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第45話

翌日仕事を終えてから、佳孝はスマートフォンを握りしめ、迷った末に和也に電話を掛けた。 「……和也か? 俺だ」 「佳孝? どうしたの?」 「お前、昨日……誰かに会わなかったか?」 「えっ? 誰かって……?」 一瞬の沈黙……。 「いや……何でもない。変なこと言ったな、気にしないでくれ」 その言い回しも、声のトーンも、いつもの佳孝ではなかった。 張りのある声に曇りが差し、どこか思いつめたような響きを帯びていた。 和也は、胸の奥に“ざらり”とした不安が広がるのを感じた。 「ねえ、佳孝……何があったの? 今日、変だよ」 「……何でもない。今度会った時に話すよ」 そう言って、電話はぷつりと切れた。 いや、絶対に(何でもない)なんかじゃない……そう確信した和也は、 すぐに車に飛び乗った。 アクセルを踏み込む足に力が入り、心はすでに佳孝の元へと向かっていた。 マンションに着くと、インターホンを押す。 ドアが開き、佳孝の姿が現れた。 「和也……一体どうしたんだ?」 「それ、こっちのセリフだよ。ねえ、本当は何があったの? そんな佳孝、 初めて見た、もし僕にできることがあるなら……頼ってよ」 和也の声は震えていた……けれど、瞳は真剣そのものだった。 佳孝はしばらく和也を見つめ、沈黙をたもったまま立ち尽くしていた。 だが、何かが決壊したように、その腕が和也の手首を掴み、グイっと引き寄せる……次の瞬間、広い胸板に強く抱きしめていた。 「……………!」 一瞬のことに、和也は言葉も動きも失った……ただ、その抱擁に籠った力と熱だけが、全身にしみ込んでくる。 「……ゴメン。悪かった。今の忘れてくれ」 そう言って、佳孝は和也の身体をそっと解放した。 「そんなに辛いこと……? 仕事で何かあったの? ゴメン。聞いちゃいけなかった」 和也の問いに、佳孝は小さく首を振り、ソファーに腰を下ろした。 「国島亮介を、覚えてるか?」 その名前を聞いた瞬間、思わず和也の眉が跳ね上がり、心臓がドクンと波打った……過去の闇が胸を過る。 「……ああ、もちろん。覚えているよ」 少し考えるようにして頷いた。 「その亮介が、昨日。ここに来たんだ」 すると和也は、きょとんとした顔をして… 「……えっ? だって。二人、仲良かったじゃないか?」 和也には見当もついていなかった……まさか、自分のことが原因で、二人の間に火花が散っていたなどとは……。 その時……インターホンが鳴った。 佳孝の顔が強張る……嫌な予感が背筋を冷たく撫でていく。 「……和也、奥の部屋に入ってろ」 「えっ…? なんで?」 「いいから」 低く静かな命令に、和也は身をすくめた。 佳孝がドアを開ける。 案の定……亮介が立っていた。 「居るんだろ? 和也。分かっているんだ…」 佳孝が遮ろうとするのも構わず、無遠慮に部屋へと上がり込む…そして、 和也の姿を見つけると、顔を綻ばせた。 「おお、やっぱり…久しぶりだな和也……お前、少しも変わってないなまるであの頃のままだ。制服でも着せたら、今でも高校生に見えるぞ」 和也は戸惑った…懐かしさよりも、この空気にどう振舞えばいいのか分からず、視線を彷徨わせる。 そこへ、佳孝が素早く駆け寄り、亮介の前に立ちはだかった。 「……おい! 勝手に上がり込むなよ」 その背に、和也は思わず身体を隠した。 亮介はそれを見て、ふんっと口元を歪めた。 「そういうことか…。上手いこと手懐けたものだな…『たまたま会った』 だと……よくもそんな白々しい嘘がつけたもんだ」 「……ああ、そうだよ…嘘だ。だが、それのどこが悪い? お前に許可を取る義理なんかどこにもない。分かったらさっさと帰ってくれ」 佳孝の語気は荒く、吐き捨てるように言った。 「分かったよ。今日のところはな…」 亮介は含み笑いを浮かべたまま、和也に視線を向ける。 「また会おうな…和也」 その言葉を残し、ようやく部屋を後にした……ドアが閉まる音が、妙に静かに響いた。 「あいつには金も権力もある。たぶん、誰かに見張らせていたんだ…じゃなきゃ、あんなタイミングで来れる訳がない……くそっ!」 苛立ちを噛み殺すように、佳孝が低く唸る。 「僕、来なきゃ良かった?」 おずおずと、和也は尋ねた。 「違う。お前のせいじゃない…。遅かれ早かれ、こうなっていた。 佳孝は、和也の瞳をまっすぐに見据える。 「一人で帰す気にはなれない……家まで送ってやる」 「でも、帰りは?」 「心配するな。歩いて帰る、三十分もあれば着く」 その言葉に、和也は小さく頷いた。 車を走らせながら、和也はふと、隣の席にいる佳孝を横目で見た。 強く抱きしめられた、あの瞬間の温もり、あの腕の力強さと胸に感じた 鼓動……それはまだ、身体の奥で微かに熱を持ったまま消えずにいた。 和也の家に着くと、佳孝が口を開いた。 「お前のことが心配なんだ」 「大丈夫だよ。もう子供じゃないし、誘われても断ればいいんだろ?」 「それで済めばいいけどな。あいつのやることだ……配達の時は十分に気をつけろよ。そうだ、一時間おきにメールを送ってくれ」 「えっ… 仕事中なのに、いいの?」 「そうしてくれれば、少しは安心できる」 佳孝は、どこか割り切れない思いを残したまま言った。 「じゃあ、そろそろ帰るよ」 「大丈夫? 疲れているのに悪かったね」 「これくらい平気さ……また、アロママッサージしてくれよ」 佳孝の口元に、僅かな笑みが浮かんだ。 「うん、いつでも…気が向いたら言って」 和也は、優しく微笑んだ……そして、佳孝の姿が見えなくなるまで、じっとその場に立ち尽くしていた。

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