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第35話

「おい、和也! 和也じゃないか?」 ふいに背中を呼び止められ、和也は足を止めた。人通りのある駅前の通りだった。 買い物袋を下げた人、仕事帰りらしいスーツ姿の集団、制服の学生。 夕方の空気は少し湿り気を含み、街のざわめきが耳に纏わりつく。 ――今の声……。 聞き覚えがありすぎて、むしろ一瞬だけ頭が真っ白になった。 和也はゆっくり振り返る…そこに立っていた男を見た瞬間、胸の奥が熱くなり、喉の奥がきゅっと詰まった。 「……祥太郎?」 関岡祥太郎だった。 昔より肩幅が広く、腕も太くなっている。 日に焼けた肌に、短く整えられた髪…目だけが高校時代のままで、からかうようでいて真っすぐな光があった。 驚きで固まる暇もなく、和也の頬が勝手に緩んだ。 気づけば、口角が上がりきっていた。 「祥太郎じゃないか、久しぶりだな!」 「おお、やっぱり和也だ!」 次の瞬間、二人はほとんど同時に歩み寄り、がっちりと抱き合った。 力強い腕、ぶつかる胸、懐かしさが一気に体温になってあふれてくる。 何年ぶりだろ、こうして直接触れる距離で互いの存在を確かめられるのは。 「いやー……生きてたか」 「生きてるよ。お前こそ、なんだそのガタイ」 「はは、鍛えられたんだよ」 抱き合ったまま二人とも声を立てて笑った。 周囲から視線が飛んできても、気にならなかった…それくらい、この再開は嬉しかった。 ようやく身体を離したあと、祥太郎が目を細めて言った。 「いつ以来かな?」 「確か高校を卒業して、二年ぶりに開かれた同窓会以来じゃないかな」 「……あの時か。俺はまだ大学生で、たいして変わってなかったよな」 祥太郎は少し遠くを見るように笑った…和也も、その夜のことを思い出す。 久しぶりに集まった顔ぶれ、テンションだけは高くて、未来の話をやけに眩しく語りあっていた時間。 「あれから、ホント久しぶりだな」 「うん。生活もそれぞれで……会う機会もなかったもんな」 言いながら、和也は胸の奥が少しだけ締め付けられるのを感じた。 会えなかった理由は、ただ忙しかったからではない。 互いに“大人になってしまった”からだ……日々に追われ連絡が途切れても、また今度と先延ばしにして――結局、気づけば数年が過ぎている。 祥太郎は和也の顔をまじまじと見て、納得したように頷いた。 「お前、変わってねえな。目が昔のまんまだ」 「そういうお前こそ……変わったけど、変わってない」 「なんだそれ」 二人はまた笑い合った。 近くの喫茶店に入り、窓際の席に腰を下ろす。 店内には古いジャズが流れていて、コーヒー豆の香りが落ち着きを与えた。 木目のテーブルを挟んで向かい合うと、祥太郎の“今”がよりはっきり見えた。 日焼けの濃さ、姿勢の良さ、そして、目つきの強さ。 カップが運ばれてくると、祥太郎が先に口を開いた。 「で、和也。お前は今、何やってるんだ?」 その問い掛けに、和也は少しだけ背筋を伸ばした。 久々に、真正面から人生を訊かれる…気恥ずかしさと、小さな誇りが同時に湧いた。 「相変わらず、市場で親の仕事を手伝っている。あと、事務用品とか文房具を扱っている中小企業にも勤めてて、配達で小中学校を回ってるんだ」 「へえ……配達?」 「そう。学校に文具とかコピー用紙とか、そういうの届ける仕事。先生たちと話す機会も多い。子供と顔見知りになったりしてさ。……結構、向いてるんだよ」 祥太郎は興味深そうに頷く……和也は続けた。 「個人的に勉強もしてる。資格を取る為に本を読んだり、分からないこと調べたり。大学に行かなかったこと、親にも言われたけどさ――僕は後悔してない。迷いも今のところない」 言い切った瞬間、自分でも驚くほど胸がすっとした。“後悔してない”という 言葉は、他人に言う為というより、自分を確かめる為の言葉でもあった。 「そうか……それは良かったな」 祥太郎はゆっくりと言った。 軽い相槌ではない…相手の人生をちゃんと受け止めた声音だった。 「じゃあ、幸せに暮らしてんだな」 「えっ……」 その言葉は、少しだけ重かった…和也は一瞬言葉に詰まり、目を伏せる。 幸せ――。 簡単に肯定していいのか、分からない。 日々を回していくことで精一杯で、胸の奥にはまだ埋まらないものがある…けれど、それでも…。 「……うん。まあな」 和也は曖昧に笑って、すぐ話題を切り替えた。 「ところで祥太郎は? どんな仕事してるんだ?」 「何やってるように見える?」 祥太郎はニヤッとした。 昔からこうだった…答えを知っていても、相手の反応を楽しむ癖。 「さあ……」和也は少し考え、「前より逞しくなったし、日にも焼けている。オフィスって感じじゃない」 「ふふん……それで?」 「何だよ、分からないよ。勿体ぶらないで話せよ」 祥太郎は満足そうに頷いてから、少しだけ姿勢を正した…そして、さらっと言った。 「実を言うと、俺。警察官になったんだ」 「えっ……す、凄いじゃないか!?」 和也は目を見張った。 あまりにも予想外で、思わず声が裏返った。 「何だよ、信じられないって顔してるな。そんなにおかしいか?」 「いや、そうじゃない。ただ……警察官って、色んな意味で大変だろ。精神面もしっかりしていなければダメだし、体力も必要だし、信用だって要るし……場合によっては、恨まれたりだってする」 和也は言いながら、自然と祥太郎の顔を見つめた。 昔、同級生だった男が、そんな世界に身を置いている…その現実がまだ自分の中でうまく咀嚼できていない。 祥太郎は照れたように鼻を鳴らし、コーヒーを飲んだ。 「俺、身体動かすこと好きだったし、身軽ですばしっこかっただろ? 最初は消防士になりたかったんだけどさ、同じ公務員なら、思い切って警察官目指すのもいいと思って…」 「でも倍率高いだろ」 「高かった。五倍くらいあったぞ」 自慢というより、乗り越えてきた日々の重みが言葉に滲んでいた。 和也は素直に思った…こいつ、ちゃんと頑張ったんだな、と。 「なかなかやるじゃないか。凄く頼もしいし、尊敬するよ」 「おお、素直だな」 「その上で聞くけど……今どこに配属されてるんだ?」 「警察学校は地元だったけど、今は東京だ。交番勤務」 「東京で……交番?」 「そう。“実地研修”ってやつ。つまり修行中。色々回ってさ、今日はたまたま非番で久しぶりに実家に帰って来たという訳」 祥太郎は笑い、指で軽く机を叩いた。 「俺の夢は刑事になることなんだ。捜査一課、難問を解決していく名刑事…まあテレビの影響かもな。笑うなよ?」 「笑わないよ」 和也は即答した。 むしろ、祥太郎の性格を考えると刑事に向いている気がした。 人を見る目、違和感を嗅ぎ分ける勘の鋭さ――昔から、こいつはそういう男だった。 「お前、刑事に向いているよ。だって勘がいいじゃないか」 その瞬間、和也の胸の奥にふと冷たい風が吹いた (……そうだ。祥太郎は、見抜く) 脳裏に浮かんだのは、遠い過去の記憶だった。 自分の軽率な行動で“過ち”を犯してしまった。 誰にも知られないように必死で隠して、家族にすら知られなかったことを、この祥太郎は和也の心情を見抜いていた。 今でもその事実は知られてはいないけど、和也は祥太郎の本質を認めていた。 「……でさ」 祥太郎が明るく話を戻した。 「今になって思うんだけど、学生時代にもっと柔道とか剣道とかやっておけば良かった。毎日のように絞られて、マジで大変だ」 和也は、出来るだけ自然に笑って言った。 「そんなことないって、サッカーやっていた甲斐は十分にあるさ。体力も根性もあるし。お前、昔から負けず嫌いだったじゃないか」 「そうだといいけどな」 祥太郎は照れ隠しのように笑い、カップの縁を指でなぞった。

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