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第十四章 起きていた夜
眠っているふりをしていた。最初から、眠れてなんていなかった。
高瀬の背中が、いつもより近く感じる。同じ布団に入って、背中合わせで寝る。それだけで十分なはずだったのに、目を閉じても意識は冴えていた。
(……今日は、やけに近いな)
距離を測る癖は、まだ完全に抜けていない。意識すればするほど、相手の体温を敏感に感じ取ってしまう。
おまえを選ぶ――そう言われた夜から、何度も自分に言い聞かせてきた。それでも身体は、まだ線を引こうとする。触れてはいけない。甘えてはいけない。そう思いながら、俺は背中を向けていた。
どれくらい時間が経ったのか、わからない。夜勤明けの疲労と静かな呼吸音に、意識が少しだけ揺らぐ。
その瞬間、無意識に身体が動いた。
(……あ)
気づいたときには、もう遅かった。額が高瀬の背中に触れている。すぐ離れようとして、できなかった。触れた額から伝わってくる高瀬の背中は、とてもあたたかかった。
それは逃げ道みたいに自然で、考える前に指が勝手に動いた。シャツの裾をつまむ。ほんの少しだけ。引き止めるつもりも、求めるつもりもない。
――ただ、そこにいてほしかった。
その瞬間、はっきり目が覚めた。
(……やばい)
これは、甘えだ。役でも、条件でも、契約でもない。完全に俺の欲だ。高瀬に気づかれたら、すぐに離れなければいけない。そう思った。
なのに高瀬は、何も言わなかった。動かなかった。代わりに背中の距離が、ほんの少し縮まった。俺の額が、完全に高瀬の背中に預けられる形になる。
(……え?)
驚いて指を離そうとした。でもその前に、手首に触れられた。包むような、力のない手で。それは捕まえるでも、引き寄せるでもない。ただ、「そこにある」と教えるみたいな触れ方だった。
手首の皮膚から伝わってくる高瀬の体温を意識しただけで、呼吸が乱れそうになる。
(たぶん……気づいてる)
でも、起こさない。責めない。確かめない。ただ、自然に受け止めている。
胸の奥が激しく鳴った。羞恥と、言い知れぬ嬉しさが同時に込み上げる。逃げ出したくなるのに、指を離すことができなかった。高瀬の体温が、指先から全身に広がっていく。
――ああ。選ばれたって、こういうことか。
その事実が、胸にすとんと落ちた。
言葉で繰り返される約束ではなく、逃げ場を壊さない優しさ。無理に答えを求めず、ただ同じ温度で待ってくれること。それが、今、俺の額と指先に確かにあった。
俺は、目を閉じ直した。今度は、本当に。この距離が許されるなら今は、それでいい。
朝が来た。目が覚めると、俺は高瀬の背中にぴったりくっついたまま、シャツの裾を握っていた。恥ずかしさの余り、反射的に距離を取る。自らやってしまったことを思い出すだけで、すごく情けなくて――。
「……すみません」
高瀬は、何も知らない顔をした。それが、ありがたかった。
朝食も会話も、いつも通り。でも胸の奥にだけ、小さな変化が残っている。
玄関で靴を履いてる背中に、思わず口を開いた。
「……あの」
嫌だったら、言ってほしい。だけど本当は、違う言葉を探していた。
困惑を滲ませる俺に、高瀬は穏やかに答えた。
「俺は全然嫌じゃなかった」
真っ直ぐな眼差しと言葉に、胸の奥が震えた。その一言で、十分だった。
選ばれるのは怖い。甘えるのは、もっと怖い。でも――。
眠っているふりをして、触れた夜。あれは、逃げじゃなかった。初めて、自分から近づいた夜だった。
だから――。
(……次はそうだな)
起きたまま、近づけたらいい。手を伸ばしてもいい。名前を呼んでもいい。
そう思えたこと自体が、もう前とは違っていた。
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