃん……」
そこから、補充された医師たちの異動元を確認して、カイはまた眉を寄せた。
「……今いる人、みんな記念病院から来てる」
新院所属の常勤医は、加藤、佐々木、山川しかいない。ほかの常勤医、非常勤医は、全て本院との兼任だ。
つまり、新病院で一から採用したというよりは、如月記念病院から人を動かして、どうにか穴を埋めてやりすごしている状況だった。
カイは次に、副部長の履歴を確認する。
誉の前任に記された名前を見て、目を瞬いた。
「……この先生、本院の人じゃん」
さらに、詳細を開いてみると、新病院への正式な異動ではなかったことがわかった。
本院所属のまま、応援という形で副部長職を兼務していた。ちなみに今は、兼任を解かれて本院へと戻っている。
「……副部長まで借りてたのかよ」
それは、思っていたよりずっとひどい状況だった。
カイは小さく息を吐くと、今度は他の診療科を開いていった。当然、どの科も傘下入り当初まで遡れば、それなりに人は減っている。
だが、その後の動きが違った。
記念病院からの異動もあるが、それ以上に新規採用もある。大学医局から派遣された医師もいる。
少しずつではあるが、人員が戻ってきているのが見て取れる。
「……他に比べて、脳神経科だけ新規採用実績が明らかに少ない……まあ……そうだよな。来るわけないか」
カイは背もたれへ少しだけ身体を預けた。
「脳神経……特に外科なんて、そもそも引く手あまただし……」
腕のある医師なら、勤務先はいくらでも選べる。
そんな人間が、わざわざ一度大きく崩れた病院を選ぶ理由は無い。
「……いや。まあ、それもあるけど……。
もしかして……如月だからってのもあるのかな?」
カイは少しだけ目を細めた。
部長職から上をみると、如月本家、分家筋の人間しかいない。そしめ、上に行けば行くほど、本家筋の人間が増えていく。
昔から、上へ行くのは一族か、その縁者。
外から来た人間がどれだけ実績を上げても、主要な席にはなかなか手が届かない。
少なくとも、そう思われても仕方のない人事が昔からずっと置かれている。
「……親族以外は上がれないって思われてるなら、そりゃ余計に来ないよな」
実力がある人間ほど、血筋を何よりも尊ぶような場所をわざわざ選ばない。
——でも、うちの副部長は誉……それに……。
カイは、もう一度、他科の組織図へ戻った。
「あれ……」
副部長職に、誉と同じように本院から転籍をしてきた、如月とは何の関係もない名前がいくつかある。
役職をつけて新規雇用したと思しき医師も何名かいた。
さらに課長まで含めてみれば、そういった人員はもっと多い。
「……兄さん、もしかして……変えようとしてるのかな」
新院では、外から来た人間でも実力があれば上へ行ける——少なくとも、そう見て取れる人事だ。
「……だから誉を副部長にしたのかな」
だとすると、その実例として、誉ほど分かりやすい人間はいない。
「兄さんなりに、ちゃんとやってるんだ……」
それでも、脳神経科だけが追いつかない。
患者は戻っても、医師が戻ってこない。
一度ついた評判を変えるには、まだ時間が足りない。
「……そっか」
カイは少し考えながら、今度は誉の人事異動記録を遡った。
「……誉、フェローのあと、記念病院に戻ってたんだ」
帰国後、一旦元いた如月記念病院へ帰任するのはよくあることだ。
特に誉は帰任が三月だったから、人事上そう置くしかなかったのだろう。
でも、年度が変わると同時に誉は新院に赴任、というか転籍している。誉らしい潔さだが……。
「……え」
カイはそう呟くと、その備考欄に指を止めた。
『現部長の定年退職に伴い、年度半ばを目処に部長へ昇格予定』
「……部長、決まってたの?」
それは、如月家親族ではない者にとって、初めてと言えるほどの快挙だ。
カイは、思わず画面へ顔を近づける。
それなのに、誉はこの新病院に副部長として転籍してきた。部長職を蹴って、兄や自分のいるこの病院を選んで着任したのだ。
「……誉、どうして……」
本人からも、兄からも、そんな話を聞いたことは一度もない。
カイはその理由を探すように、その前後の記録まで確認した。
だが、当然ながら人事資料にそこまで書いてあるはずもなく……。
カイはしばらく画面を眺めたあと、もう一度現在の組織図へ戻った。
神経外科副部長――卯月 誉。
脳神経内科副部長――卯月 誉。
二つ並んだ、同じ名前。
「……」
カイは、指先で、神経内科側の欄を軽く叩いた。
「……内科側の席って、実質空いてるんだよな」
そして、小さく呟く。
「内科副部長……誉と並んで仕事できる……」
口に出してみてから、カイはしばらく画面を見つめた。
そして、数秒後。
「……いやいや」
自分で言っておいて、自分で首を振る。
「オレが副部長って……」
いくらなんでも、さすがに話が飛びすぎだ。
そもそも、まだ復職がちゃんとできるかすらわからない。体力的にも、自室からエレベーターホールまで歩いただけで息切れするほど落ちているのだ。
「……いや、ないない」
カイは自嘲気味にそう呟いて、一度は画面を閉じようとした。けれども、寸前で指が止まってしまう。
「……でも」
もう一度、脳神経科の組織図へ視線を戻す。
脳神経外科副部長――卯月 誉。
脳神経内科副部長――卯月 誉。
二つ並んだ同じ名前を眺めながら、カイは少しだけ眉を寄せた。
「……もしオレがここに入ったら、また如月人事って言われちゃうのかな」
——無能な弟の方を、血筋でゴリ押しで副部長にしたとか……兄さんが、悪く言われちゃうかな。
きっと、事情を知らない人間から見れば、いかにも分かりやすい身内人事に見えるだろう。
そうなれば、せっかく兄が、外から来た人間でも実力があれば上へ行けるように変えようとしているのに、その流れに水を差すことにもなりかねない。
「……それは、やだな」
小さく呟いた。
それでもカイは、どうにも諦めきれずに、今度は他科の組織図を開き、副部長職に就いている医師たちの名前を上から順に確認していった。
当たり前だが、年齢はずっと上の人が多い。
だが、専門医資格では劣らない。
さらに論文実績や学会活動実績を並べれば、むしろ他の誰よりも優れている。
診療実績だけが、少し落ちる。
単独で外来や、他院の応援に出たことがない。
何度かはあるが、全て誉と一緒だった。
だが、担当した症例——特に難症例や、診療科横断のコンサルト実績まで含めれば、そこまで極端に見劣りはしないだろう。
現在の職位も診療支援部門の課長相当職だから、不自然さはない。
「……意外といけるんじゃないか、これ?」
カイは、しばらく無言で画面を見つめた。
「……うん、いける」
そして、ぽつりと呟いたその直後、もう一度自問自答した。
「……オレは、副部長になりたいのか?」
口に出した途端、ほんの少しだけ胸の奥がざわついた。
今までだって、誉と並んで仕事はしてきた。
けれども、自分はあくまでもコンサルチームから派遣されているだけの人間で、一線を引かれていた。
それが副部長になれば、完全に内に入ることになる。
誉と同じ副部長という立場で、それぞれの専門を担いながら、その横に並ぶのだ。
「……オレが……副部長……」
カイがもう一度そうゆっくりと繰り返した、その瞬間だった。
不意に、視界いっぱいに鮮やかな色が飛び込んできた。
赤、黄色、青——はっきりとした色合いの背景に、大きな花と、丸々とした鳥のイラスト。
「……あ」
それは、瀬戸がいつもカイの過集中を解くためによく使う絵本の一ページだった。
カイがはっとして顔を上げると、目の前に瀬戸が立っていた。片手にその絵本を持ち、もう片方の手を静かに差し出している。
「坊ちゃま、お時間でございます」
「うそだ、まだ十分くらいだろ」
すると、瀬戸がすっと時計を差し出した。
確かに、三十分経っている。
「……あと五分」
「なりません」
「三分」
「なりません」
「一分」
「なりません」
カイはむう、と唇を尖らせると、タブレットを胸元へ抱え込んだ。
「……今、すごくいいところなんだけど」
「続きは午睡のあとになさってくださいませ」
そう言われたカイは一度、ぱちりと瞬きをした。
「……昼寝したら、またやってもいいの?!」
「また、三十分だけでございます」
「やったー!」
すると、先ほどまでの抵抗が嘘のように、カイはあっさりとタブレットを瀬戸に手渡した。
「では、お預かりいたします」
「ちゃんと起こしてね」
「かしこまりました」
カイは膝の上のうさちゃんを抱き上げると、立ち上がった。そして、そのままベッドへ向かいながら、半分だけ振り返る。
「じい、寝るまで背中……」
「はい、なでなでいたしましょうね」
「うん」
カイはこくんと頷くと、うさちゃんを抱えたまま、素直にベッドへと入った。
瀬戸はその様子を見届けてから、預かったタブレットを静かにテーブルの上へ置く。
その画面に開かれたままのメモアプリには、たった一行、
『脳神経科 内科副部長 如月 櫂』
とだけ記されていた。
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