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第20話
「少し刺激してやろう。精通すればそのショックで涙を流す」
ヴィクトールはまるでそれが慈悲だと言わんばかりだった。
シオンはこんなことまでして涙を流させようとするこの採掘者に対して、得体の知れない生き物と対峙しているような気持ちの悪さと恐怖を感じてしまう。
生き物は、一度恐怖を感じたら、もうおしまいだ。
「 っ」
ぶるぶると震えが足の先から駆け上がってくる。
それは止めようとして止まるものではなく、蹂躙される予感にただ怯えて待つしかないのだと……
襲われ、犯され、散らされ、泣かされ、搾取される。
泣けば、搾取される。
「ぃや……泣かない………………っ」
シオンは呟いた言葉に力をもらったように、ヴィクトールの脛を思い切り蹴りつけた。
本人は力一杯、骨を折る気持ちで足を振り下ろしたのだろうが、実際は側面を擦って振り抜かれただけだった。
けれどそのよろつきはシオンの体勢を崩し、制御が効かないほどにぐらついてヴィクトールの方へ倒れ込む結果となった。
二人の足がもつれる様はどこかダンスを踊っているような軽快さだったけれど……結局は埃まみれの床へと倒れ込んだ。
シオンは思った以上に痛くなかったことに安堵して、ほっと胸を撫で下ろそうとし……自分を見つめている光の差さない黒曜石のような漆黒の瞳に飛び上がった。
「ヴィ、ヴィクトールさまっ! 申し訳ありませんっ」
したたかに体を打ったのか、ヴィクトールは床の上で身を捩って呻いている。
「大丈夫ですか?」と声をかけようとした瞬間、シオンはこれはチャンスだと閃く。このまま飛び出してしまえば、広い娼館の中で自分を見つけるのは難しいだろう。
ましてや人目のある場所で、無体なことをしてくることはない はず。
その考えに突き動かされて……シオンはその部屋を飛び出した。
廊下を走り、足の裏が磨き抜かれた廊下をキュッと音を鳴らしているのを聞きながら、少しでもあの男から離れようとして……
「 っ、でも、痛がってたよね……」
自分は、彼を下敷きにしたから痛みはなかった。
なぜなら、バランスを崩した瞬間にヴィクトールが手を引いて、シオンを腕の中へ引き込んだから……けれどその分だけ、ヴィクトールが痛みを引き受ける結果になってしまい。
シオンは調理場に向かおうとした足をゆっくりと止めて、ヴィクトールを置いてきた部屋の方を振り返る。
よく人が通る場所ではない。
そこで倒れて……
「あの人、だ、大丈夫……かな」
シオン自身、これが危険な考えだとわかっていた。
いきなり襲われて、あの男は水揚げ前のシオンを好き勝手にしようとしていたのだから、放っておくことが正しいんだと理解していた。
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