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先生、離す気はないそうです 3話
昼休み。久しぶりに結衣たちとカフェに行く。新しい講師の先生たちも多く入ってきたから、何となく交流の一環だった。
奏汰はコーヒーを片手に、皆の話を聞いていた。
「司先生って、素敵ですよね」
新しく来た英語講師の小林が言う。
「最近はメディアにもよく出てて、カッコいいってやっぱり言われてるし。大人〜って感じ! ああいう人、いいですよね〜」
べた褒めである。
「そうなんだよ〜。昔の司先生って、ほんとすごかったんだから」
結衣の一言で、場の空気が一気に前のめりになる。
「わかる。あの頃、近寄るだけで女子がざわついてたもん」
「保護者からの指名も多かったし」
「生徒のお母さんに告白されかけたって噂、なかった?」
「え〜、それ盛ってない?」
笑い声が上がる。
「盛ってない盛ってない。あの頃は別格だったよ」
次々に司の噂が、女子講師たちの口から転がる。
……噂が通りなら、ですけど。奏汰は、心の中でだけ即ツッコミを入れた。
「え、そんなに?」
新人講師が目を丸くすると、年上の女性講師が楽しそうに頷く。
「ほんとよ〜。今もモテるけど、昔は近寄りがたい系だったし」
は? ……近寄りがたい?
奏汰は、カップを口に運んだまま、ぴたりと固まる。今は近寄りやすさの塊である。
家では、ソファでだらけて、味噌汁に文句を言って、寝癖をいじってくる男が脳裏をよぎった。
「西島くんも知らないか〜。昔の司先生」
「女泣かせっていうより、女が勝手に落ちてた感じ」
勝手に、って便利な言葉だな……と思いながらも、奏汰は表情を崩さず、相槌だけ打った。
「へぇ……そうなんですね」
少しだけ胸の奥がざわつく。
けれど、不思議と焦りはなかった。
……知ってる。その伝説の司が、夜になると無意識に足を絡めてきて、離さないように眠る人間だってことを。
◇
夜。司と同居中のタワーマンション。
司はソファでビールを飲みながらテレビを眺めている。奏汰は床に座り、洗濯物を畳んでいた。しばらく、穏やかな沈黙が続く。
「……ねえ、司さん」
「ん?」
だらっとしたまま、画面から目を離さない返事。
「今日、講師の人たちが言ってましたよ。昔の司先生、めちゃくちゃモテてたって」
その瞬間、司の手が止まった。
「……は?」
昼に聞いた噂を淡々と並べると、司はゆっくり顔を上げる。
「……誰情報だよ、それ」
「複数人です」
奏汰が真顔で答えると、司はにやりと笑って上半身を起こし、奏汰を見つめてきた。
「お?奏汰くん、なんだ、ヤキモチかぁ? そっかそっか。そんな話聞いたら心配しちゃうか〜」
お気楽すぎる反応に、奏汰はじっと司を見つめる。
「それが……特にヤキモチは焼きませんでした」
「なんでだよ」
納得いっていない顔が、逆に可笑しい。
「だって……モテてたのは本当だと思いますし、経験もたくさんあったんだろうなって思います」
一度、言葉を区切ってから、真顔で続ける。
「でも…そのわりに、司さん…恋愛になると、びっくりするくらい不器用じゃないですか。ポンコツだし……」
「は? 誰がポンコツだ」
「司さんでしょ。雪広先生もそう言ってましたし。それに、俺の司さんとの同居データと照合しました」
「……は?」
司の眉が寄る。
「データってなんだよ」
「モテてる割に、恋愛は不器用。ムード作るのも下手ですよね」
一切の悪意はない。
純度100%の事実報告だった。
「……お前」
司は完全に拗ねた顔をしている。
「それで、ちょっと考えたんですけど……」
奏汰は何の気なしに続けた。
「雪広先生の方が、絶対モテますよね」
「……は?」
空気が、一瞬で凍ったが奏汰は止まらなかった。
「だって、あのドS感。頭良くて余裕あって……普通に顔もカッコいいですし。雪広先生のこと好きな人多そうじゃないですか?」
純粋な感想だ。
だが司の眉が、ぴくりと跳ねる。
「なんでそこであいつが出てくんだよ」
「え? いや、客観的に見て……」
「客観的に見るな」
「え?」
司はソファから身を乗り出した。
「それならな」
低く、強く司は続ける。
「俺の方がモテてたに決まってんだろ!」
「げっ。そこ張り合うんですか?」
「当たり前だろ!」
完全に本能でものを言っている。奏汰は一瞬きょとんとしてから、くすっと笑う。
「……あ」
その瞬間、腑に落ちた。
司は眉を寄せたまま、妙に真剣な顔でこちらを睨んでいる。さっきまでのだらけた空気はどこへ行ったのか。
「……もしかして」
洗濯物を畳む手を止める。
「司さん、ヤキモチ焼いてます?」
「はぁ!? 誰が!」
声が大きい。分かりやすすぎる。
「焼いてねぇし。別にあいつのことなんか、どうでもいい」
「でも今、完全に張り合ってましたよね」
「張り合ってねぇし〜」
「張り合ってました」
即答すると、司は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らす。
……なるほど。
雪広の名前が出た途端、空気が変わった理由。この人、無自覚で、しかもだいぶしょうもないヤキモチ焼いてる。
「……司さん」
少しだけ声を柔らかくする。
「俺、比較してるわけじゃないですよ」
「……」
「話の流れです」
司は返事をせず、ビールを一口飲んでぼそっと言った。
「……それでもだ」
「?」
「お前の口から、あいつの名前出るの、なんかムカつく」
低く、素直な本音だった。奏汰は一瞬固まり、次の瞬間、吹き出した。
「ぷふっ…それ、子どもみたいですよ」
「うるせぇ」
「自覚ないのが一番やばいですって」
そう言いながらも、胸の奥がじんわり温かくなる。昼に聞いたモテ伝説より、今ここにいる不器用な司の方が、ずっと本物だった。
「……でも」
洗濯物を抱え直して、ぽつり。
「そういうの、俺は嫌じゃないです」
司がビールを置き、近づいてくる。
「ポンコツって言いたいんだろ」
額を軽くぶつけられ、背中を抱き寄せられる。
「そっちの方が、好きですから」
司がにやりと笑い、唇に軽くキスを落とす。そのまま覆い被さられ、ぎゅっと抱きしめられた。
横目で、崩れていく洗濯物が視界に入る。
「ちょ、司さんっ……!」
抗議の声を上げる間もなく、軽々と抱き上げられ、そのままベッドルームへ向かう。
「じゃあ、詳しく話を聞こうじゃないか」
文句は言っているのに、司の足取りはやけに軽く、どこか機嫌がよさそうだ。
背中越しに、取り残された洗濯物が遠ざかっていく。
……まあいいか。
奏汰は小さく息を吐きながら、残りは司にやってもらおう。そう奏汰は心に誓った。
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