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番外編 三好が初めて甘えた夜

 三好と一緒に暮らし始めて、まだ二週間も経っていない。段ボールは片付いた。生活リズムもだいたい噛み合ってきた――なのに、三好は相変わらず一線を引いたままだ。  距離を取るわけじゃない。避けるわけでもない。ただ、寄りかからない。それが三好の「選ばれ方」なのだと、頭ではわかっている。  その日、俺は残業で帰りが遅くなった。玄関を開けると、リビングの灯りがついている。 「……直人?」  リビングの扉を開けたら、ソファに座っていた三好がゆっくり顔を上げた。 「おかえりなさい」 「まだ起きてたのか」 「夜勤前なので」  そう言って、いつもの穏やかな顔。完璧な距離感。完璧な声。 「飯は?」 「簡単なものなら」  颯爽とキッチンに立つ背中を見ながら思う。  ――やっぱり、甘えない。  夕飯を済ませてシャワーを浴びて戻ると、三好はもうソファに横になっていた。夜勤前の仮眠だ。  起こさないよう、そっと横を通り過ぎようとした、その時。  ――不意に、袖を引かれた。 「……」  力は弱い。指先が、布を掴んでいるだけ。それでも、確かに俺を引き留めていた。 「直人?」 「……」  三好は目を閉じたまま、何も言わない。呼吸が、少しだけ乱れている。 「どうした」 「……行かないでください」  一瞬、意味を測る。  夜勤前だ。いつもなら「先に休みます」「行ってきます」で終わるはずの時間。 「……今?」 「……はい」  それだけ。理由も説明もない。ただ、袖を掴んだまま離さない。  胸の奥が、静かに鳴った。 「それ、甘えてる自覚あるか」 「……」  少し間があってから、三好が呟くように言った。 「……ないです」 「だろうな」  俺は苦笑して、ソファの端に腰を下ろした。 「離していいぞ」 「……このままがいいです」  袖を掴む指に、ほんの少しだけ力が入る。逃げないようにじゃない――ここにいてほしいだけの力。  初めて見た。条件も、役も、理屈もない三好の行動。 「眠れないのか」 「……恒一が帰るまで、起きてようと思ってたので」 「それで?」 「……安心してしまって」  声が、少し掠れている。 (ああ、これは――甘えてる。本人だけが気づいていない)  俺はそっと、三好の手に自分の手を重ねた。 「夜勤、行けそうか」 「……少しだけ、こうしてからなら」  目を閉じたまま、三好が言う。  拒否じゃない。依存でもない。ただ、寄りかかる許可を出しただけ。  俺は背もたれに体を預けた。 「じゃあ、五分な」 「……はい」  そのまま、三好の額が俺の肩に触れた。体重を預けるほどじゃない。触れているだけ。でも確かだ。  心臓が、妙に落ち着く。 「直人」 「……はい」 「こういうのは、もっとやっていい」 「……」  少しだけ間を置いてから、とても小さな声で返事をする三好。 「……慣れてからで、いいですか」 「いい」  即答すると、三好がほっと息を吐いた。安心するように――。 「……ありがとうございます」  その言葉が、役でも条件でもないことがわかる。  初めての甘えは、派手じゃない。言葉も少ない。でも確かに「選ばれたあと」の距離だった。  俺は肩に触れる温もりを感じながら思う。  ――ああ、これからだ。  恋人になるのは、これから。甘やかすのも甘えるのも。全部、ここからだ。

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