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第十章 同棲準備中の夕飯の献立
同棲準備を始めてから、気づいたことがある。三好は、自分の希望をあまり言わない。
炊飯器も、洗濯物もそうだった。俺から聞けば答える。でも自分から「こうしたい」と言うことが、極端に少ない。
それが気になり始めたのは、夕飯の席だった。
「うまい」
箸でカレイの煮魚をつまみながら言うと、三好は少しだけ笑った。
「よかったです」
いつもの返事がリビングに落ちる。
テーブルには煮魚、ほうれん草のおひたし、味噌汁。いかにも三好らしい献立だった。ただ――。
「なあ」
「はい」
「最近、魚多くないか」
三好がほんの一瞬だけ固まった。
「そうですか?」
「週四くらい魚じゃない?」
「体にいいので」
「それは知ってる」
俺は味噌汁を飲みながら、首を傾げた。
「直人、魚好きだっけ」
「……普通です」
返事に、妙な間があった。その時点でかなり怪しい。
「もしかして、俺の好物だから作ってる?」
「え」
三好の耳が、じわっと赤くなる。実にわかりやすい反応だった。
「図星だな」
三好は露骨に視線を逸らした。
「いや、その……」
「直人」
「はい」
「おまえの好きなものって何だ?」
五秒……十秒と長い沈黙が続く。
「……唐揚げです」
「もっと早く言え」
思わず笑うと、三好は本気で困った顔をした。
「でも、恒一は魚の方が」
「俺は魚も好き」
「はい」
「でも、毎日食いたいわけじゃない」
「……」
「唐揚げも好き」
三好が目を瞬く。まるで、初めて聞いたみたいな顔だった。
「知らなかったです」
「大学の頃、一緒に定食屋に行っただろ」
「だって、魚定食ばかり頼んでいたので」
「メニューの中で安かったからだ」
「え……そうだったんですか」
妙に真面目に納得している。
俺は、溜息をつきながら箸を置いた。
「直人」
「はい」
「今度から、自分の食いたいもの言え」
「……」
「夕飯って、二人のもんだろ」
三好は視線を落とした。指先が湯飲みを撫でる。いつもより小さい声が、俺の耳に届いた。
「俺、自分の希望ばかり言うと」
「うん」
「迷惑かと思ってました」
その言葉に、胸の奥が少し痛む。この男は本当に、そうやって今まで生きてきたんだろう。先に譲ったり、先に引いたり。結果的に自分の希望は最後。そうしていれば、誰も困らないと思って。
「じゃあ聞くけど」
「はい」
「明日の夕飯」
三好が顔を上げる。
「何食いたい?」
「……」
「遠慮は禁止だからな」
俺は少し意地悪く笑って、続けた。
「三秒以内」
「そんなの無茶です!」
三好は、困惑を滲ませた声をあげる。それでも俺は、カウントを続けた。
「い~ち」
「恒一」
「に~」
「待ってください」
「さ~ん」
三好が観念したように、両手を握り締めながら目を閉じた。
「ハンバーグ!」
「採用」
即答したら、今度は三好が吹き出した。
「ちょっ、早いですね」
「だって、聞いただけだし」
「そんな簡単に決まるんですか」
「決まる」
当たり前のように答えてやり、三好の頭を優しく撫でた。
「俺はさ、直人が食いたいものが知りたいんだから」
三好は笑顔のまま、動きを止めた。その言葉が予想以上に効いたらしい。
「……恒一」
「ん?」
「それ、反則です」
「何が?」
「だって、嬉しいので」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。目の前で照れたように俯く姿に、自然と笑顔がこぼれる。頭を撫で続けると、三好が肩を竦めて身体を小さく震わせた。
逃げない――最近は少しずつ、逃げなくなった。
「じゃあ明日」
「はい」
「ハンバーグな」
「はい」
「あと唐揚げ」
「多いです」
「直人の好物デー」
「もう、子供じゃないんですから」
そう言いながらも、声はどこか楽しそうだった。
たぶんこれも練習なんだろう。怒る練習と甘える練習。希望を言う練習に――選ばれたことを信じる練習。
テーブルの向こうで笑う三好を見ながら、俺は思う。
好きな献立を言えるようになったなら、きっと次は不安も怒りも寂しさも言えるようになる。
そんな気がした――。
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