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第43話

「じゃあズボンはそのままでいいから、シャツだけ脱いでうつ伏せになってくれる?」 和也がそう言うと、佳孝は少し照れたように眉を寄せながら、素直に従って 敷布団の上に身体を横たえた。 和也は、もう一つの紙袋から、エッセンシャルオイルの小瓶と、ベースになるココナッツオイルと温めた蒸しタオルを取り出した。 「へえ、ちゃんと準備してきたんだね」 「うん。本格的にやってみたかったから…リラックスできる香りを選んだよ。今日は、ラベンダーとオレンジスイートをブレンドしてみた」 ふわりと立ち昇る柔らかなオイルの香りが部屋の空気を満たしていく。 「これね、実は妹がやってたんだ。今は結婚してそれどころではないって、道具を全部置いていったんだ…そのままにしておくのも勿体ないって思って興味本位でやってみたって訳。最近は男性にも人気あるんだよ」 和也は、佳孝の背中にそっと蒸しタオルを当て、じんわりとした温かさを 届けた。 「まずは、筋肉を温めてからね」  「気持ちいいな……それ」 「でしょ…? じゃあ始めるよ。痛かったら言ってね」 和也は両手のひらでオイルを温め、呼吸を整えた。 目を閉じ、一度心の中で流れを確認する…まず、背中の中央から腰に掛けて、軽いエフルラージュ(滑らせる手技)でオイルをなじませる。 掌全体を使い、ゆっくりと広い面で優しくなでるように、筋肉を解すと言うより安心させる手技。 「……お前、けっこう丁寧なんだな」 「当たり前、これは施術なんだから」 クスッと笑って、和也は慎重に佳孝の肩に手を添え、ゆっくり圧を掛けていった。 堅く張っていた筋肉が少しずつ和らいでいくのが伝わってくる。 「肩…すごく凝っているね、やっぱり無理してるんだ、何か重いものでも持った?」 「……昨日、資料運んだな。肩に食い込んだかも、こうして触れられると 自分がどれだけ疲れてたか改めて気づくよ」 和也は黙って頷きながら、次に肩甲骨周辺に指を移す…ここは力が入りやすい部位。 親指の腹を使って、軽い円を描くように軽擦(かるさつ)していく、そして 首筋から肩にかけて、再びエフルラージュで流しながら深呼吸を促す。 「息、吐いて……そう。肩の力、抜いて…」 和也の声は静かで、少し低め…そのトーンが耳元で心地よく響き、佳孝の 呼吸も次第に深くなっていった。 筋肉の線に沿って、軽い圧を掛けながらリンパの流れを意識して撫でるように動かす…やりすぎず、けれど触れている確かな感覚を残す。 「……なあ」 「うん?」 「これ……毎週お願いしてもいいか?」 和也は、一瞬動きを止め、笑った。 二人の間に、柔らかな沈黙が流れる…言葉以上に指先から伝わる思いやりが、静かに佳孝の身体をほぐしていった。 窓の外では、風が木々を揺らし、遠くで車の音が微かに聞こえていた。 「終わったよ……少しでも楽になった?」 和也の声は静かだったが、どこか満ち足りていた。 ゆっくりと佳孝の背中から手を離した。 佳孝はうつ伏せのまま、しばらく目を閉じていたが、やがて静かに身体を起こした。 「ああ……正直、想像以上だった……まさかこんな風に和也に癒される日が来るとはな」 身体の奥に溜まっていた疲労がゆるやかに解けていくのを感じた。 和也の指先が触れていたところから、じんわりと余韻のような温もりが残っている。 「そんな大げさな……でも良かった。ずっと何かしてもらってばかりだったから、今日は少しでもお返しがしたかったんだ」 和也は手を拭きながら、そっと息をついた…指先がほんの少しだけ震えていた…緊張していたのだ—―技術にではなく、佳孝に触れることに。 (……変に思われなかったかな? 力、入れすぎてなかったかな…?) 不安が過ったが、それを打ち消すように佳孝が言った。 「本当にありがとな……心地よくて途中で眠りそうだった」 その一言に、和也は胸の奥がフッと緩んだ…安堵とほんの少しの誇らしさが入り混じる。 「まだまだ未熟だけどね。ちょっとでもリラックスしてくれたら嬉しい」 和也の額にはうっすらと汗が滲んでいて、その真剣さが伝わってくる。 「十分だよ……むしろ、来週からまた肩こりを楽しみにすることにするよ」 冗談めかした言葉に、和也はふいに笑ってしまった。 時計を見ると、丁度十二時を少し回ったところだった。 「もう帰る時間だ」 和也は立ち上がって、持ってきた道具を手早く片付け始めた。 「ああそうだ…アロマオイル、少し置いていってもいい? 今度時間があったら、もっと長くやってあげられるから」 「本当か?」 「うん、練習しておくよ」 和也はそう言うと、手を振ってマンションを後にした…部屋には、まだ アロマの香りが漂っていた。 佳孝は少しの間、その場に立ち尽くしていたが、ふっと息を吐くと部屋の 片付けを始めた。 その時、インターホンが鳴った。 (あれ。和也…忘れ物かな?)

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