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第十三章 触れたまま、離れなかった夜
同棲を始めてから、三好が甘えるのはいつも無意識だった。
その日は、どちらも疲れていた。俺は残業続きで、三好は夜勤明け。夕飯を簡単に済ませてシャワーを浴びたあと、特別な会話もなくベッドに入った。触れる理由も、言葉もなかった。それでも同じ布団に入ることは、もう当たり前になっている。
「……消しますね」
三好がそう言って、照明を落とす。
「うん」
部屋が暗闇に包まれると、背中合わせの距離が自然に取られた。それが、今の三好の適切な距離だった。俺は天井を見つめながら、ぼんやり考える。
(俺は選んで、言葉にした。でも直人は、まだ慎重だ――)
それでいいと思っていた。一緒に過ごす時間が増えれば、その内変化が表れるだろうと考えた。
しばらくして、隣の気配が変わった。小さく布が擦れる音。三好が寝返りを打つ。
――そして、背中にそっと、温かい重みが触れた。
「……?」
一瞬、呼吸を止める。三好の額が、俺の背中に当たっている。たぶん近い。でも、触れきらない距離なのが背中越しに伝わってくる。
寝ぼけているのかと思った。だから、動かなかった。
しばらくして、それが徐々に、ゆっくりと近づいてくる。今度は、肩甲骨のあたりに額がすり、と寄せられる。そのままじっとしていると、布団の中で俺のシャツの裾を指先がつまんだ。
しかも、ほんの少し。引くでもなく、握るでもなく。
……冗談だろ。
(直人……?)
呼びかけようとして、やめた。これは、起こしていいものじゃない。呼吸は、寝ているときのそれだ。規則正しくて、少しだけ深い。
無意識――だから、余計に胸に来た。
胸の奥が熱くなって、鼓動がうるさくなった。これは、甘えでもなんでもない。ただの、無防備な本能だ。それが余計に愛おしくて、胸が締め付けられる。
俺は、ゆっくりと体を動かした。逃げないように、驚かせないように。俺の背中と三好の上半身の距離を、ほんの少しだけ詰める。三好の額が、完全に俺の背中に預けられた。指先はシャツを離さず、俺の体温を確かめるように小さく動いた。
……離れなかった。
心臓が、やたらとうるさい。呼吸が否応なしに乱れる。
選ばれたあとも、線を引いていた男が。役を降りても、距離を測っていた男が――今、無防備にここにいる。
俺はそっと後ろに手を回し、三好の手首を優しく包み込む。温かい、少しだけ汗ばんでいる。そのまま指を絡めると、三好は無意識に力を込めてきた。
暗闇の中で、俺は小さく微笑んだ。
三好は、目を覚まさない。代わりに、呼吸が少しだけ深くなった。そのまま、俺の背中に上半身を寄せる。
……ああ。コイツは、自分では気づいていないんだろう。
甘えるのが下手で、頼るのも苦手な男が。こんな無防備に俺に寄りかかってくる。自分で気づいたら、きっと数日顔を赤くして距離を取るに違いない。だから、俺は何も言わない。ただ、こうして受け止める。
三好の体温が、背中全体にじんわりと広がっていく。安心したような、深い寝息が俺のシャツに当たった。
……かわいい。
ただ、少しだけ嬉しかった。
俺は動かなかった。当然のことながら抱き寄せもしないし、言葉もかけない。ただ、そこにいる。三好が自分から近づいた事実を、壊さないために。
そのまま朝になった。目を覚ますと、三好は俺の背中にぴったりくっついたまま、俺のシャツを握っていた。俺が動くと三好もゆっくりと目を覚まし、数秒後に自分の状況を理解したらしい。
「……すみません」
「何が」
「……近かったので」
「そうか?」
あえて知らないふりをした。
三好は少し困った顔をして、でも、それ以上何も言わなかった。
朝食を食べてから仕事の準備をして、いつも通りの朝を過ごす。玄関で靴を履いていると、三好が小さく言った。
「……あの」
「ん?」
「また……」
「……」
「眠いときに、俺が近づいたら……」
一拍置いて、やっと聞き取れるくらいの小さな声で告げる。
「……嫌だったら、言ってください」
俺は、靴紐を結びながら答えた。
「嫌なことは、全部言う」
「……はい」
「でも」
顔を上げて、困り果てた顔の三好をじっと見つめた。
「俺は、全然嫌じゃなかった」
三好は少しだけ目を見開いたあと、顔を俯かせて視線を逸らした。
「……そうですか」
耳が赤い。それだけで、十分だった。
甘えるのが下手な男が、無意識で寄りかかってきた夜。それを当たり前みたいに受け止められる人でいたいと思った。
選ぶ覚悟は、一度決めて終わりじゃない。明日も、その次の日も俺はきっと、何度でも直人を選ぶ。
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