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第37話

祥太郎はふっと笑って、何気ない口調で言った。 「そういえばさ、あの頃…国島亮介、えげつないくらい強かったよな、あと少しでインターハイだったんだろ?」 ――その瞬間。和也の指先から、熱がすっと引いた。 「……」 思考が一拍遅れる…心臓が妙な跳ね方をする。 まるで、呼び掛けられた名前が“音”ではなく“手”になって、胸の奥を掴んだようだった。 祥太郎は、和也の沈黙に気づかないまま昔話を続ける。 「あいつ、学年でも知らない奴がいないくらい存在感あったよな。テニス部のエースってだけじゃなくてさ、何て言うか……人の輪の真ん中に立つのが当たり前みたいな」 「……そう、だな」 和也は何とか頷いた。 声が低くなってしまうのが分かる…喉の奥が渇き、唾がうまく呑み込めない。 祥太郎はさらに、何でもないことのようにもう一つの名前を口にした。 「えっと、名前は何だったっけ、副リーダーの…そう、児山佳孝だ。あいつは怖いくらい安定してたな、地味なんだけど妙に印象に残るんだよ。いそうでいないタイプっていうか」 (……やめろ)心の中でだけ、そう呟く。 “亮介”と“佳孝” 二つの名前が並ぶだけで、和也の中の空気が変わる。 あの二人は、過去の登場人物なんかじゃない。 今もなお、和也の人生の根っこに刺さったままの存在だ。 「流石にこの二人のことは、俺なんかより和也の方が詳しいよな。今、何やってるんだ?」 “今”……その一言が、胸を刺す。 「……二人とも、元気なんじゃないかな」 それだけ言うのが精いっぱいだった。 具体的なことなど言えるはずもない…言えば、何かが壊れてしまう気がした。 その返答の薄さが、逆に不自然だったのだろう。 祥太郎は、ここでようやく和也の顔色に気づいたらしい。 「あ……」 一瞬、言葉が詰まる。 「……悪い。なんか、急に思い出して」 祥太郎は気まずそうに笑った…わざと軽くした笑い方だった。 昔からそうだった――相手の小さな揺れを拾うのが妙に上手い。 「いや……いいんだ」 和也は、遅れて首を振った。 笑おうとしたけど上手くいかなかった…口元だけが形を作り、目だけが笑えない。 祥太郎はそれ以上踏み込まず、コーヒーを一口飲んだ。 そして、何事もなかったように話題を戻そうとする。 けれど和也には分かった――祥太郎は今、確かに何かを察した。 「随分と話し込んでしまったな。そろそろ帰ろうか?」 と祥太郎が言った。 気づけば外は薄暗くなり、喫茶店の窓には街の灯りが滲んで映っている。 「今日はありがとう。会えて嬉しかったよ。昔の友達のことも色々教えてくれて……本当に懐かしかった」 「いや、こっちこそ。役に立ってくれたのなら有難い」 二人は席を立ち、会計を済ませ、店を出る。 帰り際、祥太郎が少し真面目な顔になって言った。 「なあ和也。何か気になることとか、辛いことがあったら……いつでも相談してくれよ。俺でよければ力になる。これだけは覚えておいてほしい。どんなことがあっても、俺はお前の味方だからな」 「うん……凄く頼もしいよ。職業のこともだけど、お前の人間性も、きっと名刑事になれると思う」 祥太郎は照れくさそうに笑った。 互いに軽く手を上げ、また会う約束だけを交わして二人は別れた。 今日、祥太郎からかつての友人達の話を聞いて皆の――顔が浮かんできた。 少しだけ気も紛れたし、救われもした。 だがそれでも。 和也の中には、佳孝の存在が重くのしかかったままだった。 祥太郎と別れ、和也は一人になった。 駅前の通りはまだ人が多く、車のライトが途切れなく流れていく。 喫茶店で話していた時は、確かに笑えていた。 懐かしい名前が並ぶたび、胸の奥の強張りが少しづつほどけていく気がした。 さっき祥太郎は「亮介」も「佳孝」も、まるで同じ“昔の仲間”として語っていた。 悪気なんてないのは分かっている。 むしろ祥太郎は優しかった。頼もしかった。心からの味方だと言ってくれた。 それなのに…。 「……味方、か」 小さく呟いて、和也は自分の声に驚いた。 祥太郎が味方であることに疑いはない。 だが、佳孝は違う。 佳孝だけは、”味方”だとか“友達”だとか、そんな言葉ではすまされない。 佳孝だけは、過去の登場人物にはなってほしくない。 和也は、心の中でそう呟いた。

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