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第30話
渋滞もなく、車で約一時間半ほど走った先に見えてきたのは、巨大なアーチが特徴的な国立競技場だった。
和也にとっては同じ関東圏に住んでいながらも初めて訪れる場所で、その
威容を目の当たりにして思わず息をのんだ。
「ここで、あのオリンピックが行われたんだ……」
心の中で呟いたその言葉には、感動と興奮が滲んでいた。
世界中の熱狂が集まった場所に自分が立っているという事実が、和也の胸を
高鳴らせた。
入場ゲートをくぐると、すぐに広がる人工芝、遠くから響くアナウンスの声、観客のざわめきが和也の全身を包んだ。
「うわァ……すごいな……!」
思わず、小さな声が漏れた…想像していた以上のスケールだった。
座席はメインスタンド寄りの、なかなか見晴らしの良い場所だった。
佳孝が、競技場を見渡しながら説明を始める。
「サッカーは、本当は専用のサッカー場の方が見やすいんだ。ここは
トラックが周囲を囲んでいるから、どうしても選手が小さく見える。
特に遠いサイドだと、誰がボールを持っているか分かりにくいんだよな」
和也は言われるがまま、視線を巡らせた。
確かにトラックが広がる分、ピッチは少し遠く感じる…しかし、それでもなお、テレビ画面を通して観ていたそれとはまるで違った。
ピッチ全体が視界に広がり、選手たちの動きが一つの流れとして伝わってくる。
歓声が波のように押し寄せ、得点が入った瞬間には地鳴りのような興奮が
スタンド全体を揺らす。
「やっぱ、実際に見るのは全然違うな……」
そう呟いた和也の表情は輝いていた。
佳孝はそれを見て、満足そうに頷く。
「だろう?だから連れて来たかったんだ」
試合が進むごとに熱気は増し、応援の声もさらに大きくなる…観客の一体感が伝わり、和也もまたその熱狂の渦に巻き込まれていった。
競技の内容や戦況はまだ詳しくは分からなかったが、目の前で繰り広げられる一瞬一瞬が心を震わせる。
テレビの向こう側にあった「世界」は、今、和也の目の前で確かに存在していた。
心の中に、なにか温かいものが流れ込んでくるような……ただ並んで試合を観ていただけなのに、目に見えない距離が少しだけ縮まったような気がした。
試合終了のホイッスルが響き渡り、スタジアム全体が一斉に拍手と歓声に包まれた。
和也は立ち上がり、余韻を味わうような広大なピッチを眺めた。
目の前で繰り広げられた激しい攻防、ゴールが決まった瞬間の地鳴りのような歓声、そして応援歌の大合唱――どれもが初めて体感する熱気だった。
「どうだった?」
隣で立ち上がった佳孝が問いかける。
「すごかった。やっぱりテレビで観るのとは全然違う…」
和也の声はまだ少し興奮が残っているようで、佳孝は満足そうに頷いた。
「それなら、また来ような」
観客の波に流されるように出口へと歩き、競技場の外へ出ると、夜風が
ひんやりと頬を撫でた。
空には都会のネオンがぼんやりと反射し、少し離れた場所には煌々と光る
ビル群が立ち並んでいる。
和也は深く息を吸い込んで、熱気の残る身体を少し落ち着かせた。
「さ、帰るか」
佳孝は手を振り、駐車場の方へと歩き出す。
和也もその後ろを追い、並んで歩く。
駐車場はまだ人の行き来が多かったが、試合直後の高揚感を残した人々の
顔にはどこか満足げな表情が浮かんでいた。
黒のセダンに乗り込み、エンジンを掛けると、佳孝はハンドルを握りながらふと和也の方を見た。
「疲れたか?」
「ううん、全然。まだ心臓がドキドキしてる、すごく楽しかった誘ってくれてありがとう」
その答えに微笑んで、佳孝はゆっくりと駐車場を出た。
都会の夜景が車窓の外を流れていく…ビルの明かりや街灯が点々と続き、
まるで星屑のように瞬いていた。
道路は思いのほか空いていて、スムーズに車は流れていく。
信号待ちの間、和也は窓の外を眺め、ふと呟いた。
「また来たいな…」
佳孝はチラリと視線を向けて、口元をほころばせた。
「じゃあ、次はナイターの試合だな。夜の国立はもっと奇麗だぞ」
「ほんと?それは見てみたいな…」
やがて車は高速道路へと乗り、関東の夜景を背景に走り続ける。
心地よいエンジン音と道路のリズムが、疲れた身体を少しずづほぐしていった。
和也はシートに深く身を預け、まぶたをゆっくりと閉じる。
目を閉じると、まだあの歓声が耳の奥で反響しているようだった。
自宅に着くまでのひととき、和也はその余韻に浸っていた。
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