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第31話
初めてのサッカー観戦から、まだ数日しか経っていない。
けれど、あの日の熱気や、シュートが決まった瞬間の震えるような歓声がまだ身体のどこかに残っていた。
佳孝に誘われて、ああいった場所に行けたこと、それだけで和也にとっては
特別な出来事だった。
そんなある日の午後、スマートフォンの通知音が鳴った。
何気なく画面を覗くと、佳孝からのメッセージだった。
「来週の日曜日、もし時間があったら付き合ってもらえる?」
和也の心は不意に揺れた…ふわりと胸の奥が浮き立つような感覚。
またあの男と……そう思うと、小さな波紋が広がるように別の
感情も湧いてきた。
いいのだろうか……?と。こんな風に何度も誘われて、それに応じてしまって…。
ただの気まぐれだったら…心の中で言葉が渋滞して自分でも分からなくなる。
和也はゆっくりと息を吐いた……このまま返信せずにいれば、それはきっと
自分の中に後悔を残すだろう、思い切って指を動かした。
「大丈夫、行けそうです」
それだけ打って、送信ボタンを押す…指先がほんの少し震えた。
すぐに既読になり、返信が届いた。
「また迎えに行くよ」
その一行を見た時、少しだけ心が軽くなる…そんな感じだった。
約束の時間が、静かに心の中に刻まれていった。
「早い時間に呼び出して悪かったな。今日はちょっと、距離を延ばそうと思っているけど…大丈夫かな?」
運転席から、佳孝がちらっと視線をよこす。
「うん。別に構わないよ」
そう答えながら、和也は思った。
実際、長距離でも彼が運転するのだから、自分には負担はない。
もし疲れるようなら代わってあげてもいい…そんな気もしたが、それを口にするのは、どこか出しゃばる気がして黙っていることにした。
少し車内に沈黙が流れた。
和也は何げなく話題を探すように口を開く。
「僕のことより、仕事……忙しいんじゃないの? 確か、出張とかもあるって……」
呼び掛ける名前が喉まで出かかったが、それを飲み込んだ。
まだ自然に名前が呼べない、そんな自分がもどかしかった。
「出張つて、どんなところに行くの?」
少し長くなりそうな道のり、何か話していたかった。
「そうだな、東北とか北海道が多いかな、海外にもたまに呼ばれるけど、特に北海道はよく行くよ。競走馬を育てる厩舎(きゅうしゃ)とか、搾乳の牧場とか、あとはメロンハウス、そんなところを回って営業してるよ」
「へえ……そうなんだ。遠くて大変だね」
「でも、悪いことばかりじゃないぞ。たとえば、”札幌の雪まつり”とか、
“青森のねぶた祭り”とか。普通なら、わざわざそこまで行こうとは思わないけど、出張のついでに丁度、重なってさ、実物を見た時はやっぱり圧倒されたよ。テレビで観るのとは全然違って迫力がある」
佳孝は、軽快な運転をしながら、淡々と答えていた。
「そう……良かったね」
そう言いながら、和也はふと視線を落とした。
話を聞いているうちに、自分の世界がどれだけ小さいものかを痛感する。
佳孝の言葉一つひとつは、広い空と遠い地平線を感じさせる。
それに比べて、自分には人に語られるような出来事も、遠くへ行った記憶も何もなかった。
こうして並んでいることが不思議で、遠い世界の住人に思えた…。
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