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第九章 同棲準備中の些細な喧嘩2
洗濯物を干すのは、嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。干す順番も、間隔も、影の落ち方も、全部自分なりのやり方がある。
だからこそ――。
「直人、タオルそれでいいのか?」
背後からかけられた声に、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「……はい」
俺は物干し竿に向き直ったまま、タオルを掛け直した。
「もう少し開けた方が乾きやすいだろ」
「……そうですね」
言われた通りにずらす。自分でも気づくくらい、動きがぎこちない。
「直人?」
名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねる。
「……はい?」
「さっきから、なんか静かじゃないか」
心臓が重く鳴った。
「大丈夫です」
「それ、絶対大丈夫じゃないやつだろ」
苦笑混じりの声が優しすぎて、胸が苦しくなる。
最後の靴下を干し終えて、ようやく俺は口を開いた。
「……洗濯、やり直した方がよかったですか」
恒一は少し黙ってから、俺のすぐ隣に立った。それは、肩が触れ合うほどの近い距離だった。
「そうじゃなくて――」
低くて柔らかい声で、俺の耳元に囁くように言った。
「一緒に住むなら、直人のやり方もちゃんと知りたいんだ。俺の家じゃなくて、これからふたりで作っていく家だから……直人の好きなやり方を、俺に教えてほしい」
その言葉に、喉の奥が熱くなった。
「……俺、さっき」
どうしても声が掠れる。自分の気持ちを言うことに慣れていないせい。それでも、高瀬に伝えなければと話を続ける。
「勝手に引っ込みました。怒るのも言い返すのも慣れてなくて……ここ、まだ恒一の家だから、俺のやり方を出していいのかわからなくなって」
言い終えた瞬間、肩の力がふっと抜けた。
恒一は俺が干したタオルを一枚そっと手に取り、元の位置に戻した。そして俺の腰に腕を回し、背後から優しく抱き寄せる。
「ごめんな。俺がわかりにくかった」
耳元で甘く、低く囁かれる。
「直人が遠慮してるの感じてたのに、ちゃんと聞いてあげられなかった」
温かい息が首筋にかかる。俺は思わず肩をすくめた。
「今日は、直人流で干そう。全部、直人の好きなように並べてくれ」
「……本当にいいんですか?」
「ああ。俺は直人が喜ぶなら、それでいい」
恒一は俺の頭に顎を乗せ、優しく髪を撫でながら続けた。
「乾かなかったら?」
「その時は……太陽に向かって、一緒に文句を言おうか。『おまえ、もっと頑張れよ』って」
告げられた言葉に、思わず笑いがこみ上げた。
「……それ、喧嘩ですか」
「軽い喧嘩だな。恋人同士の」
俺が笑うと、恒一は後ろからさらにきつく抱きしめてきた。甘えるような、甘やかすような力加減に、自然と心が満たされていく。
「直人」
「……はい」
「もっと、わがままを言っていいんだぞ。俺は直人のそういうところ、全部見たいから」
(俺のワガママなんて、そんなの――)
アレコレ考えついてしまい、耳まで熱くなる。そのせいで俺は、小さく頷くことしかできなかった。
風に揺れる洗濯物を見ながら、静かに思った。
拗ねても、引っ込んでも、ちゃんとこうして高瀬が抱きしめてくれるなら——きっと、これでいい。
彼の家のベランダに、俺の洗濯物が並んでいる。その光景が、今日は少しだけ誇らしく感じた。
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