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第51話
翌朝、佳孝は目を覚まして真っ先にスマートフォンを確認したが、状況は変わらない。
その翌日も、そのまた翌日も同じだった。
画面を見るたび、胸の奥がゆっくり冷えていく。
ようやく縮まった距離だった。
少しずつ笑ってくれるようになり、自分の気持ちも伝えられた。
だから勝手に安心していたのだ。
和也は受け入れてくれるものだと思い込み、その優しさに甘え切っていた。
その日の夜、佳孝は和也の家を訪ねた。
応対したのは母親だった。
「初めまして、児山佳孝と申します。あの、和也さんはお見えでしょうか?」
「あなたがコヤマさんですか? こちらこそ初めまして。ええ…和也からはよく聞いていましたよ。大変お世話になったそうですね」
母親は優しく、丁寧に対応してくれたが「和也は居ない」と言われた。
それが居留守ということは分かっていた。
それでも無理には会うことはできず、『ゴメン。会ってくれないか?』と、メッセージだけを残して帰る。
しかし、そのメッセージも既読にはならなかった。
翌日も、その翌日も……。
佳孝は仕事帰りに和也の家へ向かい続けた。
だがいつも母親の答えは同じだった。
おそらく和也がそう頼んだのだろうと察すると、胸が苦しく締めつけられた。
肩を落として帰っていく佳孝の後ろ姿を、母親は玄関の隙間から見送っていた。
「ねえ、一体何があったんだい?コヤマさん毎日来ているよ。もういい加減会ってやったらどうなんだい。あれじゃあまりにも気の毒じゃないか」
ある日の夕食後、母親はそう切り出した。
和也は何も答えなかった。
部屋へ戻り、ベッドに横になって天井を見つめる。
佳孝と再会してから、少しずつ過去の傷は薄れていた。
いつも誘われて出掛けた日々…アロママッサージをしてあげて、すごく喜んでくれたときの顔…あの幸せだった頃のことが思い出される。
自分を愛していると言ったくせに、なぜあんなことができたのか。
好きだったのなら、本当に大切だったのならどうして止めてくれなかったのか…どうして一緒になって傷つけたのか。
その出来事が交互に頭に浮かんできて、どうしようもなく苦しい。
佳孝という人間が分からなくなっていた。
考えても答えは出てこない。
その答えを求めてしまうほど、自分が佳孝を好きになっていたことにも気づいてしまう。
だからこそ許せなかった。
どうでも良い相手なら、こんなにも苦しまなかったはずだった。
二週間が過ぎた。
既読のつかないLINEと会えない日々に、佳孝の心は限界に近づいていた。
母を亡くして天涯孤独になった自分に寄り添い続けてくれた人。
ようやく手に入れたと思った大切な人。
その存在を、自分は失おうとしている。
一度頭を下げれば許してもらえると思っていた。
謝罪すれば終わると思っていた。
そんな考えそのものが傲慢だったのだ。
傷ついたのは自分ではなく和也だった。
和也の苦しみを、自分は何ひとつ理解していなかった。
絶望を抱えたまま、その日も和也の家をあとにしようとしたときだった。
背後で玄関の扉が開く音がした。
同時に、ふわりと懐かしい香りが鼻先をかすめる。
思わず息が止まった。
振り返る前から分かる。
幸せだった時間を思い出させる、和也の香りだった。
「佳孝」
名前を呼ばれ、佳孝はゆっくり振り返る。
二週間ぶりに見る和也の姿に、張り詰めていたものが一気に崩れそうになった。
しばらく沈黙が流れたあと、先に口を開いたのは佳孝だった。
「俺、この二週間、生きた心地がしなかった」
震える声でそう言うと、佳孝は唇を噛んだ。
「お前を失うのが、こんなに怖いなんて思わなかった。でも、お前が味わった苦しみは、こんなものじゃなかったんだよな」
視界が滲む。
「本当にごめん」
そう言って頭を下げる。
そこにいるのは愛する相手に許しを乞う、一人の弱い人間だった。
和也は、そんな姿を見つめながら胸の奥が痛んだ。
住宅街には夕暮れの静けさが広がり、二人の間には重い沈黙だけが流れている。
この二週間、二人はそれぞれ苦しかったに違いないだろう。
和也は視線を逸らしながら言った。
「ここじゃ落ち着かないからどこかで話そう」
その言葉に佳孝は息をのむ。
「俺の家でいいか?」
佳孝がそう尋ねると、和也は小さく頷いた。
二人は並んで車へ向かった。
車内には会話はなく、エンジン音だけが静かに響く。
佳孝は、何度も何かを言いかけては飲み込み、ハンドルを握る手に力を込めていた。
そんな横顔を見ながら、和也は窓の外へ視線を向ける。
このまま時間だけが過ぎていくのは耐えられなくなり、自分にも限界が来ていた。
もう一度、佳孝と話がしたいと思ったのだった。
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