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第二十二章 知らない人の話

 それを知ったのは、本当に偶然だった。  休日の午後、俺はソファで本を読んでいて、高瀬は収納棚の整理をしていた。 「直人、これ捨てるぞー」  奥にしまい込んでいた段ボール箱の中身を漁りながら、高瀬が声を上げる。 「はい、お願いします」  本の文字を追いながら、適当に返事をする。  マメな高瀬が、同棲してから増えた荷物を整理しているだけ。ゆえに、特に興味もなかった。  それでも大変そうだったら、手伝おうかなと思った時だった。 「あ!」  高瀬が小さく声を漏らした。 「懐かしいな」  その声に反応して、何気なく顔を上げる。高瀬の手には一枚の写真があった。気になって収納棚に近づき、背後からそれを覗き見る。若い頃の高瀬が写っていた。  今より少しだけ髪が長くて、まだ営業職になる前だろうか。その隣には見知らぬ女性がいた。自然に肩を寄せ合って笑っている。写真を見る限り、とても仲が良さそうだった。  俺は、高瀬とこういう写真を撮ったことがない。そう思った瞬間、自分でも理由のわからない違和感が胸に残った。 「それ……」  気づけば口が動いた。 「ん?」 「彼女ですか」  高瀬は写真を見て、ああ、と頷く。 「そ、元カノ」  あまりにも普通の返事だった。隠す様子もなければ、誤魔化す様子もない。高瀬としては、ただ事実として言っただけ。 「そうですか」  それだけ返してソファに戻り、本に視線を落とす。  別に不思議なことじゃない。高瀬は三十代だ。恋愛経験があって当然だし、むしろ無い方がおかしい。  頭では理解している。理解しているのに――なぜか文字が頭に入ってこない。 「直人?」 「はい」 「機嫌悪い?」 「悪くないです」  俺は即答した。  本当に悪くない。悪くないはずだ。俺の様子に高瀬は少し首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。  代わりに写真を箱へ戻そうとして、ふと止まる。 「ああ、そうだ」 「?」 「こいつ、犬好きだったな」 「へぇ……そうなんですか」 「休みの日に、よくドッグランとか行ってた」  写真を見ながら、瞳を細めて懐かしそうに笑う。その笑顔を見た瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。理由はわからない。ただ面白くなかった。それだけだ。 「直人?」 「何ですか」 「本、逆さまだぞ」  言われて初めて気づく。慌てて本を見てみると、本当に逆だった。それを見て、高瀬が思いっきり吹き出す。 「おいおい、大丈夫か?」 「大丈夫です」  今度は、少し遅れて返事をした。高瀬は明らかに何かを察した顔をしたが、追及してこない。それが少しだけありがたくて、少しだけ腹立たしかった。  その日の夕飯は、俺の好物の生姜焼きだった。味付けはいつも通り。焦がしてもいないし、塩だって入れすぎていない。なのに、どうしてか美味しく感じなかった。  写真の中の女性が笑っている。隣で高瀬も笑っている。それが何度も頭をよぎる。 (何だろ……変だ)  自分でもわかっていた。たった一枚の写真で、こんなに気になるのはおかしい。だって過去の話だ。もう終わった関係なのに。今、高瀬の隣にいるのは俺だというのに――不思議と箸を持つ手が止まる。  胸の奥が、どうしても落ち着かない。  高瀬が味噌汁を飲みながら、ちらりとこちらを見た。 「直人」 「はい」 「本当に機嫌悪くないか?」 「悪くないです」  答えながら思う。本当に悪くない。ただ――知らない人の話なのに、どうしてこんなに気になるんだろう。  ただ一つだけ、わかることがある。高瀬が笑っていたことが、妙に引っかかっている。それがなぜなのか――俺はまだ、言葉にできなかった。

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