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エピローグ

 高瀬と一緒に暮らし始めて、まだ一ヶ月も経っていない。  正確には「一緒に暮らす」と決めたわけじゃない。自然にそうなった。ふたりで頭を悩ませて契約した家で朝飯を食べて、そのまま眠って、起きたら彼がコーヒーを淹れていて。  ひとりきりだった日常が気づけば、ふたり暮らしが当たり前になっていた。 「直人、よそいきのネクタイどこだっけ」 「左の引き出しです」 「助かる」  朝の慌ただしい時間。高瀬は相変わらず要領がいいようで、どこか抜けている。ネクタイを締めながら鏡の前で少し苦戦している背中を見て、思わず口元が緩んだ。  ――こんなふうに思うのは、まだ慣れない。  以前なら、ここで一歩引いていた。役として、条件として、適切な距離を測っていた。でも今は、その必要がない。  代わりに、別の緊張がある。  選ばれたという事実が、まだ体に馴染んでいない。 「……直人?」 「はい」 「ぼーっとしてる」  ネクタイを締め終えた高瀬が、こちらを見る。心配そうでも、急かすでもない、いつもの目だ。 「ここのところ、夜勤続きで」 「無理すんなよ」  その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。  無理をしないという選択肢を、自分が持っていいなんて思っていなかった。 「恒一……今日は、定時で帰ってきますか」 「ん。残業がなければ」 「夕飯、どうします」 「直人が食べたいものでいい」  その一言が、何度聞いても嬉しい。自分の希望が、生活の前提に組み込まれている感覚。条件でも役でもなく、「一緒に暮らす人」として扱われている。 「じゃあ、魚にします」 「渋いな」 「警備員なので」 「それ、関係ある?」  屈託なく笑い合う。こんなやり取りも、以前は想像できなかった。  玄関まで見送り、高瀬が靴を履く。 「直人」 「はい」 「……行ってきます」  一瞬、言葉に迷ったあとで、彼はそう言った。  ――行ってきます。  それが「戻ってくる」という意味を含んでいることを、今はもう疑わない。 「……いってらっしゃい」  扉が閉まる音を聞いて、静かな部屋に戻る。さっきまであった体温が、まだ空気に残っている気がした。  テーブルの上には、ふたり分のマグカップ。洗い忘れたわけじゃない。あえて、残してある。  ひとりになって、ようやく気づく。  自分はまだ、少し怖い。また選ばれなくなるんじゃないか、じゃなくて。この穏やかさを、失う覚悟ができていない。  それでも――。  高瀬は言った。「君を選ぶ」と。  条件を壊して、合理性を捨てて、それでもなお――だから俺も逃げない。  完璧な恋人にはなれないし、期待に応えられる保証もない。それでも、一緒にいる努力は続ける。  窓から差し込む朝の光が、床に伸びている。  夜はもう終わった。役を降りたのは、あの日。これからは、恋人として生きる。  俺はエプロンをつけて、夕飯の献立を考え始めた。帰ってくる場所を、ちゃんと守るために。 おしまい ★このあと、その後のふたりを番外編で連載します。お楽しみください! 「同棲すれば、全部うまくいくと思っていた」 契約関係から始まり、互いを“選んだ”はずの二人。 けれど、炊飯器の選び方、洗濯物の干し方、寝る位置――そんな些細な日常の中で、どうしても埋まらない距離が顔を出す。 甘えるのが下手な三好と、選び続ける覚悟を決めた高瀬。 怒ることも、拗ねることも、愛情だと学んでいく同棲生活。 「怒るのも愛情だって教えるのは――実際のところ簡単じゃないな」 選んだ“その先”を描く、静かで甘い同棲BL🥰

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