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番外編 構ってください
正直に言うと――俺は余裕がなかった。
案件が重なり、会議が伸び、帰宅は連日深夜。頭の中は常にタスクで埋まっていて、家に帰っても三好に声をかけるだけで精一杯だった。
「おかえりなさい」
「ああ……ただいま」
それだけ。抱き寄せる余裕も、ふざける気力もない。それが、どれだけ異常な事態か――三好が何も言わないから、俺は気づくのが遅れた。
その日も、帰宅は二十三時過ぎ。ネクタイを緩めながらリビングに入ると、ソファに座った三好がこちらを見た。
「……お疲れさまです」
「悪い、今日も遅くなった」
そう言って通り過ぎようとした、そのとき。
「恒一」
呼び止められた。振り返ると三好は膝の上で手を組み、少しだけ視線を落としている。
嫌な予感がした。怒ってるわけじゃない。拗ねてる様子もない――だから、余計に怖い。
「どうした」
「……あの」
一瞬、言葉を探す間があった。それから、信じられないことを言った。
「構って、ください」
……。
…………?
………………は?
頭が理解する前に、心臓が跳ねた。
構ってください? 今、三好が? 自分から? 逃げずに? 要求を?
俺の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
(――待て、落ち着け。今のは幻聴じゃない。俺は今、人生で一番尊い言葉を聞いた)
「……直人?」
声が裏返らなかったのは奇跡だと思う。三好は耳まで赤くして、でも逃げずに続けた。
「最近……恒一が忙しそうなので」
「……」
「邪魔したくなくて」
「……」
「でも、その……」
そこで一度、ぎゅっと拳を握る。
「少しでいいので」
少しでいい。その健気さが、俺を殺しにきている。
「……構って、もらえたら」
――ああ、もう無理だ。
理性が完全に仕事を放棄した。俺は無言で三好の前まで歩いて行き、そのまま思いきり抱きしめた。
「ちょ、恒一……っ!」
「ダメ」
拒否権はない。
「なんで、そんな顔でそんなこと言うんだ」
「え……」
「可愛すぎるだろ……!」
抱きしめたまま、背中に顔を埋める。
(――嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい‼)
忙しさで削れていた感情が、一気に溢れ返る。
「俺が構わないでどうする」
「でも……」
「でもじゃない」
少しだけ身体を離して、三好の顔を見る。
「直人が言ったんだぞ」
「……はい」
「『構ってください』って」
言わせた自覚がないのか、三好はさらに赤くなる。
「それ、俺にとっては」
「……」
「ご褒美だからな」
今度は俺が三好の胸に額を押しつけた。
「忙しくて余裕なくて」
「……」
「それでも待って、我慢して」
「……」
「それで、ちゃんと欲しいって言ってくれた」
三好を抱きしめる腕に力を込める。
「嬉しすぎて、どうしたらいいかわからん」
三好は一瞬きょとんとしてから、小さく、でもはっきり笑った。
「……それなら」
「ん?」
「言ってよかったです」
――完全にノックアウト。
「直人」
「はい」
「今日はもう、離さない」
「……仕事は」
「知らん!」
ソファに一緒に座り込み、三好を膝に引き寄せる。指先で髪を撫でると、三好は少し迷ってから、額を俺の胸に預けてきた。
自分から、だ。
(ああ……)
これだから甘え下手が、勇気を出した瞬間は――破壊力が桁違いなんだ。
俺は胸の奥で、静かに身悶えながら思った。
(――忙しいとか関係ない。俺は選んだんだ。この男に「構ってください」って言わせた責任は、俺が取らなきゃ!)
腕の中の温もりを確かめながら、深く息を吐く。
「……直人」
「はい」
「ちゃんと言え」
少しだけ意地悪く言うと、三好は逡巡してから、ぽつりと。
「……もう少し、構ってください」
――無理。尊死!
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