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第25話

テーブルを挟んで向かい合うと、部屋は急に静かになった。 外を走る車の音も、此処までは届かない。 佳孝は何も言わず、肘をテーブルに着くでもなく、ただ背筋を伸ばして座っていた。 その視線がこっちに向いていると分かっていても、和也はすぐに目を合わせられなかった。 さっきまで触れられていた距離が今はきちんと離れている、そのはずなのに、身体の感覚だけが追い付いてこない。 掌の内側が、わずかに湿っているのに気づく、膝の上で指を組みなおし、呼吸の速さを悟られないように、意識して息を吐いた。 ━━触れられていない。 そう自分に言い聞かせるほど、逆に意識してしまう。 腰に残る曖昧な温度、腕を取られた瞬間の重み、あれは拘束ではなく、止められただけだった。 それでも、身体は正直だった。 佳孝が何か言いかけて、やめた気配がした。 微かに息を吸う音がしてまた沈黙が戻る。 その間が不思議と長く感じられる。 先ほどのような逃げ出したい衝動は今はもうない。 ただ、次に来る言葉が、怖くてたまらない……。 聞きたくない、でも聞かなければこの場は終わらない、早く終わらせたい…そんな相反する想いが心の中を過っていた。 和也はようやく顔を上げた。 視線がぶつかる、逸らさない。 そのこと自体が、問いかけのようだった。 言葉が始まる、その一歩手前。 和也は無意識に、背筋を伸ばした。 「昔のこと…覚えてるだろ……。忘れるはずなんかないよな……。そのことを謝りに来たんだ」 あの時、秘密を抱きながら共有した快楽の罪悪感と羞恥と別の何か……。 佳孝は、ゆっくりと言葉をつなぎ始めた。 「確かに、自分だけ謝って肩の荷を下ろしてすっきりしようだなんて、虫が良すぎる話だよな、お前のことも考えずに、本当に勝手だと思う」 そこまで聞いても、和也はまだ声を発することができなかった。 佳孝はさらに続ける…。 「和也にだったら殺されてもいいと思ってる、それだけの事をしたよ、でも、そんなことしたら、お前の将来がとんでもないことになる、だから、それはやめた方がいい」 和也は、微動だにもしないで、ただ黙って聞いている。  「気が済むのなら好きなだけ殴るなり、蹴飛ばすなりしてもいい……でも、和也には、そんなこともできないか…そうだよな。だったら金で済むのならそれでもいいよ。大した額は持ってないけど、あるだけでいいのなら払うよ」 何処まで伝わるかは分からないが、佳孝は今の心の内を精一杯訴えていた。 ……数年たった今、あの出来事の重さは少しずつ薄れていた。 わだかまりは残ってはいたが、心の負担は以前より軽くなっていた。 考えてみたら、自分に全く非が無かった訳ではない…もとはといえば軽率な行動にも責任はあった。 それなのに、なぜ今になって……得体のしれない悲しさと、悔しさが込み上げてくる……正直言えば和也の気持ちは決して良いものではない。 だが相手はどうなんだろう。 おそらくもっと辛いはずだ。 心の動揺を押さえて、リスクも背負い、勇気をもって、覚悟を決めて、どんな想いで自分に会いに来たのだろう、慣れない笑顔を精一杯浮かべて……。 そのことを思うと、居た堪れなくなり胸が痛んだ……。 過去の情景と今の情景が交錯し、心は同じところを巡るばかりで答えは出てこない。 自然と涙が込み上げてくるのを必死に堪える。 そんな和也の表情を見て何を思ったのか、佳孝は椅子から降り、その場に正座をして深々と頭を下げた。 和也は、そんな姿は見たくなかったし望んでもいない…。 だからこそ反射的に自分も正座をし、次の瞬間には佳孝の胸に縋りついて泣き崩れていた。 それは、故意でもなければ他意でもない、ただ咄嗟に無意識に目の前にある何かに縋り付きたかったのだ。 堪え続けていたものが一気に溢れ出す。 佳孝は、そんな和也を優しくそっと抱きしめると、何度も何度も繰り返し謝罪の言葉を口にしていた。 やがて、和也の意識は、静かに遠のいていった。

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