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第十二章 同棲準備中の三好の体調不良

 違和感は朝からあった。喉が少しだけ痛い上に、頭も若干重い。でも、夜勤明けの疲れからきてることだろうと思った。警備の仕事をしていると、体調が少し悪いくらいで休むわけにはいかない。これまでだって、そうやって乗り切ってきた。  だから、その日も普通に過ごした。  夕方、いつものように買い物を済ませて高瀬の家に向かう。 「ただいま」  誰もいない部屋へ声をかけるが返事はない。この時間帯、高瀬はまだ仕事中だ。少し寂しい気持ちを振り払って、夕飯の材料を冷蔵庫にしまう。 「うっ……」  不意に視界がふらりと揺れた。壁に手をついて深呼吸する。 (――寝不足かな)  そう自分に言い聞かせて流した。これくらい、大したことじゃない。  夕飯の下準備だけでも済ませておこうと、まな板を取り出したその時——。 「直人?」  玄関の鍵が開く音がした。予定よりずっと早い。振り返ると、高瀬が立っていた。 「恒一……? 今日は早いんですね」 「ただいま。今日の仕事、早く終わった」  嬉しそうに言って、足取り軽やかに近づいてくる。そして俺の顔を見た瞬間、眉根を寄せた。 「おまえ、顔色悪くないか」  即座に言われ、俺は思わず目を逸らした。 「そうですか?」 「悪い。らしくないくらいに」  断言されたことに、肩を竦めながら苦笑する。 「少し、疲れてるだけです」 「熱は」 「ありません」 「測った?」 「……測ってません」 「測れ」  高瀬の目が細くなる。低い、でも優しい声で即答されたことで、反射的に背筋が伸びる。 「直人、今すぐ」 「はい……」  素直に返事をしてしまった。仕方なく体温計を脇に挟む。高瀬は腕を組んだまま、俺の様子を見ていた。その視線が、なんだか甘くて照れくさい。  三十秒後、電子音が鳴る。表示された数字を見て、俺は咄嗟に体温計を隠した。 「何度?」 「えっと……三十七度八分です」 「直人」 「はい」 「それを熱がないとは言わない」  高瀬は深いため息をつきながら、俺の額に大きな手を当てた。ひんやりとしたその感触が、気持ちよくて、思わず目を細めてしまう。 「熱があるのに『大丈夫』はないだろ」  怒られているはずなのに、その声は驚くほど優しかった。 「でも勤務は――」 「今日は休みだろ」 「そうですけど」 「じゃあ寝ろ」  実に正論だった。しかも反論の余地がない。それでも口が勝手に動く。 「夕飯の準備が……」 「俺がやる」 「でも」 「直人」  高瀬は俺の名前を呼んで、そっと肩を抱き寄せた。胸に額が当たる距離で、低く甘く囁かれる。 「具合が悪いなら、素直に言え。俺は迷惑なんて思わない。……恋人なんだから、体調の悪い時くらい、頼ってほしい」  その言葉が胸の奥にじんわりと染み込んで、熱くなった。 「……恒一」 「ん?」 「難しいです、誰かに頼るの……迷惑じゃないかって、つい考えてしまいます」  高瀬は小さく笑って、俺の背中を優しく撫でた。 「知ってる。だから、練習しよう」  そう言って俺の身体を軽く抱き上げ、寝室へ連れていく。抵抗する間もなくベッドに寝かされ、布団を丁寧に掛けられた。 「まず、今日は大人しく寝ろ」  高瀬はベッドの端に腰を下ろし、俺の髪をゆっくりと撫で始める。その手つきがあまりに優しくて、胸がきゅうっと締め付けられた。 「あのな」 「……」 「俺は迷惑かけられたいんだよ」  告げられた言葉の意味がわからなくて、何度も目を瞬かせた。 「え?」 「恋人なんだから」  高瀬は真顔だった。 「体調の悪い時くらい、俺を頼れ」 「……」 「そういう時のために、一緒にいるんだろ」  胸の奥がじわりと熱くなる。それは簡単な言葉なのに、誰かにそう言われたことがなかった。 「欲しいものがあったら頼む」 「はい」 「よし」  満足そうに頷く。まるで新人教育みたいだ。 「何だ」 「いえ……」 「絶対、何か考えただろ」  高瀬に図星を突かれて、思わず少しだけ笑ってしまう。 「笑う元気があるなら、大丈夫だな」 「たぶん」 「たぶんじゃない」  まるで子供扱いだ。でも、不思議と嫌じゃなかった。 「恒一」 「ん?」  布団から顔だけ出して呼ぶ。 「スポーツドリンク……買ってきてもらえますか」 「ああ、買ってくる」 「ゼリーも」 「買ってくる」 「あと」 「あと? 他に欲しいものは?」  少し迷う。こんなことを言うのは初めてだった。胸がドキドキしてしまう。きっと、高瀬は断らないだろう。むしろ、喜んでくれる可能性だってある。 「えっと……少しだけ、ここにいてください」  高瀬の目が優しく細められた。嬉しそうな、愛おしそうな笑顔になる。 「ああ。それくらいなら、いくらでも」  高瀬はベッドに上がり、俺の隣に横になった。そして、布団の中で俺の身体を優しく抱き寄せる。温かい胸に顔を埋めると、大きな手が背中をゆっくりと撫で続けた。 「直人」 「……はい」 「もう一度言う。具合が悪い時は、遠慮なく甘えろ。俺はそういう直人が、すごく好きだから」  耳元で甘く囁かれ、俺は恥ずかしさのあまり高瀬のシャツを強く掴んだ。  まだ上手に頼ることはできない。でも、こうして高瀬が待っていてくれるなら、少しずつ覚えていけそうな気がした。  額に優しくキスを落とされながら、俺はまぶたを閉じた。高瀬の体温と、穏やかな手の感触に包まれて——今日は、素直に甘えることにした。

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