15 / 35

第十章 同棲準備中の夕飯の献立

 同棲準備を始めてから、気づいたことがある。三好は、自分の希望をあまり言わない。  炊飯器も、洗濯物もそうだった。俺から聞けば答える。でも自分から「こうしたい」と言うことが、極端に少ない。  それが気になり始めたのは、夕飯の席だった。 「うまい」  箸でカレイの煮魚をつまみながら言うと、三好は少しだけ笑った。 「よかったです」  いつもの返事がリビングに落ちる。  テーブルには煮魚、ほうれん草のおひたし、味噌汁。いかにも三好らしい献立だった。ただ――。 「なあ」 「はい」 「最近、魚多くないか」  三好がほんの一瞬だけ固まった。 「そうですか?」 「週四くらい魚じゃない?」 「体にいいので」 「それは知ってる」  俺は味噌汁を飲みながら、首を傾げた。 「直人、魚好きだっけ」 「……普通です」  返事に、妙な間があった。その時点でかなり怪しい。 「もしかして、俺の好物だから作ってる?」 「え」  三好の耳が、じわっと赤くなる。実にわかりやすい反応だった。 「図星だな」  三好は露骨に視線を逸らした。 「いや、その……」 「直人」 「はい」 「おまえの好きなものって何だ?」  五秒……十秒と長い沈黙が続く。 「……唐揚げです」 「もっと早く言え」  思わず笑うと、三好は本気で困った顔をした。 「でも、恒一は魚の方が」 「俺は魚も好き」 「はい」 「でも、毎日食いたいわけじゃない」 「……」 「唐揚げも好き」  三好が目を瞬く。まるで、初めて聞いたみたいな顔だった。 「知らなかったです」 「大学の頃、一緒に定食屋に行っただろ」 「だって、魚定食ばかり頼んでいたので」 「メニューの中で安かったからだ」 「え……そうだったんですか」  妙に真面目に納得している。  俺は、溜息をつきながら箸を置いた。 「直人」 「はい」 「今度から、自分の食いたいもの言え」 「……」 「夕飯って、二人のもんだろ」  三好は視線を落とした。指先が湯飲みを撫でる。いつもより小さい声が、俺の耳に届いた。 「俺、自分の希望ばかり言うと」 「うん」 「迷惑かと思ってました」  その言葉に、胸の奥が少し痛む。この男は本当に、そうやって今まで生きてきたんだろう。先に譲ったり、先に引いたり。結果的に自分の希望は最後。そうしていれば、誰も困らないと思って。 「じゃあ聞くけど」 「はい」 「明日の夕飯」  三好が顔を上げる。 「何食いたい?」 「……」 「遠慮は禁止だからな」  俺は少し意地悪く笑って、続けた。 「三秒以内」 「そんなの無茶です!」  三好は、困惑を滲ませた声をあげる。それでも俺は、カウントを続けた。 「い~ち」 「恒一」 「に~」 「待ってください」 「さ~ん」  三好が観念したように、両手を握り締めながら目を閉じた。 「ハンバーグ!」 「採用」  即答したら、今度は三好が吹き出した。 「ちょっ、早いですね」 「だって、聞いただけだし」 「そんな簡単に決まるんですか」 「決まる」  当たり前のように答えてやり、三好の頭を優しく撫でた。 「俺はさ、直人が食いたいものが知りたいんだから」  三好は笑顔のまま、動きを止めた。その言葉が予想以上に効いたらしい。 「……恒一」 「ん?」 「それ、反則です」 「何が?」 「だって、嬉しいので」  その言葉に、俺の胸が熱くなった。目の前で照れたように俯く姿に、自然と笑顔がこぼれる。頭を撫で続けると、三好が肩を竦めて身体を小さく震わせた。  逃げない――最近は少しずつ、逃げなくなった。 「じゃあ明日」 「はい」 「ハンバーグな」 「はい」 「あと唐揚げ」 「多いです」 「直人の好物デー」 「もう、子供じゃないんですから」  そう言いながらも、声はどこか楽しそうだった。  たぶんこれも練習なんだろう。怒る練習と甘える練習。希望を言う練習に――選ばれたことを信じる練習。  テーブルの向こうで笑う三好を見ながら、俺は思う。  好きな献立を言えるようになったなら、きっと次は不安も怒りも寂しさも言えるようになる。  そんな気がした――。

ともだちにシェアしよう!