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番外編 触れたまま、離れなかった夜

 同棲してから三好が甘えたのは、意識してのことじゃなかった。  その日は、どちらも疲れていた。  俺は残業続きで三好は夜勤明け。夕飯を食べてシャワーを浴び、特別な会話もないまま、お互いベッドに入った。触れる理由も言葉もない。それでも同じ布団に入ることは、もう自然になっていた。 「……消しますね」  三好がそう言って、照明を落とす。 「うん」  背中合わせ。それが、今の三好の“適切な距離”だった。俺は天井を見つめながら、ぼんやり考える。 (俺は選んで、言葉にした。でも直人は、まだ慎重だ――)  それでいいと思っていた。一緒に過ごす時間が増えれば、その内変化が表れるだろうと考えた。  しばらくして、隣の気配が変わった。小さく布が擦れる音。三好が寝返りを打つ。  ――そして、背中に微かな重みが触れた。 「……?」  一瞬、呼吸を止める。三好の額が、俺の背中に当たっている。たぶん近い。でも、触れきらない距離なのが背中越しに伝わってくる。  寝ぼけているのかと思った。だから、動かなかった。  しばらくして、さらに温度が近づく。今度は、肩甲骨のあたりに額がすり、と寄せられる。そのままじっとしていると、布団の中で俺のシャツの裾を指先がつまんだ。  ほんの少し。引くでもなく、握るでもなく。  ……冗談だろ。 (直人……?)  呼びかけようとして、やめた。これは、起こしていいものじゃない。呼吸は、寝ているときのそれだ。規則正しくて、少しだけ深い。  無意識――だから、余計に胸に来た。これが、甘えじゃなくて何だ。  俺は、ゆっくりと体を動かした。逃げないように、驚かせないように。  俺の背中と三好の上半身の距離を、ほんの少しだけ詰める。三好の額が、完全に俺の背中に預けられる。指先が、シャツを掴んだまま離れない。  ……離れなかった。  心臓が、やたらとうるさい。呼吸が否応なしに乱れる。  選ばれたあとも、線を引いていた男が。役を降りても、距離を測っていた男が――今、無防備にここにいる。  俺は、そっと手を伸ばした。後ろに回して、三好の手首に触れる。掴まれたシャツの上から、そっと包むように。  三好は、目を覚まさない。代わりに、呼吸が少しだけ深くなった。そのまま、俺の背中に上半身を寄せる。  ……ああ。これは、信頼だ。  欲とか、依存とか、そういう強いものじゃない。ただ、「ここにいていい」という確信。  俺は動かなかった。抱き寄せもしない。言葉もかけない。  ただ、そこにいる。  三好が自分から近づいた事実を、壊さないために。  そのまま朝になった。目を覚ましたとき三好は顔を赤らめながら、慌てて距離を取った。 「……すみません」 「何が」 「……近かったので」 「そうか?」  あえて知らないふりをした。  三好は少し困った顔をして、でも、それ以上何も言わなかった。  朝食を食べてから、仕事の準備をして。いつも通りの朝を過ごす。玄関で靴を履いていると、三好が小さく言った。 「……あの」 「ん?」 「また……」 「……」 「眠いとき、近づいたら」  一拍置いて、やっと聞き取れるくらいの小さな声で告げる。 「……嫌だったら、言ってください」  俺は、靴紐を結びながら答えた。 「嫌なことは、全部言う」 「……はい」 「でも」  顔を上げて、困り果てた顔の三好を見つめた。 「俺は全然嫌じゃなかった」  三好は少しだけ目を見開いたあと、顔を俯かせて視線を逸らした。 「……そうですか」  耳が赤い。それだけで、十分だった。  甘えるのが下手な男が、無意識で寄りかかってきた夜――それを守るのも、選んだ側の役目だと思った。

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