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番外編 我慢の限界

 三好がおかしいと気づいたのは、ほんの些細な違和感からだった。  距離はあるが、触れないわけじゃない。だから、会話も日常も問題ない――ただ、“寄りかからない”。  ソファに並んで座っても、肩一つ分の隙間を残す。夜、同じ部屋にいても、眠くなるまできっちり起きている。俺が先に寝落ちるのを待つみたいに。 (間違いなく……我慢してる感じ――)  それも、必死に――。  ある夜、残業で帰りが遅くなった。リビングの電気はついていて、テーブルには温め直せるようラップをかけた夕飯が置いてあるのを、三好が出てきた扉の隙間から確認する。 「おかえりなさい」  三好は、いつも通りの声で言った。表情にも変化はない。 「出迎えるの、遅くなってすみません」 「いや」  靴を脱いで、ふと見る。三好の目の下に、うっすら影が見てとれる――夜勤明けでもないのに。出迎えるのが遅くなったのは、仮眠をとっていたに違いない。 「直人」 「はい?」  逃げられないように、ずいっと顔を寄せる。途端に顎を引いて必死に距離をとる三好の態度に、内心ニヤつきつつ口を開く。 「最近、ちゃんと寝てるか」 「ね……寝てますよ」  一拍遅れた返事。しかも上擦った声が、嘘をついてることを示す。 「俺が寝るまで起きてるだろ。わかってるんだからな」 「それは……」  言葉を詰まらせた三好は、視線を右往左往させた。 「だって……先に寝ると、どうしても甘えたくなるので」  そういうことを真顔で言うから、胸がぎゅっとなる。可愛くて仕方ない! (直人のヤツ、最近無自覚に爆弾を投げつけるようになったこと、わかってないだろうな) 「甘えたいなら、甘えればいい」 「それが問題なんです!」  視線を逸らしながら、三好はハッキリ言った。 「選ばれた立場で、それ以上求めるのは……」 「欲張りって言いたいのか?」 「……はい」  その瞬間、三好の声がほんの少し震えて、肩があからさまに落ちる。 「直人」  さらに近づいて、肩に手を置く。びく、と小さく身を強張らせる反応に、頭の中で疑問符が浮かんだ。 「……触らないほうがいいです」 「なんで」 「触られたら……」  そこで言葉が途切れた。目の前の顔は真っ赤に染まり、唇がぷるぷる震えていて、すぐに言葉が出ないのが明白だった。 「直人、逃げるな。言わないとこのままだぞ」 「うっ……だって我慢、できなくなるので」  次の瞬間だった。三好の指が、俺の上着の裾を掴んだ。自分でも驚いたように、はっと目を見開く。 「……っ」  すぐに離そうとして、でも離れない。こわばった指先が、俺の上着をしっかりと掴み直す。 「直人?」 「……ごめんなさい」  声が、完全に崩れていた。 「甘えないって、決めたのに」 「……」 「恒一が優しいから」  上着を掴む力が、少し強くなる。それだけで引き寄せられるように、俺は近づいた。三好は潤んだ瞳でじっと見つめ、囁くように告げる。 「一回、許されると……」 「……」 「もっと欲しくなる。際限がなくなってしまって」  唇を噛みしめて必死に堪える顔が可愛くて、どうしてやろうかと考えたその時、重たい口が開いた。 「それが、怖いんです」  もう限界だった。俺は、三好をぎゅっと抱きしめた。すると、堰を切ったように胸の中で身体が震える。 「……っ、恒一」  抵抗はない。ただ、しがみつく。 「離さないでください」 「……」 「今だけでいいから」  声が、子どもみたいに掠れていた。 「俺、欲張りになりたくないのに」 「なればいい」 「でも……」 「むしろ、欲張りになってくれ」  腕の中で、三好が小さく首を振る。 「選ばれたのに、これ以上求めたら」 「選ばれたから、だろ」  そう言うと、三好の呼吸が一瞬止まった。 「直人」 「……はい」 「甘えるのを我慢するな」  耳元で、低く告げる。 「我慢し続ける方が、壊れる」  しばらく沈黙。それから、三好が小さく声を漏らした。 「恒一……ずるいです」 「知ってる」  力が抜けたように、身体を預けてくる。 「……今日は」 「ん?」 「このまま、いてもいいですか」  甘え方が不器用で、しかも遠慮がちで。でも、逃げていない。 「いていい」 「……」  ぎゅっ、と背中に回された腕がほんの少し強くなった。  ――我慢が崩れた夜。  それは弱さじゃない。ようやく、三好直人が“選ばれた側として生き始めた”証拠だった。

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